第11話 パンくずが残した、温かい記憶のログ
オフィスのLED照明が柔らかく照らす中、けいこはキーボードを軽く叩きながら、画面に映るコードやログを確認していた。
Apple Watchのポモドーロ・タイマーが、休憩を促す通知を出す。軽くスヌーズして、もう少しだけ集中する。
午前中の作業は順調だった。とはいえ、エラー表示やログの文字列に没頭するあまり、少しだけ息が詰まるような感覚もある。
窓の外を見やると、街の喧騒が淡く流れていく。
こんな日常の一瞬が、けいこにとっては心地よいリズムだった。
モニターの右下に新規メールのお知らせ。
画面を見ると——件名:「システム開発部 新規案件の打ち合わせについて」
数日後に予定されている打ち合わせのメールだった。
内容は、銀行系の新規システム『SmartBank+』(仮称)の全国展開プロジェクトのようだった。
けいこの胸が少し高鳴る。
なになに……AIアシスタントが膨大なデータを解析し、支出や資産運用の提案まで自動で行う。未来の銀行業務……とな。
ふー、と小さく息を吐き、わずかに手に汗を握る。
銀行系のしかも、全国規模のシステムに関わることを思うと、ワクワクと緊張が同時にやってくる。
(ふう…また忙しくなりそうね。)
昼休みのチャイムが鳴る。
けいこはデスクから立ち上がり、バッグを肩にかける。
向かうのは、いつものカフェ。
少し歩くだけで、肩の力が抜けるのが分かる。
カフェの窓際の席に腰を下ろすと、温かいパンの香りが鼻をくすぐった。
奥からはコーヒー豆の香ばしい香りも混ざり、微かに甘いバニラの匂いが漂っている。
今日の日替わりパンは、デニッシュペストリー。
手でちぎって口に運ぶと、焼き立てのバターの香りが広がり、思わず目を細める。
——そして、うっかりパンくずがテーブルに落ちた。
テーブルに落ちたパンくずを見て、瞬間的にふと今朝の出来事を思い出した。
——駅前で出会ったあの男性。
口元にパンくずがついていた。
彼は慌てることもなく、ただ自然に歩いていた。
とってもいい匂いがしていた。
何度か見かけた事はあるけれど、今日の彼は、いつもより少しだけ目に焼きついた。
「……やっぱり」
胸の奥がわずかに熱くなる。
パンくずをティッシュで拭いながら、けいこは微笑んだ。
あの無防備な横顔と、無意識の仕草が、なぜか心に残る。
コーヒーを口に含むと、温かさが午後の自分を支えてくれる。
そして資料に目を戻すも、心の片隅に、あの人のことがちらついて離れない。
外の光が少し傾き始める頃、けいこは深く息を吐き、午後の仕事に向き直った。
新規案件の件も頭の片隅に置きながら、少しだけ心が高鳴っている。
今日という一日が、なんとなく特別に思える——そんな気持ちを胸に秘めて。
【作者より大切なお知らせ】
いつもご愛読いただき、誠にありがとうございます。
この作品は、このエピソードをもって連載を終了とさせていただきます。
今後、テーマをより深く、表現の幅を広げて追求していくため、活動拠点を移すことになりました。
今後の活動先と、作品の続きにつきましては、作者のプロフィール欄をご確認ください。
これまで応援してくださったことに、心より感謝申し上げます。
Lumièreリュミエール
食パンとApple Watch Lumière @wattark6
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