悪役令嬢の娘である私は身分を隠して学園生活を送るも腹黒王子にバレてしまい……

赤城ハル

邂逅

 失敗したかも。

 休日の今日、街付近の丘で読書をしていた私は街に大型の鳥モンスターが現れたということで念の為に避難を始めた。その最中に川で水蛇に襲われている男性を見つけて救助。

 人を助けることは間違ってはいない。

 けど、助けたのが第三王子ウィリアム・ディプトリー・ゴッドハルドだったとは──。

 いや、それでも普通ならば喜ばしいことだろう。なんといっても王子だ。王族を助けたとなると褒美や表彰を貰えるかもしれない。

 でも、私にはそれはことだった。

「大丈夫ですか?」

 背中を叩いて、水を出してやる。

 ウィリアム王子はゲホッと水を口から吐き出す。

 人の足音を感じてそちらへと振り向くと、騎士団が王子の名を叫び、こちらへと向かってきている。

 私は立ち上がり、川辺に置いたバッグを取り、この場を去ろうとした。

「君……名は?」

 ウィリアム王子がうっすらと目を開けて私に尋ねる。

 けれど私は名乗らずにこの場を駆け足で去る。

 私は名乗ってはいけないのだ。

 だって私は悪役令嬢の娘だから。


  ◯


 家に帰ると使用人のティモシーがずぶ濡れの私を見て驚く。

「なんですか? 一体何が?」

「それはね、さっき街に──」

「バスタオル持ってきますから」

 ティモシーは奥へと向かった。

 そしてすぐにバスタオルを持って戻ってくる。

「ありがとう」

「お嬢様、すごいずぶ濡れじゃないですかー。服を脱いでください。何があったんです?」

「ああ、うん。実は──」

「そうだ。お風呂入ります?」

「そうね。今日は早く入ろうかしら」

 ずぶ濡れで冷え込んでしまっているからお風呂で体を温めたい。

「すぐ沸かしますね」

 そう言ってティモシーはお風呂場に向かう。

 私はバッグを椅子の上に置いた。そして中身は確認。濡れてはいないから大丈夫だと思うのだけど。

「あっ!?」

 本が無かった。図書館から借りた本。

 私は記憶を辿り、本の行方を思い出す。

 私は丘の芝で本を読んでいた。そして街に巨大モンスターが現れたと聞いて、私はバッグと本を持って一応避難した。巨大なモンスターが現れたら小型のモンスターも現れる可能性が高いから。

