第二十四章:見えざる敵の証明
(寛永十年・江戸 日本橋 焼け跡)
一夜にして江戸の経済中枢を灰燼に帰した大火災。 その熱気が未だ残る瓦礫の山を、二つの影が這い回っていた。
「影の軍団」の薬師・六道と、聴覚の達人・『凪』である。
彼らは、家光が断定した「伊達政宗の仕業」という結論を裏付ける証拠を探していた。だが、現場を深く探れば探るほど、彼らの表情は険しくなっていった。
「……おい、『凪』」 六道が、黒く焼け焦げた土を指先で救い上げ、鼻を近づけた。 「……臭うぞ」
「焦げ臭いのは当然だ」
「違う。この甘ったるい、腐った果実のような残り香だ」 六道は、懐から試験管のようなガラス器具を取り出し、その土を溶かした。 液体が、毒々しい紫色に変色する。
「……やっぱりだ。これは、ただの油じゃねえ」 六道の目が鋭く細められた。 「『紅蓮油』だ。 水では消えず、人の脂を吸って燃え広がる、最悪の焼夷兵器。 ……こいつの調合には、トリカブトの根と、特殊な鉱石、それに鯨の脂を煮詰める必要がある」
「それが、どうした」
「この製法はな、北条氏の『小田原攻め』の時に失伝したはずなんだよ。 ……仙台の伊達者ごときに、作れる代物じゃねえ」
その時、『凪』が瓦礫の下から、奇妙な物体を掘り出した。 半分溶けかかっているが、それは精巧な歯車と、香炉を組み合わせたような、複雑な機械仕掛けだった。
「……六道。これを見ろ」 『凪』が、その機械を耳元に当て、指先で弾いた。 キィン、という硬質な音が響く。
「……時限発火装置だ。 だが、伊賀の火縄式とは違う。香の燃える速度と、歯車の回転で時間を稼ぐ……『風』の細工だ」
二人は顔を見合わせた。 失伝したはずの「紅蓮油」。 伊賀の技術体系にはない「機械仕掛け」。
結論は、一つしかなかった。
「……伊達じゃねえ」 六道が、呻くように言った。 「伊達政宗は、派手好きだが、戦のやり方は古風だ。 こんな『魔術』じみた真似をするのは、日本に一族しかいねえ」
「……風魔、か」
『凪』が、七年前に箱根で聞いた「胎動」を思い出していた。 あの時、家光はそれを「亡霊」と切り捨てた。 だが、亡霊は今、確かに実体を持って、江戸を焼き払ったのだ。
(同日・江戸城 西ノ丸)
「……ご報告いたします」
蔵人が、六道と『凪』を連れ、家光の前に現れた。 家光は、伊達藩への制裁措置を記した書状に、まさに署名しようとしていたところだった。
「伊達の尻尾は掴めたか」 家光は、手も止めずに問うた。
「いいえ。……伊達ではございません」 蔵人の言葉に、家光の手が止まった。
「……何だと?」
六道が進み出た。 彼は、焼け跡から回収した土と、奇妙な機械仕掛けを家光の前に置いた。
「上様。この土に含まれる『紅蓮油』。そしてこの『機巧』。 ……これは、伊達の忍びや、そこらの野盗に扱えるものではございません」
「……説明しろ」
「これは、かつて相模を支配した北条家に伝わる、禁断の秘術。 ……それを操るのは、家康公に滅ぼされたはずの、風魔一族のみにございます」
家光は、その言葉を鼻で笑おうとした。 「馬鹿な。風魔など、数十年前に消えた。 伊達が、風魔の残党を金で雇っただけのことだろう」
「雇えません」 六道は断言した。 「この『紅蓮油』の材料……トリカブトの変種は、箱根の深山でしか育たない。 つまり、彼らは数十年もの間、誰にも知られず箱根の山奥で、この『兵器』を作り続けていたのです。 ……金で動く傭兵に、それほどの執念はありません」
「……執念、だと?」
「はい。これは ……徳川への、純粋な『憎悪』と『復讐』です」
家光の脳裏に、七年前の記憶が蘇る。 箱根に残された和歌。 『籠の中 鳥はいずこへ……』
そして、昨日届いた、忠長の自害の報。 検使役は、「通常の役人」。 確認したのは、「死後の首」。
カチリ。 家光の頭の中で、パズルのピースが、恐ろしい音を立てて嵌まった。
「……蔵人。 忠長の遺体は、どうした」
「はっ。上様の命により、現地で荼毘に付し、灰に……」
「……『影』は」 家光の声が、乾いた音を立てた。 「お前たち『影』の目で、その遺体を、確認したか」
蔵人は、主君の顔を真っ直ぐに見つめ、静かに、しかし残酷な事実を告げた。
