18話【六芒星】



「【No Trace】…東京でも動き出してたのか。」


魏藍は、事務局前での一連の出来事を報告した後、低く呟いた。


「なんなんですか?【No Trace】って?」


燕が即座に問いかける。


「私も気になりますね。聞いたこともない部隊だ。」


鳴神も同調し、腕を組む。


魏藍は一度ため息をつき、言葉を選ぶように口を開いた。


「【No Trace】は警察庁の機密性の高い特殊部隊だ。知っているのは、警察の一部の上層部だけだ。」


「警察庁の特殊部隊…」


燕が反芻するように呟く。


「異能者の集団だと話に出ていましたが…」


鳴神が続けると、魏藍は苦い表情を浮かべながら頷いた。


「そうだな…。だが、警視庁にいる俺には、その内情までは分からない。ただ、【No Trace】は警察庁版の異能対策室みたいなものだと聞いている。」


「異能対策室の警察庁版、ですか…」


燕が静かに繰り返す。その横で、比嘉が言葉を引き継いだ。


「異能者に対抗するため、関東各地から選りすぐりの非異能者を集めた警視庁の組織が異能対策室。それに対し、異能者に対抗するために全国各地から異能者を集めた警察庁の組織が【No Trace】だ。」


「なるほど。となると、私たちの任務は東京近辺に限られていますが、警察庁の【No Trace】は…」


鳴神が顎に手を当て、考え込む。


「そう。全国各地の異能者に対抗するのが【No Trace】だ。だからこそ、東京ではほとんど噂どころか、活動の報告すら聞いていなかったんだが…」


比嘉の言葉に、燕の表情が険しくなる。


「何かが動き始めている…やはりカルペ・ディエムでしょうか?」


彼女の問いに、比嘉は無言で頷いた。


「かもしれないな。俺の旧友がいるのも【No Trace】だからな。」


その一言が、さらに場を重くする。


だが、その空気を切るように、魏藍が割って入った。


「…ていうか、ちょっと待て。」


全員の視線が魏藍に集まる。彼は表情を険しくしながら、手元の資料を握りしめた。


「本当にここに来た連中が【No Trace】だったっていうのか?」


「どういう意味ですか?魏藍さん。」


燕が即座に問い返すと、魏藍は苛立ち混じりに言葉を続けた。


「俺は警察の特殊組織っていう【No Trace】に擬似能力のいくつかを渡した。だが、その【No Trace】が異能者の集団だっていうなら…何のために渡したんだ、俺は…」


