鮭と、昆布とゴマのおにぎり

水谷なっぱ

鮭と、昆布とゴマのおにぎり

「……藤乃さん、明日の朝ごはんは何がいいですか?」


 ある晩、ベッドに入ったところで、妻が俺を覗き込んだ。

 いつもはそんなこと聞かれず、同居の母が作ったものを食べている。


「どうしたの、いきなり。えっと……おにぎりがいいな。鮭のと、昆布とゴマのがいい」

「わかりました。明日は休みですし、朝はゆっくり寝ててください。起こしませんから」

「なんで……?」


 妻、花音ちゃんは隣に横になって、俺の頭に手を伸ばした。

 優しく髪を撫でられて、まぶたが重い。


「藤乃さん、熱がありますよ。きっと藤也に移されたんですね」

「マジで」


 藤也は幼稚園に入ったばかりの息子だ。

 幼稚園で風邪をもらってきて昨日まで寝込んでたけど、今日は元気に登園していった。

 具合が悪い間は抱っこをせがんでずっとへばりついていたから、移っても仕方ない。


「あと、藤乃さんは具合が悪いと鮭と、昆布とゴマのおにぎりを食べたがります」

「……あー……そうかも」


 ひんやりした手が気持ちよくて擦り寄る。


「俺が人生で一番お腹空いてたときに食べたおにぎりなんだよね。だから、しんどいときは、それを食べたらまた何とかなる気がするんだ」

「なるほど。じゃあ、明日の朝、作っておきます」

「うん、ありがとう」


 妻を抱き寄せると意識が沈んだ。


 腹を空かせて荒んでいた大学時代を思い出す。

 親に無理を言って、大学の間だけ一人暮らしをさせてもらったけど、自炊しなかったらあっという間に金が尽きて、お腹を空かせるはめになった。

 そんなときに、大家さん一家に食べさせてもらったのをきっかけに自炊を始めたけど、一番最初にくれたのがあのおにぎりだった。

 今まで忘れていたことだったのに。

 花音ちゃんが気づくくらいには、俺はあのおにぎりに救われていたらしい。




「……何してんの?」


 翌朝、ダイニングのテーブルで、藤也が小さな手でラップを丸めていた。


「おにぎりしてる」

「おにぎり?」

「そう。とうさんに、おにぎり」


 テーブルには、ごはんの入ったボウルと鮭フレーク、海苔の缶が並んでいた。


「できた! あい、どうぞ」

「……ありがと」

「おいしい?」

「まだ食べてない。お父さん、顔洗って歯を磨いてから食べるね」

「ん、もいっこつくるよ」


 洗面所に行くと、花音ちゃんが洗濯物を干していた。


「おはようございます、藤乃さん。……なにかいいことありましたか?」

「おはよう、花音ちゃん。なんで?」

「泣いてますよ」

「……ほんとだ」


 歯を磨いて顔を洗う。

 涙の跡が残ってないことを確認して、ダイニングに戻る。

 ボウルの中身が昆布とゴマを混ぜたごはんに変わっていた。


「とうさん、あい」

「ありがとう」


 鮭のおにぎりを食べながら、藤也が熱心におにぎりを作るのを見る。

 台所からは親父が出てきて、藤也の向かいに座った。


「じいちゃんにも一個くれよ」

「いいよ!」


 昆布とゴマのおにぎりが親父の前に置かれる。

 親父がラップを解いたら、おにぎりが崩れた。


「じいちゃんの、すきなかたちにしていいよ!」

「そうかい、そうかい」


 笑いながら握りなおす親父を見て、また少し泣きそうになるのは、歳のせいだと思いたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鮭と、昆布とゴマのおにぎり 水谷なっぱ @nappa_fake

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