12
十七歳で初めて現地に立ったところで使いものにはならない。時には遠征を含む実地訓練が行われた。比較的安全な地帯で現場の空気を体感することが第一の目標である。国境でもある山脈に、同年代の十余人の少年が向かうこととなった。
リョウとトワはペアを組んで活動するようになっていた。バディとも称される相棒として、多く同室の者同士が割り振られる。トワはリョウと反対に慎重を期すタイプであり、相反する性質の組み合わせは訓練において優位に働くことが多かった。大人たちはこの効果を見越して自分たちを組ませたのかもしれない。目論み通りであることには反発心を抱いたが、実際に上手くやれているペアだとリョウも自負していた。
国境でもある高山で、各々指定された目的地まで自力で到達し、予め配布された写真と同じものを証拠として撮影し、帰投する。自国の敷地内ではあるが、現場の過酷さを体感するための訓練だった。
しかし、リョウやその仲間たちには、ひどく手ぬるく感じられる内容だった。深夜の都会で警察や敵対する子どもたちの合間を縫って食料を探す方が、何倍も危険なことに違いない。麓の小屋で雨模様に中止を検討する大人たちには却って鼻白んだ。
「山に登ったことはあるのか」
小屋の隅にかたまっているのに退屈して話しかけると、トワは首を振った。
「ない。海の方に住んでたから」
「なんだよ、頼りになんねえな」
「リョウ、俺らのとこと競争しようぜ。どっちが早く戻ってくるか」
くすくす笑いながらロクが提案する。相変わらず馬鹿なやつだなと呆れながらも、「負けるかよ」と返事をしてしまう。
「おい、勝手なこと言うな」ロクのペアになった少年が提案に反発し、それをロクが茶化し、一同に危機感を抱く者はいなかった。
「静かに」
相談を終えたのか、管理に割り当てられた大人が大股に歩いてきて叱責する。
「これより実地訓練を開始する。天候には十分注意するように」
外には既に小雨が降り始めていた。
最低限の装備と食料などが入ったザックを背負い、それぞれランダムに割り当てられた地点を目指し、小屋を出発する。つい先日までリョウたちと同じ場所で寝起きしていた青年たちが、不安そうな顔で小屋から見送った。普段この場所に配属されている彼らは、天候の悪化を理由に訓練の中止を最後まで進言していた。しかし、これも訓練の一環だと大人たちが主張すれば、彼らも強く言い返すことはできなかった。
ビニールの雨合羽を小雨が濡らす。コンパスと地図を頼りに、リョウが先を歩き、トワが後ろに続く。七合目付近に据わる巨岩が二人の目的地だった。予め配られた写真の景色を頭に叩き込み、濡れた草に足を滑らせないよう、慎重に進む。予定通りなら遅くとも一度夜を明かせば戻ってこられる距離だ。いかに夜を乗り越えるかも訓練の中に盛り込まれていた。
リョウは合羽のフードの下から空を睨んだ。木々が生い茂り邪魔をする向こうでは、空を分厚い雲が覆っている。滴る雨が目に入り、手でこすって追い出した。トワはもくもくとついてくる。雨は次第に強さを増していた。
腕時計を見ると、時刻は昼の二時をさしている。山中は薄暗く、既に夕刻に迫っているのではと錯覚する。ちょろちょろと流れる小川を見つけ、そばの木々の根元に座り込み、二人は休憩を取ることにした。
水筒の水はぬるく不味い。飲んだ分だけ川で汲んで補充する。携行食料の包みを剥き、味気ないそれを一本だけもそもそと口に運ぶ。雨粒がぽたぽたと地面や頭上の葉を打つ音が響き、川の水面にはひっきりなしに波紋が揺れる。濡れて額にはりつく前髪が鬱陶しい。
「まだまだだよな」
「うん」リョウに返事をして、トワが地図を取り出す。「まだずっと登らないといけない」
「雨さえやめばな」
足元を注意する必要があるおかげで、余計に時間がかかっていた。しかし見上げても雨の止む気配はなく、むしろ雷まで鳴っている。トワが隣で不安そうな顔をして地図を腰のポーチにしまった。
それから二時間ほど登った先に、増水した川があった。茶色く濁った水がどうどうと音を立てて流れるのに、流石のリョウも一抹の不安を覚える。頼りない吊り橋は今にも崩れそうで、もし足を踏み外せば濁流に呑まれてまず助からない。しかしトワ相手に怯えた姿を見せるわけにいかず、リョウは腹を括って手すり代わりのロープを握り、なんとか川を渡った。対岸のトワに大きく手を振り、早く来いと大声を上げる。意を決したトワが渡り終えるのに手を貸してやり、二人でしばらくその場に立ち尽くして激しい水流を眺め、また歩き出した。
斜面を細かな水の筋が何本も線を引く。土はぬかるみ、風が木々の枝葉をざわざわと鳴らし、遠くで光ったと思えば雷の音が鳴り響く。薄暗い空は次第に暗さを増し、否が応でも夜の訪れが感じられた。
みんなは無事に訓練を続けられているのだろうか。汗と雨滴を拭いながら、リョウはロクたちのことを考えた。まさか諦めて、小屋にとんぼ返りしてはいないだろうか。そうであれば、苦労して山を登っている自分たちが馬鹿らしく思え、その想像を振り払った。やつらも自分と同じく負けず嫌いだ、自ら音を上げてすごすご引き返すわけがない。
しかし出来る限り早く目的を達成し帰投したいのは間違いない。誰が好き好んで雨の降るなか登山をしたがるだろう。時計の針が六時をさすのを手元の懐中電灯で確認し、トワに現在地点の目星をつけさせた。まだ目的地への半分も辿り着いていなかった。
「休憩したらもう少し登るぞ」
岩陰で息を整えるトワは、リョウの言葉に目を丸くした。
「でも、日が暮れたよ。夜の登山はやめた方がいいって……」
「このままじゃ、明日の晩も山で過ごすことになるんだぜ。俺はそんなのごめんだ」
真っ暗な雨の降る山の中で一晩どころか二晩も過ごすなんて、我慢できない。しかしトワは安全を期したいようで、素直には頷かない。
「だけど、夜は特に危ないって教わったし」
「今は緊急事態だ。トワだってさっさと戻りたいだろ」
「でも……」
次第に鬱陶しくなりリョウはトワへ返事をすることをやめた。トワもそれ以上は無駄だと悟ったのか、黙って足元を見つめている。止む気配のない雨が視線の先で地面をうがち、斜面を下って流れ落ちていく。夜闇に支配されていく中でざあざあと雨音が響き、手元の懐中電灯が照らす明りの外は真っ暗だった。人工物であるマンホールの下とは違う、自分たちには照らしきれない種類の深い闇に思えた。
やがてリョウが歩き始めると、地図を手にしたトワも仕方ないという風に腰を上げた。足元や行く先を照らし、二人は慎重に夜の山を歩く。大粒の雨が全身を打ち、雨合羽の内側が汗に蒸れて不快極まりない。斜面をゆっくりと登り続けながら周囲を見渡したが、どこかで仲間が歩く明かりは見えなかった。どこかでギャーッと声が上がり、二人は心臓が飛び出るほど驚いて足を止めたが、バサバサと羽ばたく音が聞こえ、鳥の鳴き声だと気が付いた。変わらぬ雨音があっという間に周囲を包み込んだ。
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