既読にもならない

ぱぴぷぺこ

第1話 編み始め

 モールの二階にある手芸店の棚には、毛糸が色とりどりに並べられていた。見ているだけで暖かさが伝わる店内で、泉は眉間みけんしわを寄せていた。


「泉ーっ! 決まった?」


 すでに毛糸の袋を手にした紗友里さゆりが楽しそうに声をかけた。


「……無難に白かなぁ……」


 泉は、ズラリと並べられた毛糸の玉を真剣に見つめながら答えた。

 すると、紗友里が笑いかけて言った。


「やめといた方がいいかも。編んでるうちに汗とかで黒くなるよ」


 泉は「うーん」とまたうなると、視線を棚の隅にある安売りのワゴンへと移した。


 毛糸なんて、買ったことも編んだこともなかった泉が、内申点のためとはいえ、苦手な家庭科の課題にいど羽目はめになったのだ。


「なにを編めばいいんだろう……」


 ため息をつく泉の問いに、紗友里が答えた。


「初心者ならマフラーでいいって。誰に編むの」


 その言葉に、ふいにあいつの顔が浮かんだ。


『俺、泉の事が好きだ』


 文化祭のどさくさの中、体育館の裏で真顔まがおで告白した野崎の声が思い出された。


「提出課題だから、別に考えてない」


 泉は平然を装いつつも、どこか声が上擦うわずった。毛糸の色が決まらないのは、やはりあいつのことも関係していた。


 青や緑では寒そうだし、暖かい色が黄色やオレンジしか思い浮かばず、似合う色がまるでわからない。

 あせりながらも紗友里に聞けずにいた、その時だった。


「まだ決まんないのか?」


 いきなり声を掛けられた。

 顔を上げると、ワゴンの向こうから覗き込んでいた野崎と目が合った。


「──!!」


 思わず顔を赤らめて飛び退いた泉を見て、野崎は目を細めた。


「俺、泉が編んだマフラーが欲しい」


「誰があんたに編むって言った?」


 反動で声を荒げた泉に動じることもなく野崎が答えた。


「言わねーから頼んでるんだよ」


 にこにこと笑う遠慮えんりょのない態度に、泉は横目でにらみつけた。


「それ、人にものを頼む言い方じゃない」


 そんな泉に、野崎は毛糸の袋を差し出した。


「はい」


「なに?」


 振り返った泉に、笑顔の野崎が答えた。


「この色がいい」


「だったらあんたが買えば?」


 泉の冷たい返しを受け、野崎は言われた通り、かばんふたを開け始めた。


「もう! いいわよ」


 泉は毛糸の袋をあわてて取り上げ、レジへと向かった。

 その背中に野崎の嬉しそうな声が届いた。


「ありがとう、泉」


 後からきた紗友里が、レジに一緒に並んで声をかけた。


「派手なオレンジ」


「いいのよ! なんだって。安売りだし!」


 憤慨ふんがいしながら答えたが、渡された毛糸の混ざり気のないオレンジは、泉が散々さんざん迷った色でもあった。


 ◇


 家へ帰り着くと、泉は紗友里とともに、早速自分の部屋へこもった。


 しかし、買ってきた毛糸と編み棒をテーブルの上に並べ、膝立ひざだちしたままの泉が固まった。


「こんなんで編めとか、無理……」


 すると、向かいに座り、両手で頬杖ほおづえをついた紗友里がにこやかに笑った。


「まずは作り目からね。ゆっくりで大丈夫だよ」


 泉はゴクリと喉を鳴らし、恐る恐る編み棒を手にした。


 木の針は少しざらっとしていたが、手に馴染なじ感触かんしょくだった。

 ふわふわとした毛糸を巻きつけるたびに、手がぎこちなく動いた。


 泉はまばたきもせず、一目目ひとめめを作り始めた。


「うわ、落ちたっ……」


 何度か毛糸が針からすべり落ちると、泉の愚痴ぐちも増えていった。


「なんで引っ掛けとかないの?」


「仕方ないよ。かぎみじゃないんだし」


 紗友里がストローでジュースを飲みながら、苦笑にがわらいを浮かべ、はげました。


 一段いちだんむだけでも文句の多い泉だったが、少しずつ列がそろい始めると愚痴ぐちは少なくなっていった。


「……できてる、かな?」


 目を丸くしながらを見つめる泉に、紗友里はにっこりうなずいた。


「うん、ちゃんとマフラーになってるよ。最初の一列目は練習みたいなものだから」


 紗友里に言われ、泉は何度目なんどめかのため息をついた。


 その後も、ぎこちなく左右に針を動かし続けた。

 往復するたび、編み目が少しずつ積み重なり、ひもおもへと変化していった。


 一時間かけた末に、ようやくマフラーの形を見せ始めた。単純な作業なのに、なぜか胸の奥がじんわり温かくなってきた。


 それでも、


「たった……こんだけ?」


 愕然がくぜんとする泉に、紗友里が笑顔を向けた。


「一時間で十センチ編めたのなら上出来じょうできだよ」


 だがその言葉は、泉を地の底へ落とし込んだ。


「十センチ……? 百八十センチ編むんだよね? じゃあ、あと十八時間? 一日一時間で十八日」


 絶望ぜつぼうてきな未来に肩を落とした泉に、紗友里は


「課題だし」


 と軽く流した。それでも、復活しない泉に、


「そういう時はさぁ、もらって喜ぶ人の顔を思い浮かべると、やる気になるからね」


 と付け加えた。


「……家庭科の吉田の顔とか?」


 真顔で問い返す泉に、紗友里は笑うしかなかった。


 だが、紗友里の言葉に泉は、また野崎の顔を浮かべていた。


 ジュースを一口飲むと、ふぅ。とため息をつき、泉は再び編み棒を手にした。


 まだまだ不揃ふぞろいでまっすぐではないけれど、泉は一目ずつ完成していく達成感を感じるようになっていった。


 編み棒の手触てざわりと毛糸の柔らかさが、少しずつ心を暖かく包んでいくようだった。

 編み棒のリズムに合わせ、時がゆっくりと刻まれていった。

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