26.伽藍
「はーっ」と少し長い溜息と共に、落とした涙をタオルハンカチで拭い終えると、
ここは県警本部、それも科警研内にある喫茶店である。そんな場所で刑事部のデカが、セーラー服姿の女子高生を前に泣かせているだけあって、のちのち入店してきた連中にはすごい目で見られるハメになった。が、
「すいません、ありがとうございます」
申し訳なさそうに笑う星に、ようやく年相応の表情を見出して、庚午は頬杖をつきながら「いや」と片笑んだ。
星が
星はひとつ咳払いをすると、「ここからは、とても個人の事情に関わる情報になります」と、別のページをめくった。
「1964年にトワさんの二歳上の従姉妹の宝月キンさんが亡くなったと届けが出ています。この方は、村の資料によると1931年から
ここで、星は顔を顰めた。
「あたし達が最初にひっかかったのが、ここなんです。1997年、今から十二年前に、トワさんの末息子の
「それは、早すぎませんか?」
「ええ。ですが、彼には生まれつき非常に重い障害があったので」
「ああ……」
そういうことも、確かにあり得るか。
「ですので、そもそも生まれてからずっと彼は人前で姿を見せていません。そして、その年齢で亡くなったことも、決しておかしいということはないのです。でも……」
「そうは言うても、亡くなったタイミングがな、という話ですね」
1964年から1997年間は、ちょうど三十三年隔たっている。
「はい。でもそうなると、1964年にキンさんに代わって大祐さんが寐厨の番になったのだとしたら、それは彼が八歳のときだったということになるんです」
「それは」
いくらなんでも――若すぎる。
1931 宝月キン・寐厨の番就任
1964 宝月キン・死亡
宝月大祐・寐厨の番就任?(当時八歳)
1997 宝月大祐・死亡
宝月麻弥子・失踪
星はじっと庚午の目を見据えた。
「この通り、大祐さんが亡くなったとされている1997年には、勝則さんの一人娘の麻弥子さんが17歳で姿を消しています」
「ああ、麻弥ちゃんのことは、さきに少しだけ皐月から――村長から聞いています」
あの時、確か皐月は、麻弥子は村にはいない、という言い方をしていた。それは、庚午達のようにどこかへ移り住んだという意味ではなく、失踪したという意味だったのか……。
「庚午さんは、麻弥子さんとは、お知り合いでしたか?」
「はい。二歳上で、よく面倒をみてもらいました。あの、番の記録はキンさんまでで止まっていると仰ってましたよね?」
「はい、そうです。だから、次の寐厨の番は大祐氏だったんじゃないかというのも、あたし達が立てた憶測に過ぎません」
「でもそれが正しいと仮定すると、もしかしてこれ、麻弥ちゃんが大祐氏に代わって、現在の寐厨の番になっとるっちゅーことになるんでしょうか?」
「ええ。家出をしたということになっていますが、あたしは、そうみています」
「――そうなりますよね」
「実は、麻弥子さんの失踪直後に、勝則さんの妻の明美さんも村から出てらっしゃるんですよ」
「ああ、それで勝則おじさんは」
ひとりで村役場に住み込んでいたのか。
「ええと、確か、明美おばさんのお母さんの出身が京都やったんやなかったかな……」
勝則と明美は二人とも宝月の人間で、間柄は確か
「そうです。なので、母方の従姉妹という方を頼られて、市内に移り住まれていますね。それで、その明美さんなんですが、村にいたころは、宝月の本家でお手伝いをされていたらしいんですよね」
分家の嫁が本家の手伝いに行くのは、蛇来村では当然のように行われていたことだった。今の時代では総すかんを食らいそうである。
「その本家の手伝いから帰るのが遅くなったある夜に、偶然神社で人を見かけたらしいんです」
「――明美さんが、ですか」
「はい。明美さんは当時、役所の雑用もされていたので、忘れ物があったのを思い出して、その足で役場に向かわれたそうなんです。そしたら、人がいたと」
「なら、それが大祐さんだったと?」
「いえ、それもおかしくて――その人影は、しっかりとした足取りで、ひとりで歩いていらしたそうなんです」
「その、回復されたということは……?」
星は首を横に振った。
「難しいと思います。大祐さんの身体の障害は、両下肢の欠損だったそうなので」
――どういうことだ。
「じゃあ、それは一体」
「シンプルに考えると、オツツミサマだということになるのでしょうね」
庚午の喉が「ひゅっ」て音を立てた。
「白家さん、それは」
「冗談です」
真顔で冗談を言わないでほしい。
だが、次の瞬間、星は真面目な顔で首を横に振った。
「でも、乙ちゃん、これを聞いて、ああよかった、って言ったんです」
「よかった、って、なんでです?」
「だって、姿を見かけたなら、生きてたってことじゃないですか」
