ネット小説の楽しみ方とは何だろうか?

あ〜ちゃん

旅行を通してネット小説がより面白く感じれるようになった

 皆さんは県民性の違いを感じたことはありますか?


 私は車での旅行を通して、県民性の違いを時にものすごく感じることがあります。


 私は大阪出身なのですが、大阪から奈良に行っただけで、ものすごく県民性の違いを感じます。大阪の高齢者は派手なのですが、奈良の高齢者はみんな考古学者みたいな格好をしています。私がよく寺や神社や遺跡に行くからかもしれませんが(失礼)


 そして名古屋まで行くと、顔を見れば大阪の人か名古屋の人か何となくわかるような気もします。顔つきが違うというか、自分でもよくわからないですが、雰囲気やオーラが違うんですよね。


 それで長野まで行くと完全に県民性が違うなと感じました。接してて感じるのは長野の人は真面目で誠実な印象を感じました。でも長野の人は自分自身が真面目だから人に対しても同じようにその真面目さを要求しているような感じがしました。ちょっと大阪出身の自分から見るとちょっと人に厳しいのではないかと感じました(私の勘違いかもしれませんが)でも私の知り合いで長野の人で何人か聖人のような方がいました。その人は若くして発狂してしまいましたが、たぶんその方の精神性のレベルが高すぎて、実社会の暗い不条理とあまりにも乖離しすぎていて病まれたと思います。


 しかし岐阜の人はちょっと感情的な人が多いかなというイメージがあります。長野と比べたらちょっと自由人?奔放な印象を受けた。


 それが今回車で大阪から長野まで旅行していて感じたことです。

 

 じゃあ、大阪から関東や東北まで行ったらどれほど性格や県民性が違うのでしょうか。


 昔は日本人は単一民族と言われていましたが、最近のYouTubeではそれは違うとほとんどの人が言っていますよね。めちゃくちゃ古い移民国家だと。


 僕は今回の旅行で日本という国に対して謎が深まりました。ちょっと移動するだけでこんなに人びとの性格が違うのですから。


 やはりYouTubeの内容は説得性があるのではと思いました。


 話を本題に戻しますが、ネット小説の楽しみ方はやはり、日本全国にいる、それぞれ違う県民性を持った人が書いているという事実を頭に入れて読むということだと思います。やはり、県民性によって書いている内容、言葉遣い、語調が違うなと思いました。それはみんな性格が違いすぎるからでしょう。生きている地域、時代、文化、習慣、食べ物、歴史、教育が違います。


 そして県民性によって小説の内容がどのように展開されていくかも違うと思いました。例えば関西の人のエッセイは濃くてオチがあるとかです。なんか大阪のオッチャンが飲み屋で話してるような内容に感じます。


 そしてみなさん何か自分がどのあたりに住んでいるか匂わすような小説やエッセイを書く方が多いような感じがします。それはやはり自分の住んでいる地域に対して誇りを感じているからではないでしょうか。


 そして何よりも自分自身の考え方や、空想したこと、妄想したことを小説やエッセイという形で発表したらどうなるのだろうか、と自信をもって期待しているからカクヨムをされているのではと思いました。


 私はそう言う自信をもって発表している方がどういった内容を書いているのかがとても気になります。というか興味が持てて親近感を感じます。


 そのような視点で見たらカクヨムも今まで以上にやっていて面白くなるのではないかと思いました。


 

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