第2話 再輪廻都市
雨の音が、遠くの地下鉄のように響いていた。
リオンが目を覚ますと、天井は錆びついた鉄板で覆われていた。
壁には魔導式の防音札が何重にも貼られ、わずかな明かりが青白く揺れている。
ここは地上から三百メートル下――廃棄された旧防災避難層。
いまでは《輪廻同盟》の拠点のひとつとして使われている。
隣の簡素な机の上で、アイナが記録端末を操作していた。
「起きたのね」
「……どれくらい眠っていた」
「二日。発症のショックで魂と肉体の同期がずれていた。よく戻ってこれたわね」
リオンはゆっくり体を起こした。
体の奥で、微弱な転生波がまだうねっている。
魂が自己修復を試みている感覚――まるで心臓の奥で“別の自分”が脈打っているようだった。
「庁舎は?」
「封鎖された。あなたは“発症者として逃亡”扱い。封印命令が出てる」
「想定の範囲内だ」
リオンは短く息を吐いた。
自分が監察官として転生者を狩っていたその手が、いまや“狩られる側”になっている。
皮肉でもなんでもなく、それがこの世界の摂理だった。
アイナは端末を閉じ、こちらを見た。
「あなたの中の“地球記憶”が目覚めかけてる。
それが完全に顕在化したら、あなたも暴走するかもしれない」
「暴走、か。……そういう名で、どれだけの人間を封印したか覚えていない」
「だから、今度は止める側に回って」
アイナの声には怒りではなく、祈りのような静けさがあった。
「リオン、転生は病気じゃない。
それは世界が死を拒むための自己免疫反応。
けれど庁舎はそれを“感染”と見なして、すべて焼き払ってきた」
「証拠は?」
「見せるわ」
アイナは背後の扉を開けた。
地下通路の奥、広い空間に光が溢れていた。
そこには透明な球体が無数に浮かび、内部で淡い光が回転している。
まるで巨大な水族館のようだった。
「……これは?」
「転生者たちの“魂記録”。庁舎の封印前に抜き取ったデータの一部よ」
リオンは近づいた。
球体の中で、映像が再生されていた。
少女が街を歩き、老人が畑を耕す。
風景はどれも異なるが、奇妙なことに――どの映像にも同じ“空の色”があった。
淡い灰青。地球の夕暮れに似ている。
「この空、知ってるでしょう」
「……ああ。地球だ」
「そう。この世界の空じゃない」
アイナは球体の一つに触れた。
「転生者が死ぬたびに、この色の空が増えていく。
つまり、この世界は地球を模写しながら再構築されている」
リオンは言葉を失った。
頭の奥で何かが軋む。
かつての監察官としての論理が崩れ、別の“記憶”が滲み出す。
――ビルの屋上、赤い夕陽。
銃声。
そのあと、光。
思い出した。
自分は地球で、銃を向けられていた。
誰かを守ろうとして、誰かを殺した。
そして――光に飲まれた。
「あなたは、死んでここに来たのよ」
アイナの声が遠くで響く。
「その罪の記憶が、魂の奥で“止まった時間”を作っている。
転生症候群は、その“時間の凍結”がほぐれるときに起こる」
リオンは膝に手をつき、息を整えた。
「……つまり、発症とは“癒えようとする反応”か」
「そう。けれど庁舎はそれを“世界崩壊の兆候”と見なして、消そうとしている」
アイナは床に投影図を広げた。
都市全体を覆う、転生監視ネットワークの構造図。
魔力伝達管、魂検知層、封印区画――
その中心に、一つだけ赤く点滅する領域がある。
「ここ、“中枢輪廻炉”。魂の循環を司る装置。
もとは自然発生した世界の“再生装置”だったけど、今は庁舎が制御している」
「つまり、庁舎が転生の量を調整している?」
「正確には、“誰が生まれ変わるか”を選んでる。
彼らは“適応する魂”だけを残して、そうでないものを封印してきた」
リオンの背筋に冷たいものが走った。
「淘汰……か」
「ええ。この世界の平穏は、選別の上に成り立っている」
静寂が流れた。
遠くの排気口から、かすかな風の音がする。
その風には、わずかに“雨の匂い”が混じっていた。
地上では、また雨が降っているのだろう。
リオンは窓のない天井を見上げた。
「……俺は、何をすればいい」
アイナは答えた。
「まず、“思い出して”。
あなたが地球で誰だったのか。
そして、なぜここに来たのか」
「思い出したところで、何が変わる」
「“罪”を思い出すことは、“赦し”を始めることでもある。
この世界は、あなたたち転生者の“罪の残響”でできているの。
もしその記憶を解放できたら――転生の輪が一度、止まるかもしれない」
リオンはしばらく沈黙した。
そして、かすかに笑った。
「なるほど。庁舎がそれを恐れている理由が分かった気がする」
アイナが目を伏せる。
「明日、“輪廻炉”へのルートを探る。
あなたが持っている庁舎の暗号鍵が必要よ」
「……あれを使えば、庁舎は俺を完全に敵と見なす」
「もう敵になってるわ。なら、せめてその理由を選びましょう」
リオンは小さくうなずいた。
その目は静かで、どこか懐かしい光を宿していた。
地球の夜を思わせる、深い群青。
その瞬間、頭の奥に声が響いた。