魏藍の拳がわずかに震えていた。


「下手に考えるな、魏藍。」


比嘉が静かに言う。


「疑問を持ち始めたらキリがなくなるぞ。」


その言葉には、警察組織に長くいる者だけが知る、割り切らなければならない現実が滲んでいた。


魏藍は唇を噛み、視線を落とす。


「それにしても【No Trace】…“痕跡無し”ですか。」


来栖が皮肉げに呟き、辺りを見渡す。


「にしては死体の山なんですが。」


瓦礫に転がる無数の遺体。異能者たちが繰り広げた戦いの痕跡は、あまりにも生々しかった。


「多分、わざとだろうな。」


比嘉が言葉を継ぐ。


「ここに俺たち異能対策室が来ることが分かっていての、これだろう。」


来栖が眉をひそめる。


「…我々も動いている…とでも言いたいってことですかね?」


燕が低くつぶやいた。


その時、建物の奥から駆け足の足音が響く。


『魏藍さん!怪我した事務員の皆さんの手当ては終わりました!』


財前が息を切らせながら姿を現した。


「都姫!無事ね!」


燕の表情が僅かに和らぐ。


「王来王家さん!来てくれてたんですね!」


財前もほっとした様子で燕に駆け寄る。


「先輩、あとは自分がやるんで、先輩は休んでてください。」


その背後から、さらに一人の青年が現れる。


「君は確か、天城くん。」


「名前、覚えててくれてたんですね?!」


天城が目を輝かせる。


「王来王家さんに覚えてもらえてるなんて嬉しいです!って、そうじゃなくて——財前先輩は休んでください!」


「大丈夫。」


財前が微笑みながら、軽く手を振る。


「天城くんに心配されるほど柔じゃないですよ!」


天城と財前のやり取りを見ながら、魏藍はふっと息をついた。


緊張に張り詰めていた空気が、わずかに和らぐ。


「まぁ、異能者集団とはいえ警察庁の組織…」


魏藍は視線を巡らせながら口を開く。


「俺たちが無事なのも、そいつらのおかげではある。」


それが事実であることは間違いなかった。


だが、それを素直に受け入れられるほど、状況は単純ではない。


「そもそも、なんで襲撃なんか受けたんですか?」


燕の問いが、場に改めて緊張を呼び戻す。


魏藍が答えようとした、その時——

事務局の敷地の外から、賑やかな声が響いてきた。


『あっれ~? なんやこれ?! 惨たらしい遺体の山々やんか!? 何があってん??』


続いて、落ち着いた声が続く。


『本当だね。随分と凄惨な時に訪れてしまったようだ。』


甲高い関西弁の女性と、物腰の柔らかい男の声が近づいてくる。


魏藍の表情が微かに動いた。


「あいつは…」


敷地内に姿を現したのは、鮮やかな紅色の着物を纏った女と、スーツ姿の男だった。


「あっ、魏藍室長はんやん!」


女がぱっと顔を輝かせ、魏藍の周囲を小走りでぐるぐると回りながら、にこやかに言った。


「元気しとる…ってアンタ、どないしたん?! そんなボロボロになって。」


「祖師…狗波社長…」


魏藍が小さく呟く。


燕はその名に反応した。


「狗波社長…祖師…この人たちがテールム社の…」


燕がつぶやくと、スーツ姿の男——狗波尤介くなみゆうすけが穏やかに微笑んだ。


「おや、イノベーション事務局の…いや、元か。今は異能対策室CSチーム班長の王来王家燕さんだったかな?」


男は軽く会釈し、柔らかい口調で続ける。


「こうして会うのは初めてだね。初めまして、僕は狗波尤介くなみゆうすけです。こちらは祖師冥子そしめいこくん。すでに貴女のお仲間さんには会ったのだけれど、話は行ってたかな?」


