第7話 難読和歌、解読の終わり
翌朝には、熱も下がり、他の症状もなかったので、いつも通り出勤した。
職員室に入ると、副校長がいない。席に着いて、授業準備をしている隣の先生に聞いてみた。
「副校長、今日いないんですか?」
隣の先生は、少し小声で、言った。
「あ、そうか、先生、昨日早帰りでしたもんね。副校長、昨日で退職したんですって。」
「え!」
ものすごく驚いて、声が出た。周りが一瞬こちらに注目したが、すぐに元の業務に戻った。
「なんか昨日の夕方、辞めたくて辞めるわけではないんです、みたいな話を学校長にしてたらしいです。」
なんだそれ、昨日の帰りにはそんなこと一言も言ってなかったのに。
「気がついたら職員室の荷物もまとまってて。副校長、忙しいのにそんな暇なかったと思うんだけど、ってみんなで話してました。」
チャイムが鳴って、朝の打ち合わせが始まった。いつも通りの打ち合わせだ。副校長については、結局、何も話されなかった。
…なんだろう、昨日から自分の周りがおかしい気がする。そう思いながら、生徒への連絡事項をチェックして、ホームルームへ向かった。
今日の授業では、誰も予言の話をしてくれと言わなかった。生徒たちの興味関心は、忙しく次々に変化していく。前日にバズったものが次の日に話題にもならないなんて、よくあることだ。昨日、副校長(今となっては元副校長か)からも注意されたし、それはそれでいいことなのだが。
帰宅する時に思い出した。昨日、書き込みが消えていたな。今日は直っているだろうか。
家に着いて、早速SNSを見てみる。
書き込みは復活していた。だが、何かおかしい。
「額田王の歌をローマ字で書いたら、やたらとAとIが出てきて何かの陰謀かと思った。」
の下、返信が一件だけになっていた。
「予言とか、そういうことを投稿するのは、やめた方がいいと思いますよ。#予言」
もっとたくさん返信はあったはずだ。
「組み替えたら別の言葉になる?」
そんな返信をきっかけにアナグラムを作り始めたはず…?もしかして、何か、踏み込んではいけないところに、自分は入りかけているのだろうか。
陰謀、という言葉が頭に浮かんだ。
少しの間、スマホを見つめていた。
迷いはある。しかし。
…そう、もう一つだけ。『莫囂圓隣歌』だけは、確かめておかなければ。学生時代からのこだわりを、なんらかの形にして終えておきたい。
AIに質問をした。
「『莫囂圓隣歌』をローマ字にして。」
…反応がない。回答を取りやめる四角ボタンが表示されたまま、動かない。
「あれ、何か引っかかったかな。じゃあ。」
質問を変えて、再び質問。
「wagasekoga itataserikemu itsukasigamotoをアナグラムにして。」
『莫囂圓隣歌』の、読み方が確立している部分を入れたが、やはり反応がない。四角ボタンが表示されたまま、うんともすんとも言わない。
…
「ゲーム機の抽選に当たらないんだけど。」
全然関係ない質問をしてみた。
「うん、それめっちゃ分かります…。😅
最近のゲーム機…」
きちんと回答が出た。AIらしく、相変わらずなんの解決にもつながらない内容。
額田王に関係する質問だけが受け付けられない…。SNSの不可解な挙動も含めて。
「陰謀…。」
そんな言葉がふたたび頭に浮かんだ。確信に近い形で。
そういえば、自分がSNSに投稿した時付けたのは #陰謀。返信についていたのは #予言…。投稿の内容にも「予言」なんて言葉は使っていない。予言という言葉を使ったのは、学校だけ。生徒との会話、隣の先生、副校長…。
見られているということか…。
「ともかく、やれるところまでやろう。やると決めたんだ。」
迷いを振り払うように、声に出した。
だが、コンピュータを使っても、これ以上の進展は望めなさそうだ。
「あーあ、手書きかあ。」
仕方ないな。まだコンピュータが、超便利万能調査アイテムではなかったあの頃に戻った気分。どこか懐かしく思いながら、机に向かった。
なぜ。「莫囂圓隣歌」は、一、二句目が難読なのか。額田王の意図か、それとも、何らかの事情があって、そう書き続けられてきたのか…。真実は知る由もないが、そこに何かが隠されているのような気がする。
問題の箇所をボールペンで書いてみる。
