18.酸漿


 朝食を終えた三雲みくも達は、庚午こうごの身支度をまって再び役場へと向かった。

 表は秋空がまぶしく、快適な風がふたりの全身を包みこむ。蛇来へびらい本家と役場は、距離としては然程離れておらず、気候が良好であることも相まって、ふたりは徒歩で目的地へ向かうことにした。

 役場には、やはり十五分程度でたどり着くことができた。日の中で改めて建物を見渡せば、最新式のバリアフリーに仕立ててあることがわかる。設置されたスロープはゆるやかで手すりも二段構えになっており、建物に向かって左手にある駐車場から、入り口へ向かう路面にも段差らしきものは見当たらなかった。

 あらかじめ許可を得て預かったままにしていた鍵を使い、玄関のガラス戸を開けて建物の中へ入る。入った先にもスロープや手すりが完備されており、細かなところから高齢化の気配を庚午に感じ取らせた。

「昔から、役場はこの建物だったんですか?」

 三雲の問いに、庚午は「ええ」と首肯する。

「でも大分リフォームしたみたいですね。改めて見ると、やっぱりキレイになってます」

 玄関から入って正面には左寄りに会議室がある。廊下を左へ進むとすぐ左手に放送室があり、その突き当たりを右手に折れると奥に勝則が住居として使用していた守衛室兼宿直室がある。

 一方、玄関右手すぐのところには受付がある。その受付を右手にみつつ、前の廊下を右側へ進んですぐ左手に折れれば、右手に『蛇来村資料室』、廊下をはさんで左手に『展示室』の室名札が、それぞれ壁の上のほうに取り付けられているのが見えた。

 ふたり、今日は備え付けの緑のスリッパに履き替えていたところで「おはようございます」と背後から声が掛かった。

 振りかえれば、ドアを開ける皐月さつきの姿があった。昨日とは打って変わって、今日はラフな白シャツとジーンズ姿である。

「おはようございます皐月さん。お手数おかけいたします」

 三雲が頭を下げると、皐月は苦笑いしながら首を横に振って「大丈夫ですよ」と自分も靴からスリッパに履き替えた。

「お手数をおかけしてしまっているのはこちらなので」

「早速ですが、村のことを色々とお伺いさせてください」

「もちろんです、こちらへどうぞ」

 先に案内されたのは展示室の方だった。

 通された部屋はなるほど、蛇来村の来歴を大まかに把握できる内容の展示物が、適度な分量で壁沿いと中央の島に設置されたガラスケースの中に収められている。

「なるほど……村の人間のうち、七割は宝月ほうづき家か蛇来家、このどちらかの血縁である、と」

 パネルを見ながら、独り言のように呟く三雲の隣に皐月は並び、眼鏡の奥の目を細めながら「ああ」と静かに息を零す。

「この資料を作った当時はそうでしたが、今はかなり割合が変わっていますね」

「それは、外から入ってこられた方が増えた、ということでしょうか」

「いえ、数年前に事故がありまして、そのために宝月の人間がかなり減ったんですよ」

「――そうですか。それは大変なことでしたね」

「あ、神堂さん、そちらに漆塗りの板があるでしょう」

 皐月が指で示したガラスケースの中には、確かにそれらしきものがあった。庚午も背後から歩み寄って上から中身を覗きこむ。

「はい。こちらは」

「真ん中のものが村章です。これは、蛇来と宝月の家紋のデザインを合わせたものなんですよ」

「ああ、もしかして、こちらにある二つがそうですか」

 三雲は、村章の下に並べてある、二枚の同じく漆塗りの板を指した。

「そうです。蛇来の家紋はこちらの赤色のもの。そして宝月の家紋は黄色のほう。つまり、赤と黄色に分けられています。祖父から聞かされた話によると、この二色は、此岸と彼岸が分かたれていることを意味していたそうです」