――まだ、終わらせるな。
それは自分の声だった。
けれど少し違う。
もう一つの“自分”が、魂の底で目を覚まそうとしていた。
夜が落ちる。
都市の上空には、いつもの淡い灰青の光。
それは月ではない――中枢輪廻炉の発する転生光だった。
死者の魂を分解し、再構成する装置。
その輝きがなければ、街の夜はとっくに闇に沈んでいる。
リオンとアイナは、廃線トンネルの奥を進んでいた。
頭上を走る魂送電管が微かに脈動し、壁が青白く光っている。
その光は血管のようであり、都市そのものが一体の生物であるかのようだった。
「庁舎の巡回ルート、十五分おきに三班。
外部監視魔導は停止中。今が唯一の空白時間」
アイナが小型端末を確認する。
リオンは無言で頷いた。
封印徽章が壊れて以降、彼の体からは微弱な転生波が常に漏れている。
魔力探知に引っかかる危険があるため、彼は魔力遮断マントで身を覆っていた。
「……この装置を作ったのは、誰だ」
リオンの声は低く響いた。
「最初の転生者よ」
「最初?」
「“神”と呼ばれた存在。けれど本当は――最初に死んだ地球人だった」
その言葉が、冷えた空気を震わせた。
アイナは続けた。
「彼はこの世界を作った。死後、魂の行き場を失った地球人たちが漂着できる場所を。
けれど、あまりにも多くの魂が流れ込みすぎて、世界は飽和した。
だから、転生炉で“選別”を始めたの」
リオンは足を止めた。
「……つまり、俺たちは神の残したプログラムの中にいる、ということか」
「そう。そしてあなたの前世――玲音は、その“プログラムを止めようとした人間”」
トンネルの先、巨大な空洞が口を開けていた。
輪廻炉――直径百メートルを超える黒鉄の球体。
その表面に走る魔導文字は、地球の電子回路を思わせる幾何学模様で輝いている。
周囲には無数の魂管が接続され、まるで巨大な心臓のように脈動していた。
「……これが、世界の鼓動か」
リオンは思わず呟いた。
その音が胸の奥の記憶を震わせる。
――銃声。
――炎。
――泣きながら叫ぶ少女。
アイナの顔が、あの少女と重なった。
「思い出した?」
「……少しだけ。俺は地球で、研究者だった。
死後の意識転送――魂のデジタル再構築計画に関わっていた」
「ええ。“輪廻計画”の創設者。あなたが、この世界の理論を作ったの」
リオンは愕然とした。
「俺が……これを?」
「そう。あなたが死んだあと、残された記録が神格化され、
“最初の転生者”として崇拝された。
でも、あなた自身は転生炉の完成を望んでいなかった」
記憶の断片が、次々に蘇る。
データの海。
魂の輪廻を“救い”と信じていた頃の自分。
そして、研究が暴走し、愛する人を失った夜。
――彼女の名は、アイナだった。
「……まさか」
リオンが彼女を見る。
アイナは、静かに目を伏せた。
「そう。私はあなたが最初に創った、“人工魂”」
「……転生者じゃない?」
「私はデータとして生まれた。あなたの記憶を継ぐように設計された、あなたの“赦し”」
リオンの胸に何かが崩れた。
目の前の彼女は、転生ではなく“再現”だった。
自分が作った魂が、いま自分を導いている。
「この世界が続く限り、私は消えない。
でも、あなたがこの装置を止めたら――私も終わる」
「……それでも、止めなきゃいけないんだな」
「ええ。そうしなければ、魂は永遠に囚われたまま」
リオンは輪廻炉の制御盤に歩み寄った。
表面の紋様に手を触れると、青い光が波紋のように広がる。
システムが彼の転生波を感知した。
――アクセス承認:創設者コード検出。
「本当に、止めるのね」
アイナの声が震える。
リオンは頷いた。
「この世界は、死ぬことを恐れすぎた。
だから、永遠に生まれ変わる地獄になった。
もう終わらせよう。死を、取り戻すために。」
警報が鳴り響く。
庁舎の防衛システムが作動し、赤い光が天井を走る。
装置の周囲に封印兵器が展開するが、アイナがその制御を逆ハッキングして抑え込む。
「急いで! 世界が気づく前に!」
リオンは操作盤にコードを流し込む。
回路が過負荷を起こし、光が一斉に爆ぜた。
魂送電管が断線し、上空の転生光が急速に暗くなっていく。
――そして、世界が静止した。
音も風も消えた。
ただ、光の粒だけが空中に浮かんでいる。
それは魂の断片だった。
リオンの視界の端で、アイナの体が透け始める。
「やめて……まだ終わらないで」
リオンが手を伸ばす。
アイナの指先が、その手に重なる。
温度が伝わる――いや、それは“記憶の温度”だった。
「あなたが作った世界は、もう十分苦しんだ。
だから、今度は――安らかに眠らせて」
アイナの声が消える。
光が弾け、空洞が白に染まる。
リオンの意識が遠のく中、彼は確かに感じた。
魂の鼓動が、ゆっくりと止まっていくのを。
そして、その奥で別の何かが生まれようとしていた。
死の先にある、もうひとつの目覚め。
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