「s h i z u m a r i s h i i m o s e y a m a y u k i (静まりし 妹背山行き)」
書いたものから、文字を一つずつ抜き出し、下の行へ。使った文字は鉛筆で斜線。
…懐かしい感覚だ。受験の選択問題、よくこうして斜線を引いたものだ。
かなりの時間、消しては書き、書き直しては消し…。
AとIが多用されていることからも、AIに何らかの関係があると見ていいだろう。このことについて質問した時のAIの挙動はどこかおかしかったし。
様々悩み、行き着いた結論。
「a i s h i r a s e z u m i s h i y a m i k y o m u 」
AIしらせずみしやみきょむ
…AI、知らせず。見し 闇、虚無。
「AIは知らせない。見た 闇と虚無。」
闇と虚無…。
翌朝、自宅を出る時、階段を踏み外した。怪我はなかった。
「何か、変だ。」
授業が始まっても、どこか違和感が消えない。そういえば、何だか教室が静かだ。
改めて、教室を見まわした。いつも元気なアイツがいない。
「あ、アイツ、遅刻だよ。」
「学校から途中、怪我したらしいよ。」
「一回、家に帰ってから来るって。」
そんな話をしていると、ドアが開いた。
「おはよう、ございマッス!」
大きな声で、元気よく、アイツが登校してきた。特に大怪我ではないようだが、右手に包帯を巻いているのが見える。
「怪我、大丈夫か?」
「チャリ乗ってたら、植木鉢が飛んできて?降ってきて?オレ運動神経いいから避けたんだけど、コケちゃって。チャリのハンドル曲がるし、血出て、一回帰った。」
包帯を巻いた右手を見せながら、楽しそうに次々と話す。
「右手と、あ、右足も、ココ。」
言いながら、ズボンの裾を捲ってみんなに見せた。
誰かが言った。
「植木鉢って?昭和のバラエティじゃないんだから。」
「そうなんだよね、オレも、ダレだ!って思って見まわしたんだけど、近くに植木鉢置いてる家なんてないし。でも、自転車の横で一個だけ割れてたんだよね。」
帰宅して、SNSを開いた。
返信が一つ増えていた。
「言ってはいけない。知ってしまったら、大変なことになるよ。#予言」
優しい言い回しの中に、不安にさせる言葉。
#予言…。アカウント名を確認した。「莫囂@」。@の先はない…。その前の返信も同じだ。
そういうことか。
莫囂は、漢文で書き下すと、囂し莫れ(かまびすし なかれ)。「騒ぐな」という命令。
一、二句目がそのまま読めない漢字の羅列になっていたのも、「莫囂」=警告を残すためかもしれない。そして、「爪」は文字通り爪、危害を加えるという意味を持って書かれたのだろう。
何かの「力」が働きかけた結果、『莫囂圓隣歌』は難読和歌になってしまった。
そして、その「力」は、今、自分にも働きかけている…。
「保護者」からの電話。
副校長の退職。
熱が出たのと階段を踏み外したのは関係ないかもしれないが。
降ってきた植木鉢。
そして、警告するSNSの返信…
「予言」について、だれかに知らせたいという思いはある。
しかし、これで終わりにすべきだろう。生徒を楽しませるためにやっていたのに、生徒に危害が及ぶのはダメだ。このまま、誰にも話さないことが、一番いい。
「AIは知らせない、か。」
このままAIが進化しても、あらがえない「力」の存在。
闇と虚無とは、どんなことだろう?
人の心のつながりが減り、争いが増えること?
恋愛感情が薄れ、少子化が進むこと?
よく知りもしないことを批判して、炎上させること?
…額田王は何を見たのだろうか。
古代の歌に隠された「予言」。
結局、真の意味にたどり着くことはできなかった。
だが、結論は見出した。満足感はある。
未練は残るが…。
紀の温湯に幸いでます時に、額田王の作る歌
莫囂圓隣之 大相七兄爪謁氣
吾が背子が い立たたせりけむ 厳橿が本
「莫囂圓隣之 大相七兄爪謁氣」
shizumarishi imoseyamayuki
… AI shi ri shi yami kyo mu sa me zu
AI 知りし 闇、虚無。醒めず
(完)
古典を読み解く ~万葉集、難読和歌に隠された予言~ リョウチャン @ryo_matu61
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