マヤ・ナイラの残響

よるん、

第1話

 視界いっぱいに氷の柱が連なっていた。何度ここに来たことだろう。私はぶるっと身体を震わせて、手を伸ばす。この末恐ろしい感覚に慣れることはない。それでも手を伸ばすことをやめはしない。

 マヤ・ナイラの立ち入り禁止区画。私はここで、何度も、何度も、手を伸ばした。

 呼びかける。祈りを捧げるように。その声は、氷にするりと溶けていった。



 魔法学校に続く長い道が嫌いだった。登校する生徒がこれでもかというほど呑気な顔をして歩いている。ある人は参考書を片手に小テストの勉強をしながら。ある人は友人と談笑しながら。この異様な雰囲気を纏う学校で、平和な日常を過ごす生徒たちとは仲良くなれない。でも、私も彼らと同じで、従順に毎日登校をしている生徒のひとりだった。

 「マヤ・ナイラ」。世界最高峰の魔法学校である。入学も難しければ卒業も容易ではない。でも、数々の試練を乗り越えて卒業できた者は確実に国にとって利益をもたらしている。上流階級の人々は、子供を入学させようと誰もが躍起になる。名誉が欲しいのだ。マヤ・ナイラの生徒だというだけで、尊敬のまなざしを向けられる。そういう学校なのだ。

 私もご多分に漏れず、家族に私以上の熱量で受験を勧められたうちの一人だ。なんとなく入った方がいいんだろうな、という曖昧な理由で受験し、何故だか見初められて入学した。たしかにこの学校で教わる魔法の技術は凄まじいものだった。教師は過去にマヤ・ナイラに在籍していた生徒がほとんどで、校長に直々に認められた優秀な魔法使いだ。教え方もうまく、人を見る目も養われている。生徒のやる気と才能によっては、強い魔法技術と知識を得られるだろう。

 逆に言えばやる気も才能もない生徒は、学校生活を謳歌するに留まり、卒業をしないまま在学期限を過ぎる。期限は人によって様々だ。学費が払えなくなる人もいるし、何も成せず別の道を選ばざるを得なくなった生徒もいる。寿命は有限だ。魔法の才能がないのに、いつまでもここにいるわけにはいかないのだ。


「魔法かぁ」


 ため息をつく。親の勧め通りに勉強して入ったはいいものの、魔法にそこまで熱意があるわけではない。強くなり名誉を得ることを求めてはいない。だが親はマヤ・ナイラの生徒である私を誇りに思っている。だからまだ、ここにいる。それだけだった。


「浮かない顔だねえ、ナツくん」


 軽薄そうに近付いてきた男性教師を見て、私はあからさまに嫌な顔をした。


「そんなに嫌がらなくてもいいじゃないか。担当教師として生徒とのコミュニケーションを図るのは大事なことだろう?」


 彼は拗ねたように肩をすくめた。この学校には座学のクラスもあるが、実技はもっぱらマンツーマンの指導だ。私の担当であるこの男性教師は、歴代最年少でこの学校を卒業した優等生である。だが目に余るほどの軽薄さで、やたらと生徒たちにちょっかいをかけているとか、なんとか……。実情に興味はないが、実際、彼の大仰な喋り方に嫌悪感を抱くのは確かだった。


「……レンリ先生。授業以外でのコミュニケーションは不要だと思いますが」

「堅いねえ、ナツくん。他者と仲良くなることは大事だよ」


 肩に手をポンと置き、軽い口調で喋り続けている。私はその手を払い、登校を急いだ。


「授業があるので」

「あぁ、待ってよ、ナツくん」


 レンリ先生は慌てたように後ろから声をかけた。


「伝え忘れてたんだけど、今日は午後からマウ先生との合同実習だから」


 その言葉に振り向く。レンリ先生は人好きのする笑顔を向けて、ひらひらと手を振った。


「そういうことは、ちゃんと言ってください!」


 強く言い放って、学校に向かう足を進める。足取りは先ほどまでよりいくぶんか軽やかだ。

 私はマウ先生を尊敬していた。レンリ先生のひとつ先輩にあたる女性教師で、同時期に卒業している。つまりレンリ先生がいなければ、マウ先生が最年少の卒業となっていたのだ。真面目で、物静かで、ストイックな姿勢は私の憧れだった。同じ女性として、いつかこんな綺麗な人になりたい、と思っている。私はあまり魔法に興味はないのだが……マウ先生の指導を受けられるとなれば、話は別だ。彼女の考え方や指導方法は魔法に限らず応用がきく。いずれマヤ・ナイラを後にしても、自分の糧となるだろう、と予感していた。


「マウ先生との合同実習、か……」


 合同実習、ということは、マウ先生が担当している生徒との実戦、もしくは協力がメインになるのだろう。マウ先生はともかく、他人と関わるのは苦手だ。


「……はぁ」


 マウ先生が担当教師だったら良かったのに。なんだって、あんな軽薄男が担当なのだろう。こういう機会でしか、直接指導をもらえることはない。


「仕方ない。切り替えよう」


 ため息を飲み込み、まっすぐ前を向く。高くそびえる、巨大なマヤ・ナイラの本校舎が、私を迎え入れていた。

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