3万円vs世界滅亡! ~ゴミ出しまで残り12時間、祖母の遺品が異世界の神器でした~
ソコニ
第1話「残り12時間――0円出品の悪夢」
1
スマホの画面が、冷たい青白い光で私の顔を照らしている。
時刻は深夜1時23分。明日——いや、もう今日か——の朝9時まで、残り7時間37分。
「……マジで終わらない」
私、新城ミナト、26歳。都内の小さなIT企業で働く、どこにでもいるOL。
今、人生で最も後悔している。
目の前には、天井まで積み上げられた段ボールの山。
部屋の隅から隅まで、茶色い箱が侵食している。まるで段ボール製の迷宮だ。
すべての元凶は、三ヶ月前に亡くなった祖母——新城サヤだ。
遺品整理。
その四文字を、私はこれほど呪ったことはない。
実家の古い一軒家に残された祖母の荷物は、想像を遥かに超える量だった。几帳面な性格だったはずの祖母が、なぜこんなにモノを溜め込んでいたのか。親戚一同で整理したものの、最終的に「ミナトが持っていく」という名目で、私のワンルームアパートに送りつけられた。
そして今日が、引っ越しの前日。
明日の朝9時に、大家さんが最終チェックに来る。
契約書の文面が、脳裏にフラッシュバックする。
『退去時、室内に私物が残っている場合、撤去費用として違約金3万円を請求する』
三万円。
私の一週間分の食費。いや、頑張れば二週間いける。そんな大金を、こんなゴミのために払うなんて——。
「絶対、ヤダ」
呟きながら、私は段ボールの一つを開けた。
中身は、古びた食器類。欠けた茶碗、錆びたフォーク、誰が使ったか分からない湯呑み。
「……全部、ゴミじゃん」
次の箱。古い服。昭和の香りがする、花柄のブラウス。
その次。意味不明な小物類。木彫りの人形、ガラス玉、錆びた鍵束。
「おばあちゃん、なんでこんなの取っといたの……」
感傷に浸っている時間はない。
とにかく、明日の朝までに、この全てを処分しなければならない。
粗大ゴミの回収は、朝9時。
それまでに集積所に出せば、無料で回収してくれる。
でも、この量を一人で運ぶのは無理だ。
というか、もう体力の限界だ。
「……そうだ」
私は、スマホを手に取った。
フリマアプリ。
最近流行りの、個人間売買サービス。
ここで「0円・送料込み」で出品すれば、誰かが引き取ってくれるかもしれない。
いや、引き取ってくれなくてもいい。とりあえず「出品中」にしておけば、大家さんには「これから送る予定です」と言い訳できる。
「我ながら、完璧な作戦……」
私は次々と段ボールを開け、中身の写真を撮りまくった。
適当に商品名をつける。
「アンティーク風・羽根飾り」
「レトロな砂時計」
「年代物の木彫り人形」
全部に「0円」のタグをつけて、一括出品。
商品説明は、テンプレートをコピペ。
『祖母の遺品整理中です。古いものですが、味があると思います。0円ですので、欲しい方はぜひ!送料はこちらで負担します』
投稿ボタンをタップ。
画面に「出品しました」の文字が表示される。
「よし……これで、とりあえず時間稼ぎは——」
ピロン♪
通知音。
「おっ、もう反応が?早いな」
ピロン♪ピロン♪ピロロロロン♪♪♪
「……え?」
スマホが、痙攣したように震え始めた。
通知が、止まらない。
1件、5件、10件、50件——。
画面を開くと、メッセージ欄が恐ろしい勢いで埋まっていく。
『天翔の羽根飾りを我が国へ!国家予算を用意します!』
『終焉の砂時計は人類の危機を救う唯一の希望……!どうか我々に!』
『破滅の鍵束、譲っていただけませんか!?大陸全土の命運がかかっています!!』
「……は?」
私は、目を擦った。
寝不足で幻覚を見ているのか。
それとも、変な詐欺サイトに登録してしまったのか。
メッセージは、さらに増え続ける。
そして——。
ドン、ドン、ドン!
玄関のドアが、激しく叩かれた。
2
「はい、はーい!今行きますー!」
私は慌ててドアへ向かった。
深夜1時に誰だ。隣の住人か?段ボールを運ぶ音がうるさかったかな。
ドアを開ける。
「すみません、音が——」
言葉が、止まった。
そこに立っていたのは、人間だった。
たぶん。
でも、その格好は——中世ヨーロッパの騎士?