「ああ、では宝月のほうが彼岸というわけですか」

「さすが、お察しが早い」

「どういうことや、皐月」

 後ろから問うた庚午に、「黄泉よみですよ」と答えたのは三雲のほうだった。

「赤、朱、つまり丹塗りの色というのは通常、魔除けや神聖、不老長寿などを意味します。つまりは生の側面がある。これに対する色として黄色を上げ、この二色に此岸と彼岸を見分けるのならば、死の側面を持つ黄色から連想するのは常世とこよ、つまり黄泉の国です」

「ああ、なるほど」

「蛇来が丹塗り、宝月が黄色というならば――なるほど、宝月というのは、元々は鬼灯ほおずきのことではありませんでしたか?」

 皐月が「お」と一瞬身を引いて、ちらと庚午を見やった。

「庚ちゃん、この方すごいね。これだけでここまで言い当てられたのは初めてだよ」

 三雲は苦笑すると「職業上、こういった話は日常茶飯事で」と、再びふたつの家紋に目をやる。

「鬼灯、酸漿とも書きますが、こちら、宝月家の家紋自体が鬼灯を図案としてデザインされたものになりますよね」

「ええ、おっしゃるとおりです」

「釈迦に説法かもしれませんが、鬼灯は、その実とガクの部分の形から、死者の魂を導くための提灯と見立てられています。ですので、お盆の時期には先祖が戻ってくるための目印となるよう飾りとして用いられます。死の国から現世へ帰還するための助けとなるという意味では、確かに宝月のほうが彼岸の性質を請け負っているように見えますが、実は蛇来も同様なのではないかと」

「――どういうことですか」

 小首を傾げて三雲の顔を覗きこんだ皐月に、三雲は一度だけ目を向けてから、またすぐに目を細めてじっと蛇来の家紋を覗きこんだ。

「古事記において鬼灯、つまり赤酸漿あかかがちが例えとして用いられたもののひとつにまたの大蛇おろちの目が上げられます。八岐大蛇が現れたのは出雲。出雲において、特に神無月の蛇とは、海から現れるウミヘビのことを指します。海の彼方から訪れるという意味では、これもまた彼岸の性質をもつものということになります」

 三雲と皐月は、思わず顔を見合わせる。

「黄泉と海原、示している彼岸の種こそ違いますが、蛇来側も宝月側も、いずれも此岸と彼岸、ウチとソトの、境界性としての性質を兼ね備えているのではないかと、そんなふうに僕は感じました」

 皐月と庚午は、同じように唇を半開きにしながら、ただ唖然として三雲を見つめた。それより他にできることがない。結局先に息を大きく吸いこみ、感嘆の溜息を吐いたのは皐月のほうだった。

「神堂さん」

「はい。すみません長々と」

「警察のお仕事が厭になったら、うちに移住してここで働きませんか?」

「ちょ、おい皐月!」

 横からはっとした顔で止めようとする庚午に、「いやだって」と皐月は口を開いて髪を掻き揚げた。

「凄すぎるんだもの」

「それは認めるけども」

 三雲は苦笑しつつ、皐月の提案に対しては「考えておきます」という一言を返してその話については締めくくった。が、そのあと周囲を見回してから、わずかにいたわし気な目で皐月の方を見やる。

「丁寧なお仕事をされる方だったんですね」

 三雲の言葉に、皐月ははっとした目を見せてから、静かに淋し気な笑みを浮かべた。

「はい。本当にかけがえのない人でした」

「皐月?」

 三雲と皐月の会話の流れが分からず、庚午が名を呼びかけると、皐月は頷いて見せた。

「庚ちゃん。ここの展示物の整理や資料管理をしてくれていたのが、乙女おとめちゃんだったんだよ」

 と、コンコンとドアを叩く音がした。三人で見返れば、村の入り口の門扉でも見かけた五十代ごろと思しき男性がそこに立っていた。

宮浦みやうらさん」

「皐月くん、ちょっと」

 皐月は庚午達の方へ振り返ると、済まなそうに頭を下げた。

「すみません。ちょっと外します。神堂さん、隣の資料室の鍵はお渡ししておきますので、どうぞご自由に」

 手渡された鍵を受けとると、三雲は「ありがとうございます」と頭を下げて、庚午とふたり、皐月の退室を見送った。

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