「えぇ、話には聞いていました。」


燕は狗波の目を見つめたまま、冷静に答えた。


「イノベーション事務局に所属していた時から名前は拝見していましたが、まさかここで遭遇するとは思いませんでした。偶然ですか?」


その声音には、わずかな警戒が滲んでいた。


狗波は軽く肩をすくめる。


「おや、警戒されてるね。」


彼は穏やかな笑みを浮かべながら、ゆっくりと首を振った。


「安心してほしい。偶然だよ。」


「せや。今日はこのイノベーション事務局さんから擬似能力を受け取りに来たわけや。」


祖師が横から口を挟む。


「擬似能力の受け取りだと?」


比嘉が鋭く問い返した。


「……あぁ、そうか。」


魏藍がスマホを取り出し、画面を確認する。


「今日は提供日だったな。」


「受け取りって……テールム社とは武器や道具の売買だけの関係だったはずですが?」


燕が疑問を口にする。


「いいや、それは貴女が居た時期の話だ。」


狗波が穏やかな口調で答えた。


「今は違う。擬似能力が実用可能だと連絡を受けたからね。さすがに僕たちにも、そしてイノベーション事務局にも利がある提供をさせてもらうことにしたんだ。」


狗波の言葉に、燕は視線を魏藍に向けた。


「……どういうことなんですか、魏藍さん。」


魏藍は短く息をつくと、淡々と答えた。


「そのまんまの意味だ。」


彼はゆっくりと周囲を見渡しながら続ける。


「擬似能力を作るために必要な武器具は、全てテールム社から提供されている。その見返りに、テールム社に擬似能力をいくつか渡しているってだけだ。」


比嘉がわずかに目を細めた。


「……警察以外にも擬似能力を渡すことにしたのか……?」


その声には、わずかな憤りが滲んでいた。


「そうだ。」


魏藍は迷いのない口調で答える。


「俺たちは警察組織の物じゃない。どこに提供するかは、俺たちにも権利がある。」


「……それはそうですけど……」


燕は魏藍の言葉に、一瞬返す言葉を失った。


燕は魏藍の言葉に詰まり、口を開きかけたものの、それ以上の言葉が出なかった。


「まぁまぁ、そんな些細なことで喧嘩したらあかんで? うちらに擬似能力が渡ったからって、無闇矢鱈に売り捌いたりはせんよ?」


祖師が軽やかな口調で場を和ませるように言う。しかし、その明るさの裏にどこか鋭い意図が含まれているのを、燕は感じ取った。


「あぁ、祖師くんの言う通り。異能犯罪者などに流すことは決してない。それとも何かな? 警察組織は擬似能力を独占するつもりだったのかな?」


狗波が冷静な口調で問いかける。淡々としていながらも、その言葉には探るような含みがあった。


「さぁ、どうだろうな。俺はただの警視監だ、もっと上に訊いてみな。」


比嘉は肩をすくめて答えるが、その目は狗波を鋭く見据えていた。


「そう。じゃあ、僕の意見を先に言っておくとね——擬似能力は使い方次第で危険だ。裏表がハッキリしている力だと思っている。だからこそ、一部の組織だけに独占なんてことが始まれば、確実に犯罪は増えるだろうね。擬似能力を使った異能犯罪が。」


狗波の静かな語り口は、逆にその言葉の重さを際立たせた。その言葉に、鳴神が静かに口を開く。


「同意ですね。警察とはいえ、組織内にいる全員が善人かどうかは判断できない。それで言ったら、擬似能力を独占するというのは新たな禍根を生む原因になりかねません。」


「おや、貴方の噂は聞いていますよ、鳴神紫電さん。公安最強だった男が、今は異能対策室で跳ぶ鳥を落とす勢いで異能犯罪者と対峙している。異能対策室最強という話もある。そんな方にフォローしてもらえるとは。」


狗波が微笑を浮かべながら言うが、鳴神は表情を変えずに淡々と応じた。


「フォローしたつもりはありません。一理あると言ったまでですよ、武器商人さん。」


挑発めいたその言葉に、狗波は肩をすくめ、微笑を崩さない。


「まぁ、そないなわけで、うちらは擬似能力の独占が起こらへんよう、魏藍室長はんと手を握り合い、Win-Winな関係を築き上げたっちゅうわけや。まぁ、まさか受け取り日にこんな派手な催しがあるとは思わへんかったけどな。」


「催しじゃねえよ。襲撃されてんだこっちは。」


魏藍が低い声で言うと、祖師は肩をすくめておどけたように笑った。


「襲撃~?? ほんま何したんや、イノベーション事務局は? ……って、考えんでもええな。」


その言葉に、狗波が静かに口を開く。


「そうだね。被検体として扱われる異能者の遺体を奪うための襲撃……と僕は推測してみた。」


狗波の推察に、燕は素直に頷く。違和感のない結論だった。


「襲撃犯が何者なのか、検討はついているんですか?」


燕の問いに、魏藍は倒れたローブの遺体へと足を運ぶ。その歩みはゆっくりとしたものだったが、確信に満ちた動きだった。


「最初に見た時、どこかで見覚えがあると思ったんだ。襲撃を受けて、ようやく思い出したよ。今日、運ばれた被検体にあったのと同じだってな。」


魏藍はそう言いながら、ローブの遺体の腕を捲る。その腕には、見慣れた紋様が刻まれていた。


六芒星のタトゥー——それを知る者たちは、息をのむ。


「うわ、これって……」


来栖がかすれた声でつぶやいた。


真能連盟しんのうれんめいのマーク……か。」


比嘉が低く言い放ち、魏藍は静かに頷いた。


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