 それから私は川で水蛇と青年の影を見た。バッグと本を置いて──。

「そっか。戦闘後にバッグだけを拾って──」


  ◯


「どうですか? 湯加減は?」

 家の外で薪を焚べて湯を沸かしているティモシーが尋ねる。

「ちょうど良い湯加減よ」

 私は風呂場から外のティモシーに向け、大声で返事をする。

「それでどうしてずぶ濡れだったんです? 街は雨が降っていたんですか?」

「違うわ。人助けしてね?」

「人助け?」

「ええ。実は街でモンスターが現れてね」

「まさか戦ったんですか!?」

「ええ。でも、人には見られてないから。大丈夫よ」

「見てた人いるかもしれませんよ」

「大丈夫。戦ったのは街ではないから。初めはね、街に大鳥型のモンスターが現れて、それを騎士団が討伐してたの」

「騎士団? 街にですか?」

「ええ。第三王子がいるからでしょうね」

「ああ。学園内にいるそうですね」

「それでその時、私は街から少し離れたところにいてね。それで街にモンスターが現れたから一応避難したの。そしたら川辺で水蛇に襲われている男性を見つけて救助したの」

「それでその水蛇を倒したと」

「ええ。それでずぶ濡れ」

「その相手の方は?」

「生きてる。肺に水が入ってたけど、私が背中を叩いたら水を吐いた。意識は朦朧としているから私の顔はよく覚えてないはず。その後すぐに騎士団が来て、私は去ったの」

 ま、仮に顔を覚えていてもあの時はメガネも外していたし、三つ編みも解けていたから学園で会っても私と気づかないはず。


  ◯


「いいですか! 決して身分がバレるようなことをしてはいけませんよ!」

 夕食の席でティモシーが注意してきた。

 先程は外の人に聞こえる可能性があったから、すぐに切り上げたのだろう。

「分かってるわ。バレないように心がけている。今日のは不幸な事故よ」

 そう言って私はシチューを食べる。

「女の子なんですから見て見ぬふりをしてもお咎めはなかったのでは? 相手はあの水蛇なのでしょ?」

 水蛇は大きいだけでなく川の中では厄介な存在。

「でも、さすがに見て見ぬふりはね……」

「単独で倒したとなると注目されますよ」

 そう言ってティモシーは肩を落とす。

「ま、向こうは私の正体が分からないから平気よ」

「もしお嬢様がロザリア様の娘とバレると……」

「大丈夫よ。レイヴンハート家とバレるようなことはないから」


  ◯


 16年前、母が私を身籠っていた頃だ。母はある容疑で官憲に捕まった。

 それは──前王の殺害で。

 母は無実であると切実に訴えていたが、母の言葉はことごとく無視されて、とんとん拍子に裁判も執り行われることなく判決が下された。

 しかもその判決を下したのが裁判長でもなく神官だった。

 それでも母は訴え続けた。自分は無実だと。

 それに腹を立てた神官は、なんと母のギロチン処刑の前に父を処刑。

 母は泣き叫んだ。

 目の前で愛する夫が処刑されたのだ。

 神官は笑った。

「これはお前のせいだと」

 母は怒った。目を尖らせ、神官を睨む。

 そして言葉を吐く。

 無実を? いや、呪いを。

 神官、前王の妃、貴族、王妃、第一王子を。

「呪ってやる。絶対に許さない。呪ってやる。必ず。お前達を絶対に呪ってやる」

 母が叫ぶと天候が荒れた。もともと空一面がにび色の曇り空だったが、まるで夜になったといわんばかりに雲が黒くなった。

 暴風が王都を薙ぎ、大雨が処刑場に集まった民衆を叩いた。雷は空を割らんばかりに鳴り響き、稲妻が王都に落ちる。

 急な天候に処刑は中断。

 けれど、母の呪いは王都に木霊した。例え、暴風、大雨、雷鳴、民衆達の悲鳴が空に響こうが母の呪いは民衆や神官、王族、貴族の耳に入る。

 その呪いはまるで記憶に刻み込まれるかのように強く強く残る。

 その後、母が恨んだ相手は次々と謎の不審死を遂げた。

 するとどうだろう、貴族達は恐れたのだ。

 このまま処刑すると自分達も呪われるのではないのかと。

 この時、第二、第三王子しか生まれていなかったため、王も今後の世継ぎのことを考え、処刑を遅らせた。

 母は塔に幽閉され、私は塔の中で産まれた。

 私が物覚えがつく頃に幽閉が秘密裏に解かれ、母は実家のある伯爵領に戻った。

 その頃、王都では母が死んだという誤報が流れた。

 祖父は母と私を屋敷の離れに住まわせることしにした。

 でもそれは王との密約でもあったのだろう。

 母が亡くなったことにし、幽閉を解く。その代わりに人目のつかない生活を送らせるようにと。


 そして3年前に母は病死し、私は今年、身分を隠して王立魔法学園に入学した。


  ◯


 翌日、私は学園に向かう途中、川辺を捜索して置き忘れた本を探した。

 まるで戦闘の跡なんてないかのように川は清らかに澄んでいた。川面が鱗のように朝日を反射して輝いている。

「……ない。この辺りのはずなんだけど。風……川に流された?」

 これは弁償かな。

 街でも流通しているフィクション作品のためそれほど高くはないけど。

 紛失届に名前を書かなくてはいけないだろう。

 なるべく表に自分の名が残らないようにしないといけないのだけど。

「こればっかは仕方ない……かな」


  ◯


「申し訳ございません。お借りした図書を紛失しました」

 昼休み、私は王立魔法学園メルギドの図書館で司書のセントワールさんに事情を話して、お借りした図書を紛失したむねを伝えた。

「そうですか……マリー・ギブソンさん、こちらに」

 マリー・ギブソンとは私の偽名。レイヴンハート家であることを隠すためギブソンの名をかたっている。

 私はセントワールさんにいざなわれて奥の司書室へ通された。

 司書室で紛失届に学籍、名前、紛失日、概要欄に記入した。

「弁償でしょうか?」

「まあ、フィクション作品ですし……ギブソンさんは初めての紛失ということもありますから……特にお咎めはないでしょう」

 それを聞き私はほっと息をついた。

「そうですか」

「それに理由も避難中のことですからね」

「はい」

 ここは嘘の理由を書くべきだったかな?

 司書室を出て、私は学園の庭に向かう。

 そして小さい東屋で私は手持ちのサンドウィッチを食べる。

 ここ王立魔法学園メルギドは貴族の子息や令嬢が通うため、なるべく顔を合わせないように私は食堂やカフェテラスを避けて、庭の小さい東屋で昼食をとっている。

「おや? こんなところで食事かい?」

 ここには誰もいない。そして誰も私には関心を持たないと考えていたから、急に声をかけられて私は驚いた。

 私はむせて胸を叩く。

「ごめんよ。驚かせるつもりはなかったんだ」

 誰だと声の主へと振り向くと、そこには第三王子の姿があった。

 金髪碧眼。そして整った顔立ちがすぐ近くに。はにかむ笑顔は素敵で胸がドキドキする。

 そして第三王子の後ろには男子生徒の従者もいた。

「こ、これは殿下。……な、何用でございますか?」

 私はおそるおそる尋ねる。

「昨日の件だよ」

「昨日の件? なんのことでしょうか?」

「殿下。やはり人違いでは? 聞いていた人相と違います。本もきっと別人の物です」

 後ろの従者が言う。彼は黒い髪と垂れ目がちな目を細め、私を訝しんでいる。

「本?」

 まさか昨日、置き忘れた本? でも、名前なんて書いてないし。

「実は昨日、私を助けてくれた人がいてね。その人が本を置き忘れたんだよ」

「へ、へえ」

「それで本を調べると奥付けにスタンプがあってね。それで学園ここの図書だってことがわかったんだ」

 第三王子の顔がぐっと近づく。

「さっき司書に聞くと、どうやら君が昨日紛失したものだってのが判明」

「ええと、はい、そうです。紛失しました。モンスターが出たとかで、慌てて避難してた時に落としてしまったんでしょうね」

「実は昨日、水蛇に襲われてね」

「それは大変でしたね」

「その水蛇から私を助けてくれた人がいたんだ」

「へー」

「君だろ?」

「ち、違います」

「嘘をつくのはいけないな」

 第三王子は私のメガネを外した。

「で、殿下!?」

 さらに三つ編みをほどかれた。

「ほらガッツ、そっくりだろ」

「……ええ」

 ガッツと呼ばれた従者の方は驚いたまま頷く。

「これは度のないメガネだね」

「……ファッションでありまして」

「大きくて丸レンズのメガネが?」

「文学少女的と言いますか……」

「三つ編みも?」

「はい。文学少女的と言いますか……」

「俺には根暗女子に見えるが」

 従者が眉を曲げて言う。

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