銀杏並木の端

きこりぃぬ・こまき

銀杏並木の端

 十月が終わる頃、通学路の銀杏並木が黄金に燃える。

 夏の暑さをすっかり忘れたように冷え込む朝、黄金色に染まったアスファルトの感触を確かめるようにゆっくりと歩く。

 枝から伸びる輝く葉は朝日を跳ね返し、風が吹くと輝く無数の金片がふわりと舞う。

 この時期にしか見られない幻想的な景色を青年は好んでおり、銀杏並木が黄金に燃えている間はいつもより早起きして家を出ている。


「なあ、知ってるか?」

「何が?」

「黄金に燃える銀杏並木の噂」


 その噂が青年の耳に届いたのは十一月に入ってすぐのこと。

 朝日を浴びる銀杏並木の写真を待ち受けにした青年のスマホを見て、噂を思い出した同級生が語った。


「銀杏並木の端に立つと連れていかれるんだとよ」

「誰に、どこへ」

「さあ」

「さあって」

「とにかく、銀杏並木が黄金に燃えている間は端に立っちゃ駄目なんだとよ」

「ふうん」


 具体的なところが何一つとして見えないところが、それらしい話だ。

 教室内に響く笑い声に紛れた同級生の噂話に適当な相槌を打ってスマホの中に切り取った銀杏並木を視線を落とす。


「そういえばこんな話を聞いたことあるな」

「お、なんだなんだ?」

「銀杏並木は気付いたらできていたって話」

「気付いたらってそんなはずあるかよ〜。だって結構な量だぜ」

「だと思うよな。でも、誰かが植えたわけでもない。ふと見たら銀杏の木が1本また1本と増えて……」

「それって……連れていかれた奴が銀杏の木になったとかそういう落ちじゃ」


 青年の話に耳を傾けていた同級生がごくんと喉を鳴らす。二人の間に沈黙が流れ、四つの目が銀杏並木の写真に釘付けとなる。

 沈黙を破ったのは休み時間の終了を知らせるチャイムの音だった。

 はっと我に返った二人は忘れていた呼吸を繰り返し、新鮮な酸素を肺に送り込もうとする。


「なーんてな」

「え、何。俺の話に便乗した作り話?」

「おう」

「なんっだよ、もう! びびらせやがって!」

「先に変な噂話したのはそっちだろ。俺、毎日あそこ通るんだからな」

「はは、悪かったって」


 学校の怪談並みにあるような与太話。

 しかし、同級生をからかって話を終わらせた青年の耳には銀杏並木の端という言葉がこびりついていた。






 いつもより部活が早く終わり、十月の終わりにしては空が明るい時間だった。

 青年が銀杏並木のところまで来たときには夕日は沈みかけ、赤々とした空に銀杏並木は焼かれていた。

 しんと冷えて静かな朝とはがらりと変わる表情も青年がこの銀杏並木を好む理由の一つであった。


「銀杏並木の端」


 幻想的な景色をぼうっと眺めながら道の中央を歩く。その最中に今日の昼休みに上がった話題をふと思い出した。

 平和な毎日にちょっとした刺激を求めて誰かが流した作り話だろう。便乗してでっちあげた話を語った自分のように些細な噂に面白半分の尾鰭がついて膨らんだのだろう。

 そう考えていても、一度耳に入れてしまえば気になるというのが人の性。青年は引き寄せられるように銀杏並木の端に歩を進める。


「きみの番じゃないよ」

「え」

「だからダメだよ」


 あと一歩で端に立つ。片足が地面を離れる寸前、背後から声をかけられる。少年のような、老婆のような、青年のような、幼女のような。幾重にも重なった不思議な声にぞっと背筋が凍った。

 青年が慌てて振り返るが、そこには誰も立っていない。目に入るのは夕日に焼かれた黄金のトンネルのみ。


「気のせい、か?」


 そうするには青年の行動を制止した声が耳の奥に残っている。しかし、辺りを見渡しても人影一つ見つからないので、気のせいとしか言いようがなかった。

 視線を銀杏並木の端に戻す。先程は気付かなかったが、地面に敷かれた銀杏の葉の一部分が枯葉のように変色している。

 ――まるで、人の影のようだ。

 そう思うが、口にするのは憚られた。ごっくんと唾液とともに言葉を呑み込み、代わりの言葉を吐き出す。


「腹減ったし、家に帰ろう」


 その日の夜、同級生から自撮り写真を添付したメッセージが届いた。

 やっぱり、噂は噂だな! そう書かれた文章の下に続くのは、銀杏並木の端でピースをしている同級生の写真。ちょうど、青年が立とうとしていた位置である。

 なんとなく、同級生の足元を拡大してみた。見える範囲だが、枯葉のように変色した銀杏は一枚もない。それに引っ掛かりを覚える、胸の内がざわついた。

 同級生から噂話を聞いてから、そしてこの写真を見てから、ぐるぐると渦巻く不快感はなんだろう。言語化できないものに青年は大きく溜め息を吐き、拡大した写真を2回タップしてもとの大きさに戻す。


