第10話 ハイエンドワックスへの好奇心と葛藤、そして決断

彼はスマートフォンの画面をスクロールした。


指先が何度も触れるのは、愛用している創業90年超の老舗メーカーのハイエンドワックスの製品ページだ。

季節は、秋から冬へと静かに移行している。朝晩の冷え込みが厳しくなるにつれ、彼の愛車が晒される環境も変わっていく。

画面に映し出されるのは、彼が今使っているワックスよりも遥かにカルナバ含有量が多いという、北欧とのコラボレーションモデル。極寒の厳しい環境から車を守るというコンセプトに、彼の『最高の状態』への好奇心が強く刺激される。

それと同時に、彼はホイール専用ワックスのページにも目を留める。


『このワックスはホイールに際立った艶を与え、汚れを寄せ付けない効果があります。ブレーキダスト、塩、水分、道路からの汚れからもしっかりと保護します。更に、あらゆる素材のホイールに対応し保護することが可能です。』


現在、彼の愛車のホイールには、以前ボディに使っていた高性能な簡易コーティングが施されている。これは細かなホイールにも施工しやすく、その性能には十分に満足していた。しかし、ボディと異なるワックスメーカーの製品で済ませている現状に、彼は統一性を求める衝動もわずかに感じていた。

ホイール専用ワックスは他にまずない特殊な製品であり、その存在そのものが面白そうという好奇心も彼を惹きつけていた。一般的なワックスより高いとはいえ、価格も今使っているワックスと同程度の価格であり、手の届く範囲だ。

しかし、その理性的な選択肢の3倍もの価格を持つ、北欧コラボのハイエンドワックスが、彼の視線を何度も奪う。


(本当に、必要なのか?)


彼は自問した。今、愛車に施されているワックスは、日々の汚れから復活し、十分な艶と撥水性を発揮している。今の高耐久ワックスで、彼は既に十分過ぎるほどの、満足できる理想の仕上がりを得ている。

「最高の状態」という言葉を追求する上で、本当にこの「非合理的な贅沢」が必要なのか。3倍の価格差を埋めるだけの、決定的な価値が生まれるのか――彼は、昼食後にソファに戻ってきてからも、長過ぎるほど悩んだ末に、ある決断を下した。

実用的な決断と喜びの共有

彼は、スマートフォンを握りしめた。


「北欧ワックスを買うのは今ではない。そう、今は必要としていない。」


彼は、ハイエンドワックスのページを閉じ、ホイール専用ワックスをカートに入れた。決断した後の彼の行動は早かった。即座に購入決済を完了させると、その達成感と共に、SNSに購入報告を投稿した。彼のニッチな世界で、その興奮を共有する。

その後も、彼はワックスが届くのを心待ちにしながら、SNSや動画サイトをあてもなく見て回り、その日を終えるのだった。

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