全身を覆う銀色の甲冑。腰には立派な剣。兜の下から覗く、真剣な眼差し。
「……コスプレ、ですか?」
私の問いに、騎士は片膝をついた。
「我が名はゼルヴァード!聖剣の国・エルドランドが誇る第三騎士団長である!」
流暢な日本語。でも、抑揚がおかしい。まるで自動翻訳アプリみたいだ。
「あの、深夜なんですけど——」
「時間は惜しい!今すぐ、『天翔の羽根飾り』を我が国へ譲っていただきたい!」
騎士——ゼルヴァードは、私の目を真っ直ぐに見つめた。
「代金は、いかほどでも!我が国の国庫を全て差し出してもかまわぬ!」
「……えっと」
私は、スマホの画面を確認した。
確かに「天翔の羽根飾り」という商品を出品している。
写真を見ると——段ボールから出てきた、古びた鳥の羽根に針金を巻いただけのアクセサリー。どう見てもゴミだ。
「あの、これ、本当にタダでいいんですけど……」
「タダ!?」
ゼルヴァードの目が、見開かれた。
「そのような神器を、無償で!?これは我が国への天啓に違いない!」
「神器……?」
私が首を傾げた瞬間。
ドガァン!
後ろの壁が、粉砕した。
「きゃああああ!?」
3
石膏ボードと断熱材が、部屋中に飛び散る。
穴の向こうから現れたのは——もう一人の騎士。
いや、騎士団?
五人くらいの甲冑姿の男たちが、破壊した壁からなだれ込んできた。
「『終焉の砂時計』は、炎の帝国・ブラザムドが回収する!」
先頭の騎士が、剣を抜いた。
「エルドランドの犬どもめ、貴様らに神器を渡すわけにはいかん!」
「ブラザムド風情が!その砂時計は、我々が——」
「ちょっと!ちょっと待って!!」
私は二つの騎士団の間に割って入った。
「まず、壁!壁直して!これ、私の部屋なんですけど!?」
「「神器の前では、些細なことだ!」」
ユニゾン。
「些細って——」
その時、穴の向こうから声が聞こえた。
「うるせぇぞ、夜中に!明日仕事なんだよ!」
隣の部屋の住人——犬飼ケンジだ。
28歳、フリーター。YouTubeで配信をやっているらしいが、たぶん食えていない。いつも朝方まで騒いでいるくせに、人のことは言えないだろう。
でも、今は——。
「ケンジさん!助けて!変な人たちが——」
ケンジが、穴から顔を出した。
そして、固まった。
「……え、なに。コスプレイベント?」
「違います!本物の——」
言葉を続けようとした瞬間。
ガシャン!
玄関のドアが、内側から蹴破られた。
「うわっ!?」
今度は、紺色のローブを着た魔法使い風の集団。
「『破滅の鍵束』は、魔導連邦の手に!」
同時に、窓ガラスが割れる音。
「『永劫の水晶』!それは我が水の王国が——」
もう、何が何だか分からない。
私の1Kアパート、室内面積わずか20平米の空間に、総勢20人くらいの異世界人(たぶん)が押し寄せていた。
「おい、マジで何これ!?」
ケンジが、壁の穴から身を乗り出してきた。
「私に聞かないで!知らないから!」
「知らないって、お前が呼んだんだろ!?」
「呼んでない!フリマアプリに出品しただけ!」
「フリマ!?」
その時。
騎士たちが、段ボールに殺到し始めた。
「これが『天翔の羽根飾り』か!」
「こちらに『終焉の砂時計』が!」
「『破滅の鍵束』も発見!」
次々と、祖母の遺品が略奪されていく。
「ちょ、ちょっと!勝手に触らないで!」
私は必死で止めようとしたが、騎士たちの力は圧倒的だ。
そして——室内で、取っ組み合いの喧嘩が始まった。
「この神器は我が国のものだ!」
「いいや、我々が先に発見した!」
剣と剣がぶつかり合う音。
魔法(らしきもの)が飛び交う光。
「うわああああ!やめて!家具壊さないで!!」
私の小さな机が、真っ二つに割れた。
本棚が倒れ、漫画が散乱する。
冷蔵庫に、剣が突き刺さった。
「敷金!敷金が!!」
その時、私は決断した。
もう、どうにでもなれ。
「はい!はいはいはい!」
私は、一番近くにいた騎士——最初に来たゼルヴァードの手を掴んだ。
「あなた!『天翔の羽根飾り』欲しいんでしょ!?」
「お、おお!」
「あげる!あげるから!今すぐ持ってって!!」
私は、段ボールから羽根飾りを引っ張り出して、ゼルヴァードに押し付けた。
「本当か!?」
「本当!タダ!0円!送料もいらない!だから早く出てって!!」
ゼルヴァードは、羽根飾りを両手で掲げた。
「神器を手に入れたぞ!撤退だ!」
「「「おおおおお!」」」
エルドランドの騎士団が、雄叫びを上げて玄関から飛び出していった。
