第3話 難読和歌とローマ字
「というわけで、色々調べた結果、先生としては次の読み方でいけるんじゃないかと思いました。」
よし、忘れずに言ったぞ。
「しづまりし いもせやまゆき わがせこが いたたせりけむ いつかしがもと」
黒板に書き、生徒たちを見渡した。少し驚いた顔と、ノートにメモをとっているのが目に入った。慌てて付け加える。
「これは先生が考えた読み方だから、メモを取る必要はないと思うよ。」
「いいんです。ワタシこういうの好きで書いてるんで。」
会話を聞いた生徒たちの一部が、追従してノートに書き始める。うれしくはあるが、覚えられても少し困ってしまう…。
メモをする生徒の中に、外国ルーツの保護者を持つ子がいた。
…確か漢字はほとんど書けないよな、ひらがなだから書けるのかな。そう思い、ノートを遠くからちらっと見ると、何と!
ローマ字でメモを取っていた。いつもそうだったか思い出そうとしたが、思い出せない。生徒理解の足りなさを痛感した。
ノートのメモを見ていた隣の生徒が、ニヤニヤ笑って言った。
「なんかASMRって書いてるみたい」
は?
何を言ってるんだコイツは。…いやいや、教師たるもの、コイツなんて言葉を思ってはいけない。いやでも、ASMRなんて…
別の生徒も言い出した。
「本当だ。ASMR!」
「どれ?」「見せろよ。」
生徒たちが続々とノートに群がった。
書いた生徒も、嫌がるどころか、カラカラ笑いながら、自分でも言い出した。
「ASMR、ツボる〜。」
これは、見たい。何を書いたんだ。
群がる生徒たちの隙間から、遠くノートを覗き見る。
「ShizuMARishi」
…何てこった。確かにASMRだ。ご丁寧に大文字小文字で区別してある。まさか、わざと?
「お前、これ、わざとだろ?」
同じことを思った生徒がいたようだ。
「違う違う。なんかそうなっちゃったの。」
書いた生徒は、まだ笑っている。わざと書いたわけではなさそうか。
「私も見つけた!Insta。」
ノートには、
「ITukaSigaMoto」
「それは無理矢理。」
「Nないじゃん。Mじゃん。」
「イムスタ、イムスタ。」
大盛り上がりだ。その後も「ITataseriKemu」でtiktokだとか、「imOseYamayUki」でyoutubeだとか。
そんな感じで盛り上がったまま、その日の授業は終わった。
若い人はすごい。万葉集の歌をローマ字で書いて、自分の好きな言葉を見つけて楽しむなんて。すごいけど、理解できない。
大体、額田王がローマ字でASMRなんて書くわけがない。ローマ字が日本に伝来するのはもっと後。フランシスコ=ザビエルの頃だ。
でも、それでいいか。そもそもあの読み方は正しい読みでも何でもないし、受験に役立つわけでもない。楽しい時間が過ごせたなら、いいことだ。そう思った。
…どうも何かが引っかかる。ローマ字。
「shizumarishi imoseyamayuki wagasekoga…」
やたらとAとIが多くないか。AI…?
やれやれ、生徒たちに感化されてしまったのか。額田王はローマ字で歌を書かない。さっき自分で考えた通り。
次の授業では、生徒の方からアプローチがあった。
「先生!万葉集の歌には予言とかないんですか。」
また変なことを言い出した。
「こないだローマ字で盛り上がって、次は予言って、何でもありだな。」
「7月に地震が起こるってニュースやってて、そのときに、昔の詩には予言があるって言ってたから。」
「それはニュースじゃないだろ?」
「いや、先生ニュースでやってたよ。おはようテレビ。」
「なんか昔の漫画に書いてあるんだって。」
「父さんが言ってた。ノストラダムスの詩に書いてある、ってのが昔流行って。」
口々に発言する生徒たち。情報が錯綜する。
「予言が流行ってるのはわかりました。で、万葉集に予言が書いてないか、という質問ね。」
「外国の昔の詩に予言がある、という話は聞いたことあるけど、日本のは聞いたことがないですね。」
クラスのガッカリ感が見えた、
「日本にも予言する人いたらいいのに。」
「その漫画書いた人が予言したんだって。」
聞いているうちに、ちょっと教えたい病がむくむくと大きくなった。
「聖徳太子っているでしょ。彼は予言を残したらしいよ。昔の書物に時々出てくる。」
あ、やっちゃった。そう思ったときはもう遅かった。生徒たちはもう勝手に予言について知っていることを話し、止まることはなかった。
…静かに、タイマーを五分にセットした。
その後は何とか普通の授業に切り替えた。生徒たちは残念そうだったが。
授業中、机間指導していると、生徒のノートに「聖徳太子」というメモがいくつか見えた。「syoTOKutaisi」を見つけたときは、つい、口の端が上がってしまった。ショーTOKタイシ!
(訓令式なのも、なんとなく面白さを助長したのは内緒)
それにしても、「聖徳太子」は飛躍しすぎた、と、自分でも反省した。確かに、「予言を残した」という話はあるし、その予言書が現存するという話もある。しかし、『万葉集』や額田王とは、ほぼ関係ない人物だ。
そもそも、予言なんてあるはずがない。
昔の詩が予言に使われるのは、難解な意味の部分に、それっぽい出来事を当てはめて解釈してやれば、予言っぽくできるからだろう。ついでに、作者はこんなすごい超能力を持っていた、と、エピソードを付け加えれば、より完成度も上がる。作者は亡くなっているから、真偽は正せない。
「聖徳太子」も、そういうふうに作り上げられた実在しない人物だ、という説が、少し前に流行っていた。最近はあまり聞かないけど。
「予言だとしたら、一体何のことを言っているんだろう…」
つい、考えている自分がいた。理由はわからないが、何かが引っかかる。
「AとI。」
AI?
最近のAI技術の進歩は目覚ましい。額田王の難読歌を解明する時に、自分も使ってみて、その威力を実感した。
額田王の歌にAとIが多いのは、そのAIの発達を予言したものか。いや、それでは予言というには、何か物足りない。
予言といえば、世界や人類の破滅と相場が決まっている。けれど、AIが世界を滅ぼす未来なんて。
「昭和のSF漫画じゃないんだから。」
仮にAIが暴走して人間に害を及ぼす何かをし始めるとして、何の対策もしないはずがない。今だって、社会的に害があると思われる情報については、AIは返答しないようにプログラムされているじゃないか。
そこまで考えたとき、我に返った。
…だから、額田王はローマ字で歌を書かないんだってば。
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