「……いいえ。 ……あの日、上様は仰せられました。『蔵人たちを送るまでもない』と。 ……ゆえに、我らは誰一人、現地へは行っておりませぬ」
その言葉は、家光の胸を鋭利な刃物のように貫いた。
「……そうか」 家光は、よろめくように玉座に手をついた。 「……わたくしだ」
「……?」
「わたくしが、止めたのだ。 ……『仕組みは完璧だ』という慢心が、お前たちの目を塞ぎ……奴らに、これ以上ない『死角』を与えた」
家光の顔色が、一瞬だけ蒼白に変わる。 伊達ではない。風魔だ。 七年前に「病死」したはずの母。昨日「自害」したはずの弟。 その「死」を確認した者は、こちらの「影」には一人もいない。
だが。 その動揺は、瞬きするほどの時間で消え失せた。
スゥ、と家光は息を吸い込み、肺の底まで満たしてから、ゆっくりと吐き出した。 その瞳には、先刻までの焦燥も、後悔すらも消え失せ、絶対零度の「解析」の光だけが宿っていた。
「……なるほど。面白い」
家光は、指先で机を叩いた。
「風魔か。……知っているぞ」
転生者としての記憶が、脳内のデータベースを高速で検索する。 北条五代に仕えた、乱破の集団。 伊賀や甲賀が「諜報」と「暗殺」のプロフェッショナルなら、風魔は「破壊」と「撹乱」のスペシャリストだ。 得意技は、夜襲、放火、毒、そして集団幻術による心理戦。 正規軍と正面から戦わず、敵の陣地を内側から腐らせ、自滅させる「カオス」の使い手。
「……亡霊などではない。奴らは、極めて合理的な『破壊者(テロリスト)』だ」
家光は立ち上がり、軍配を手に取った。 「さてと……」
その声と共に、家光の纏う空気が一変した。 将軍としての威厳と、現代人としての冷徹な戦略眼が融合した、最強の「指揮官」の姿。
「影の軍団、聞けッ!」
家光の号令が、西ノ丸の広間に響き渡る。 蔵人、六道、『凪』、そして闇に控える『牙』『杭』『霞』が一斉に平伏する。
「敵の正体は割れた。対処行動を書き換える」
家光は、矢継ぎ早に指示を飛ばした。
「六道!」 「はっ」 「風魔の得意技は『毒』と『煙』だ。江戸の水源、井戸、そして風向きを監視しろ。 奴らは必ず、恐怖を拡散させる『仕掛け』を使ってくる。お前の薬学知識で、防疫線を張れ」
「『凪』!」 「はっ」 「奴らは集団で動く。個々の足音は消せても、集団の『連携の合図』までは消せぬはずだ。 江戸の地下水路、下水道、古井戸……『音が反響する場所』に張り付け。風魔の侵入経路を特定しろ」
「蔵人!」 「はっ」 「伊達への包囲は解くが、監視は続けろ。 『伊達が風魔と結託するか』、あるいは『伊達も風魔に利用されるか』を見極めろ。 ……もし政宗が風魔に接触するなら、その瞬間に政宗を殺れ」
そして、家光は最後に、最も暗く、重い命令を口にした。
「そして、蔵人。お前は増上寺へ走れ」
「……増上寺、でございますか」
「そうだ。 母上・江の墓を暴け」
広間に戦慄が走る。 先代将軍の御台所の墓を暴く。それは、徳川の権威を自ら傷つける、前代未聞の暴挙だ。
「……棺の蓋を開けろ。 中に骨があれば、わたくしの『読みすぎ』だ。笑って済ませばいい。 ……だが」
家光の目が、鬼火のように揺らめいた。
「……もし、棺が空であれば。 あるいは、別の『何か』が入っていれば」
「……それが、戦争の合図だ」
蔵人は、主君の覚悟を悟り、深く平伏した。 「……御意。直ちに」
家光は、軍配を振り下ろした。
「奴らの狙いは『混沌』だ。ならば、我らは『秩序』で塗り潰す。 ……風魔ごとき旧時代の遺物に、わたくしの『仕組み』が壊せると思うなよ」
「御意ッ!!」
影たちが、弾かれたように四方へと散っていく。 家光は、独り残された広間で、不敵に笑った。
「……来いよ、忠長。母上。 死人ごっこは終わりだ。……次は、本当の地獄を見せてやる」
家光の瞳は、まだ見えぬ敵の「尻尾」――空っぽの墓穴を、既に幻視していた。 慢心は消えた。ここにあるのは、敵を解析し、対策し、殲滅するプログラムを実行する、冷酷無比な「管理者」の姿だけだった。
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