「それ、どういう意味ですか」
「乙ちゃんは、もっと最悪のケースを考えてたんです」
星は視線を窓の外へ向けた。ガラスの反射に映る彼女の横顔には、酷く憂鬱な色が浮かんでいる。
「寐厨の番は、担当している三十三年間は神社の中から出られなくて、誰にも会えなくて、次の周期がきたら殺されて交代している――のではなくて」
ガラスに映る少女の瞳が、じっと、虚空を睨んでいる。
「本当は、寐厨の番って、担当になったら即殺されていて、そこから次の番がくるまで生きているってことにされているだけなんじゃないかって。死亡届なんか形だけのもので、本当は、オツツミサマの神社の中は、誰もいない、ただの伽藍堂なんじゃないか――って」
「じゃあ、このノートは、役に立てていただけそうなら、お持ちください」
「ありがとう、助かります」
星から、ファイルと共に手渡されたノートを庚午が鞄に仕舞いこむのをまって、ふたりは喫茶店を出た。星はこのあと下島に車で送ってもらう手筈になっているそうなので、ふたり三階にある下島のオフィスへ向かうべくエレベーターホールに立った。
「というか、すいません庚午さん。さっき、寐厨の番が冥婚だって村長さんから聞かされてたって言われたじゃないですか」
「ああ、はい」
「――それ、村長って人に騙されてません?」
それは、庚午も薄っすら思っていたことではある。だが。
「でも、そうだとしても、もう引けないんです。神堂さんがあちらに残ってくれているし、仕事としても放り出せません」
――それに田崎も行方を晦ましたままだ。そのままにしてはおけない。
「うん、それは、わかるんですけども……」
エレベーターが開き、ふたり中に乗り込んだ。すると、星の肩の虎がぐっと庚午に近づき、首筋のにおいを嗅いできた。
「ちょ、うわ、びっくりした。なんですか?」
女子高生の顔のほうの星が、ぐっと眉を寄せる。
「あの、つかぬことをお伺いしますが」
「はい」
「勘違いだったらすいません。庚午さん、三雲君から良いにおいってしました?」
「えっ」
資料室でのことを思い出し、瞬間心臓が跳ねあがる。顔にかっと熱が走ったことに気付いて、思わず挙動不審になる。が、それを見た星は更に顔を顰めると、続けてこう問うた。
「やっぱり……更に不躾なことで失礼しますが、庚午さんって、香水とかって使われてませんよね?」
「あ、はい。香水とか柔軟剤とか、においが強いモノで頭痛がくるタチなので、洗濯洗剤なんかも全部無香料にしてありますが、それが何か?」
とたん、星が顔を思い切り顰めて腕組みをした。
「あの、庚午さんから見て、三雲君てどんな人ですか?」
「えっ、神堂さんがですか?」
「はい」
唐突な問いに面食らいながらも、庚午は口元を手で覆いながら眉間に皺を寄せた。
「――基本的に、真面目で丁寧な方やなぁと。あと、時々かわいげがあるというか」
星の顔が真顔になる。
「かわいげ」
「ええ。舌ペロしたりとか」
「舌ペロ……⁉ あの堅物が⁉」
「は、はい。あと、急に上目遣いとかしはるから、それに動作もちょっと、こう言うたらなんですけど、小悪魔お姉さん的というか、フェ、フェミニンな感じを……」
とたん、星がぺちりと自身の額を手で打った。「あああ」と唸り声を上げる。
「あの、白家さん……? どない、しはったんです?」
「ええと……これは、馴染みの友人としては口を出すべきではないってことはわかってるんですが」
「はあ」
「庚午さんの生命のことだけを考えるなら、あたしはもう、庚午さんは全部のことをほうり出して、警察も退職して、できることなら海外にでも逃げたほうがいいと思います」
「ほうりだ――ええ……?」
「でも、多分あなたはそうされないと思うんで、今から下島さんのところで、ひとつ術式の使い方をお伝えします」
そうだった。言われて思い出した。
「あの、唐突なんですが、神堂さんからは、白家さんに戦い方を教授してもらえて言われておりまして」
「はい。三雲君からもそう聞いています。あの人、自分では戦いませんからね」
「そういうのって、やっぱり役割分担とかがあるものなんですか? その、白家さん達の業界的に」
「業界」
ふっと吹き出してから星は「まあ、ある程度は」と頷いて見せる。
「あたしから見るに、蛇来さんてポテンシャルがめちゃくちゃ高いんですよね。器が大きいというか」
「ああ、ありがとうございます」
「だけど、今回はちょっと時間もないので、簡易的というか、インスタントな感じでいきましょう。お守り代わりというか、多少の防衛にはなると思うので」
ちん、とエレベーターが鳴り、開いたドアは、ふたりに三階の廊下を見せた。
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