第5話 電波の届かない瞬間
光の粒が、朝の空気を舞っていた。
湿り気を帯びた風が頬を撫で、街のざわめきがまだ柔らかい。
あと5メートル。
2人の足音は完全に重なり、まるで同じ鼓動がひとつの街を刻んでいるようだった。
そのとき、彼女の手首が突然、震えた。
Apple Watchが短く振動し、画面に赤い文字が浮かぶ。
「接続が切れました」
「心拍数を検出できません」
彼女は思わず立ち止まり、手首を見つめる。
さっきまで動いていたはずの光の粒が、消えていた。
何が起こったのか理解できずにいると、横から穏やかな声が落ちてきた。
「……どうかされました?」
声の主は、ネクタイを締めた男。
片手にかばんを持ち、もう片方で風を避けるように前髪を押さえていた。
彼女は少し戸惑いながら、
「時計が、止まっちゃって……」
と答える。
その言葉のすぐあと、Apple Watchが再び震えた。
「心拍数、正常です」
無機質な電子音声が、妙に間の抜けたタイミングで響く。
彼は少しだけ口元をゆるめて、
「よかった」
とだけ言い、信号の向こうへ歩き出した。
ほんのり甘くて優しい香りと共に。
風がまた動き始め、光の粒がふわりと舞う。
彼女はその背中を見送りながら、息をひとつ、ゆっくり吐いた。
ほんの数秒の出来事なのに、胸の奥が、まだざわついている。
さっきの男の顔が、ふと脳裏に浮かぶ。
ネクタイを締めたまま、少し寝癖の残った髪。
香水?柔軟剤?のような優しくて安心する香り。
――そして口の端に、
小さなパンくずがついていた。
なんでそんなところ、覚えてるんだろう。
思い出した瞬間、少しだけ笑ってしまった。
まるで時間が一瞬だけ、
同期したみたいに。
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