第8話 壁を照らす光と、Apple Watchの1秒

朝。

目覚ましの音よりも先に、手首の震えで目が覚める。

Apple Watchが静かに光り、心拍を測定する画面が映る。


「おはよう、今日も予定通り」

彼女は独り言のように呟いて、ゆっくりとベッドから体を起こす。


部屋はまだ薄暗い。

カーテンを開けると、ビルの間から差し込む光が、

まるでリズムを刻むように壁を照らしていた。


歯を磨きながらニュースを流し、

ドレッサーの前で髪をまとめる。

すべての動作が、テンポの良い曲のように正確だ。


冷蔵庫から取り出したのは、昨夜のままのミネラルウォーター。

トーストの代わりにプロテインバー。

画面を見なくても、Apple Watchが朝の予定を読み上げてくれる。


「8時07分、出発」

音声アシスタントの声に合わせて、彼女はAirPodsを装着する。

いつものLo-fiが流れ、世界が柔らかくフェードインする。


玄関の鏡で軽く口紅を直す。

Apple Watchの画面が光り、「心拍数、正常です」と表示される。


完璧。

それが、彼女の朝の合言葉。


———?


Apple Watchの画面の隅で、数字が一瞬だけ乱れた。

すぐに戻ったから、気づかなかった人もいるだろう。

けれど彼女は、それを見逃さなかった。


玄関を出て、スマートロックが自動で閉まる音がした。

街はいつもどおりに動いている。

同じ道、同じ風、同じテンポ。


……なのに、心のどこかで引っかかる。


「なんだろう」

自分でもわからない。

けれど、何かが微かにズレている。


駅へ向かう足取りが、

わずかに早くなっていた。

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