一瞬の静寂。
残った騎士たちが、私を見た。
「……他のも、欲しい?」
私の言葉に、全員が頷いた。
4
結局、その場にいた全勢力に、適当にアイテムを配った。
「はい、これ砂時計。これ鍵束。あ、水晶もどうぞ」
まるでバーゲンセールだ。
騎士たちは、感涙にむせびながら受け取っていく。
「神器を……こんなにも気前よく……!」
「新城ミナト殿!あなたのお名前は、歴史に刻まれるでしょう!」
「いいから早く帰って!お願い!」
私の懇願に、騎士たちは次々と撤退していった。
玄関から。窓から。壁の穴から。
そして——。
シーン。
部屋に、静寂が戻った。
いや、戻ったというより、残骸が広がっているだけだ。
壁には大穴。
ドアは蝶番から外れている。
家具は全滅。
「……終わった」
私は、その場に座り込んだ。
ケンジが、壁の穴から慎重に入ってくる。
「……おい、大丈夫か?」
「大丈夫なわけないでしょ……」
私は、崩れたテーブルに頭を乗せた。
「これ、修理費いくらかかるの……違約金どころじゃない……」
「っていうか、今のマジで何だったんだ?」
ケンジは、割れた窓から外を覗いた。
「甲冑着た奴らが、空飛んで帰っていったんだけど……」
「知らない」
私は顔を上げた。
「でも、とりあえず帰ってくれたから……もう終わりでしょ」
その時。
ブオオオオオオン……。
低く、重い音が響いた。
窓の外が、まぶしく光る。
「……なに、今度は?」
ケンジと私は、同時に窓に駆け寄った。
そして——息を呑んだ。
夜空に、浮かんでいた。
巨大な、飛空艇。
いや、空中要塞?
全長100メートルはあろうかという、金属製の船体。
両脇には、巨大な翼のようなもの。
船首には、竜の紋章が輝いている。
そして、その船体から——無数の光が降りてくる。
転移魔法陣。
アパートの駐車場に、次々と騎士たちが出現していく。
その数、100人以上。
「……嘘でしょ」
私の手から、スマホが滑り落ちた。
画面には、まだ通知が増え続けている。
未読メッセージ、999+。
ケンジが、呆然と呟いた。
「……これ、終わらないやつだ」
5
駐車場に集結した騎士団が、一斉にこちらを見上げた。
先頭に立つ、金色の甲冑を着た騎士が、拡声魔法(たぶん)で叫ぶ。
「新城ミナト殿!我が竜騎士帝国・ドラグーンは、全ての神器の譲渡を交渉したい!どうか、時間をいただきたい!」
「全部って……」
私は、部屋に残された段ボールを見た。
まだ、10箱以上ある。
「まさか、この中全部が……」
「神器、ってやつか?」
ケンジが、恐る恐る段ボールの一つを開けた。
中から出てきたのは、古びた木彫りの人形。
その瞬間——人形が、淡く光った。
「うおっ!?」
ケンジが飛び退く。
人形の周囲に、文字のようなものが浮かび上がる。
読めない。古代文字?ルーン文字?
「……マジで、全部そうなんだ」
私は、他の段ボールも次々と開けた。
ガラス玉——光る。
錆びた鍵——光る。
欠けた茶碗——光る。
全て、神器(らしい)。
「おばあちゃん……一体、何者だったの……」
私は、祖母の遺影を探した。
でも、写真立ては割れて、床に散らばっている。
その時、ドアの前に人影が現れた。
「交渉の時間を——」
「無理!」
私は即答した。
「もう、全部持ってって!タダでいいから!今すぐ!」
金色の騎士——ドラグーンの将軍らしき人物が、目を見開いた。
「本当ですか!?」
「本当!だから早く——」
私の言葉を遮るように、スマホが再び震えた。
着信。
発信者名:大家・田中。
時刻は、午前2時。
「……最悪のタイミング」
私は、震える手で電話に出た。
「もしもし……」
『新城さん!今、アパートの前、何事ですか!?』
大家の怒声。
『警察呼びますよ!?あと、その騒音、近隣住民から苦情が——』
「すみません!すみません!今すぐ片付けます!」
『片付けるって!あと7時間で退去ですからね!?もし間に合わなかったら——』
「違約金、分かってます!絶対、間に合わせますから!」
私は電話を切った。
そして、金色の騎士を見た。
「全部、持ってけますか?今から7時間以内に」
「7時間……」
騎士は、部下たちと相談し始めた。
「この量なら、3往復は必要だ」
「輸送魔法を使えば——」
「いや、神器の転移は危険だ。物理的に運ぶしかない」
彼らの会話を聞きながら、私は段ボールをまとめ始めた。
ケンジも、呆れた顔で手伝ってくれる。
「お前……本当に、どうしてこうなった」