「な、なんだよ、これ!」


 大きさを戻した同級生の写真に異変が生じていた。

 同級生の頬はひび割れるような影が走っており、よく見るとひび割れた影は樹皮の筋のようだった。真っ直ぐな鼻筋は捻じれた幹のように歪み、にっかりと細められた目には洞のような空洞となっている。

 同級生の足元には枯葉色の銀杏の葉が広がっており、蔓のように足首に絡みついている。


「……悪趣味な加工だな」


 青年は口にした言葉をそのまま打ち込んで返信するが、既読が付くだけで同級生からの返信はない。

 送るだけ送って何もなしかよ。額に滲んだ嫌な汗を拭って溜め息を吐き、早鐘を打つ心臓を宥める。黒くなった画面をしばらく眺めてからスマホを枕元に投げ捨て、布団の上に倒れこんだ。





「え。あいつ、今日も休みなの?」

「風邪をこじらせたって話だぜ」

「寒くなってきたもんな」

「けど、さっき職員室で先生たちが話してたんだけどさあ」

「なに?」


 同級生から得体の知れない写真を送られてから一週間。彼は学校を休んでいた。体調を心配して何度かメッセージを送っているが返信はなく、昨日から既読もつかなくなった。

 写真の件もあり不安を煽られる。青年が表情を曇らせていると、職員室で聞いた話について声を潜めて教えてくれる。


「あいつ、行方不明らしいぜ」

「は」

「しかも、あいつの部屋、黒く焦げた銀杏の葉で埋め尽くされていたんだと」

「銀杏の葉って……」

「不気味だよなあ」


 青年の頭に例の写真が過り、ぞっと背筋が凍る。震えた指先で同級生とのメッセージ画面を遡れば、不気味な写真は削除されていた。

 いつの間に削除したのだろうか。じっと見つめていると、ぴこんと動画を添付したメッセージが送られる。再生するか悩んでいると始業のチャイムが鳴ったので、鞄の中に片付けて教科書を机に並べる。


「……俺の番じゃないって、もしかして」


 黄金に燃える銀杏並木の噂を話したあの日、耳の奥に響いたあの声を思い出す。幾重にも重なった声を思い出すのも恐ろしく、思い出さないようにしていた。しかし、同級生の状況を聞いて、恐怖心を更に煽る考えが頭を掠める。

 あの日、同級生に聞かされた噂話。それに応戦するように語ってみせた作り話。そんな馬鹿なことがあるかと吐き捨てたいが、そうするには不気味な出来事が続いている。

 これ以上何も考えたくない一心で教師の話に耳を傾け、教科書に視線を落とす。しかし、どれだけ集中しようとしても耳の奥にガサガサと葉を踏みしめる音が響いていた。





 今日ばかりは避けたいと思っても、青年が家へ帰るためには銀杏並木を通過するしかない。

 夕日に焼かれた銀杏並木は黄金に燃えるというよりも、血に塗れているように見えた。いつも抱く美しいという感動はなく、恐怖心に背中を押されて走り抜けたい衝動に駆られた。

 はっはっと浅くなった呼吸を繰り返し、肩にかけた鞄を握り締める。周りに人がいないことを確認したら、ぎゅっと目を瞑って無心で地面を蹴る。


「ひっ、あ、ああああああ!」


 背後に誰もいないことは確認していた。しかし、すぐ後ろから、ザクザクと青年に合わせたもう一人の足音が聞こえてきた。

 これに捕まってはならない。本能が警鐘を鳴らし、青年は目を開くことなく真っ直ぐ走り続ける。

 青年の影を踏むようにぴったりとついてくる足音はどんどん大きくなり、ざらりとした息遣いまで耳元に聞こえてきた。

 悲鳴を上げても速度を落としてはならない。部活で疲れた足を必死に動かしていると、ぐるりと足首に何かが巻き付く感覚に襲われる。そのままくんっと引っ張られ、バランスを崩して青年は転ぶ。


「あ、あ、ああ」


 後ろを振り返るなんて恐ろしくてできない。大粒の涙をぼたぼたと落としながら這いずるように前に進み、転んだ拍子に鞄から飛び出たスマホに手を伸ばす。

 指先が画面に触れた。次の瞬間、少年のような、老婆のような、青年のような、幼女のような。幾重にも重なった不思議な声がスピーカーから聞こえてくる。


「今年はきみの番だよ」


 その声を合図に、スピーカーから、そして背後からひび割れた絶叫が上がる。赤に焼かれた黄金のトンネルに反響し、青年は咄嗟に耳を塞いで身体を丸める。

 夜の帳が下りた頃、青年はようやく顔を上げる。辺りはしんと静まり返っており、誰もいない。

 あれは夢だったのだろうか。未だ早鐘を打つ心臓に吐き気を堪えながら立ち上がり、鞄を拾う。

 そして、視界に入り込んできた銀杏並木の端に夢でないことを理解する。


「来年は、誰の番?」

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