02. すれ違う - 玲衣



つむぎが食べた素麺の皿を洗い終えると、廊下の灯りを落とす。

古い冷蔵庫のモーター音だけが耳障りに残る。


部屋では、紬が静かに寝ていた。

座卓を窓側へ寄せて出来た空間に布団が二つ、重なり合うように敷かれている。

いつもの夜と変わらない。


扇風機が静かに回り、風が寝ている紬の髪を揺らす。

遠くで電車の音が響いた。


――正直、押し倒したかった。


紬の縋るような目と、欲情を煽る言葉。


あの肌の白さも、伏せた睫毛の儚さも、全部俺のものにして、この手で確かめたかった。

何でもするって、そういうことだよな。


「……紬、寝てるか?」

布団の上に膝をつき、小さな声で、確かめる。


部屋着の裾から覗く腹が、窓明かりで蒼白く切り取られている。


布団に体を横たえても、隣に紬がいる。

無防備に肌を晒して、寝返りを打って微かに声を漏らす。


少しでもいいから紬に触れたいのに。

俺にはそれが出来ない。


傷つけてしまうのが怖い。

ただ愛していただけなのに、重荷になってしまう。


俺を憎んだまま死のうとした雄大の影が、紬と重なる。


呼吸が詰まる。

男を好きになるって、こういうことなんだ。


紬はまた寝返りを打つ。

深く眠れていないんだろうか。


「……紬?」


返事はない。

紬の腰が視界の中で白く浮いている。


暑さで寝苦しいのに、薄いタオルケットを体に纏う。

さっきから、息をする度に、身体の奥が疼いて仕方ない。


我慢できなくて、自分の下半身に手を伸ばす。

紬が横で寝ているのに、今、ここでしたかった。


目を閉じると、指先の体温が快感に変わり、じわりと広がる。


卒業式の日、紬は、俺が絡めた手にもう片方の手を添えた。

俺は拒絶されるんじゃないかと怖くて、自分から手を引っ込めた。

でも、もしあの重ねられた手が、俺を受け入れようとしてくれた証だったら。


下半身を握る手に力が入って、止まらない。


――して欲しいこと、ある?

あの微かな震え声が耳の中で何度も反響する。


俺が……俺が、紬にあんなことを言わせたんだ。


紬は『普通』だし、男の俺が恋愛対象にならないのは当然なのに……

紬に甘えて勝手にイライラしてる自分がいる。


紬を好きになった理由なんて、思い出したくない。

本当に最低だけど――

紬なら俺を受け入れてくれるんじゃないかって期待した。


俺に依存して欲しかった。

こんな自分が一番嫌いなのに、紬には俺を見て欲しい。


指で先端を刺激すると、腰が僅かに跳ねる。

身体を浮かし、枕元に転がるティッシュを探し手を泳がせる。


紬は以前、自分を足手纏いにするなと叫んだ。

だから俺は、紬の横で、紬の幸せを願ってただ寄り添う。


――じゃあ、俺の幸せは?


紬に触れたい。

紬とセックスしたい。


これじゃあ生殺しだ。

息を殺し、果てる。


ああ……脈打つのが気持ち悪い。

手に残る熱さも、不愉快だ。


堪らず身体を起こし、ティッシュを丸めてゴミ箱に投げ入れる。

それは、プラスチックの縁に跳ね返り、情けなく畳の上に落ちた。


……。


汚れてるのは紬じゃない。


俺の方だ。

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