「知らないって言ってるでしょ!」
私は、段ボールをガムテープで補強しながら叫んだ。
「ただ、フリマアプリに出しただけなの!」
「フリマアプリが異世界と繋がってるわけないだろ!」
「じゃあ何!?説明してよ!」
その時、私の手が止まった。
一つの段ボールの底に、何か固いものが当たる。
取り出すと——古い、革張りのノート。
表紙には、見慣れない文字で何か書かれている。
「……日記?」
ページを開く。
最初の数ページは、やはり読めない文字。
でも、途中から——日本語になった。
『この力を、孫には継がせたくない』
祖母の、筆跡。
「おばあちゃん……」
私は、次のページをめくろうとした。
その瞬間。
ゴミ袋が、光った。
6
私が適当に詰め込んだ、45リットルのゴミ袋。
その中の「神器」たちが——一斉に発光し始めた。
赤、青、緑、金、紫……。
七色の光が、袋を透過して部屋中を照らす。
「うわっ、まぶしっ!」
ケンジが目を覆う。
駐車場の騎士たちも、どよめいた。
「神器が共鳴している……!」
「まさか、あれほどの数を一箇所に!?」
金色の騎士が、私に向かって叫んだ。
「新城ミナト殿!それは危険です!神器同士が干渉し合うと——」
その言葉の続きを聞く前に。
空が、割れた。
いや、空間が、だ。
夜空に、巨大な亀裂が走る。
その向こうから——何かが、覗いている。
巨大な、眼。
「……なに、あれ」
私の声が、震えた。
眼が、こちらを見ている。
そして——笑った。
声なき笑い。
でも、確かに笑っている。
金色の騎士が、剣を抜いた。
「まずい!『彼方の監視者』が目覚めた!」
「彼方の……何?」
「神器を狙う、異界の存在です!このままでは——」
轟音。
空間の亀裂が、さらに広がる。
そこから、黒い触手のようなものが伸びてきた。
「きゃああああ!」
私は、ゴミ袋を抱えて後ずさる。
触手が、アパートの屋上に激突。
建物全体が、揺れた。
「もう、ヤダ……!」
私は、叫んだ。
「全部!全部持ってって!今すぐ!!」
金色の騎士が、号令をかけた。
「総員、神器回収を最優先!急げ!」
「「「了解!」」」
騎士たちが、一斉に動き出す。
窓から、壁の穴から、次々と侵入してくる。
段ボールを抱えて、飛空艇へ運んでいく。
その間も、触手は襲い続ける。
でも、騎士たちの連携は見事だった。
前衛が触手を斬り、後衛が神器を運ぶ。
5分。
10分。
そして——。
「最後の一箱、確保!」
「撤退!」
騎士たちが、次々と転移魔法で消えていく。
金色の騎士が、最後に私に向かって叫んだ。
「新城ミナト殿!あなたの寛大さ、決して忘れません!」
そして、彼も消えた。
触手が、神器を失った部屋に侵入しようとする。
でも——神器がないと分かると、動きを止めた。
そして、空間の亀裂と共に、消えていった。
静寂。
今度こそ、本当の静寂。
ケンジと私は、呆然と立ち尽くしていた。
私の手元には、空になったゴミ袋だけが残っている。
「……終わった?」
「……たぶん」
ケンジが、床に座り込んだ。
「お前……マジで、なんなんだよ」
「知らない……」
私も、座り込む。
部屋は、壊滅状態。
壁には穴。窓は割れ。家具は全滅。
「修理費……いくらかかるんだろう……」
「考えたくもないな」
その時、ケンジのスマホが鳴った。
彼は画面を見て、顔を青ざめさせた。
「……おい」
「何?」
「Twitter、めっちゃバズってる」
「え?」
ケンジがスマホを見せてくれた。
画面には、私のアパートの写真。
そして、飛空艇と触手のハッシュタグ。
『#謎の飛行物体 #東京上空 #UFO?』
リツイート数、10万超え。
「……最悪」
私は、頭を抱えた。
でも、次の瞬間。
スマホが、また震えた。
フリマアプリの通知。
『【重要】出品した商品について、複数の購入希望者から連絡が来ています』
メッセージ欄を開くと——。
未読、2000+。
「……まだ、終わってないじゃん」
私の呟きに、ケンジが答えた。
「……これ、絶対、終わらないやつだ」
窓の外。
東の空が、わずかに白み始めている。
スマホの画面に、カウントダウンが表示された。
大家さん来訪まで、残り時間——。
残り11時間50分
そして、遠くの空に——新たな飛空艇の影が、複数見えた。
第1話 了
次回:第2話「残り11時間――違約金 vs 世界の危機」
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