web小説を極めたい

シンリーベクトル

第1話 風景から入らない

 Web小説の掴みとベクトル構造 ― 「理解」より「同期」を先に


Web小説の世界では、読者は“まだ読んでいない段階”で作品を選んでいる。

ページを開いて最初の三行――その瞬間に掴まれなければ、

どんなに優れた理論や伏線があっても、二度と戻ってはこない。


この構造を、サイサイセオリーのベクトルで見直すと、

なぜ「風景や説明(ラーニン)」からの導入が致命的に不利かがはっきり見えてくる。



◆ 1. 読者は“観察者”ではなく“漂流者”

紙の小説の読者は、すでに「読む」と決めて本を開いている。

だから多少の風景描写や説明にも付き合える。

彼らはラーニン(理解)に時間を割ける観察者だ。


だがWebの読者は違う。

彼らは「いま何か面白いものを探している漂流者」である。

つまり、読む態勢が整う前に文章に触れる。


この状態で「理解させる」文章は、摩擦にしかならない。

まだラーニンのスイッチが入っていないのだ。



◆ 2. ラーニン導入は静止ベクトル

風景描写、世界設定、歴史の説明――

これらはすべてラーニン(理解)のベクトルに属する。

それ自体は悪ではない。だが、ラーニンは動かない。


ラーニンが働くとき、読者は“考える”状態に入る。

だが「考える」より先に「感じたい」とき、

静的な情報はストレスとなり、ドレイン(消耗)を起こす。


空が青い。風が吹いている。

──その瞬間、指はスクロールしている。


Webの読者は、動かない世界にとどまらない。



◆ 3. 掴みはライフとユナイトの発火点で作る

Web小説の冒頭で必要なのは「理解」ではなく「没入」。

つまり**ライフ(行動)とユナイト(共感)**の同時点火だ。


「俺は昨日、死んだ。」

「王様を殴ったら、今日から勇者になった。」

「彼女を助けたのは、世界が終わる五分前だった。」


これらの文には、説明がない。

でも読者は「え?」と反応し、感情と予測が同時に走る。

ラーニンは後から追いつく。

順序は常に、感じる → 理解する。



◆ 4. 風景や設定は「帰属のあと」でいい

ユナイトが起きたあとに描かれる風景は、

すでに“主人公の視点”を通して見える世界になる。

つまり、客観情報ではなく主観的ラーニンになる。


「俺は死んだ。

冷たい床の感触が、まるで誰かの手のように優しかった。」


ここでの「冷たい床」はただの風景ではない。

ユナイト後に見える、心情を映す世界である。

この順序こそ、物語を“動かす風景”の使い方。



◆ 5. 結論:Web小説の読者は「共感を起点に学ぶ」

Webの読者は、理解から入らない。

まず共感で入り、理解で定着し、安心で滞在する。


だから冒頭で必要なのは説明ではなく、動きと心。

ユナイトとライフのベクトルを立ち上げたあとで、

ようやくラーニンを流し込む。



Web小説の第一行は「感情の点火装置」である。

理解させようとするな。感じさせろ。


読者がまだ“選んでいない”その瞬間に、

彼らを物語の中に引き込めるのは、

ラーニンではなく、主人公とユナイト(同期)する事です。

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