そして神話の続きへと

 アンジェリカが妊娠し、刻一刻と腹が膨れていく。もうそろそろ臨月という頃合いになったら、華奢な彼女の体も腹がパンパンになってしまい、休息を無理矢理与えられたユリウスも、気が気でなく、ずっと彼女の傍にいた。


「大丈夫か? 最近食欲も増してきたが」

「この子が欲しがっているんでしょうね。お医者様と相談しながら食事は摂ってますから、そこまで心配しなくても大丈夫ですよ」

「だが……最近は神殿にも行けてないだろう?」

「臨月に入ってから、神官様たちに『頼むから遠出は図書館までに留めてくれ、ベアトリスに仲介させるから』と言われてしまって」

「それが無難だろうな」


 仕方がなく、アンジェリカは手芸を覚えて、子供のためのクロスを縫う日々であった。ユリウスはそれをかなり物珍しい顔で眺めていた。


「これは?」

「獅子皇国ではその習慣はございませんでしたか? 白狼王国では、子ができたら、親が持ち物をつくる習慣があるんです。使うかどうかが問題ではなく、妊婦があちこち歩き回らないようにという配慮と、安産祈願だと伺っています」

「なるほど……たしかにその手のことは獅子皇国ではなかったな」

「獅子皇国では妊婦はどうなさっているんですか?」

「本当に出産直前まで動き回っているからな。どれだけ心配になるから休んでくれと言われても、なかなか了承してもらえない。だからアンジェリカみたいに大人しく言うことを聞いてくれた例はこの国だと稀だ」

「なるほど……」


 実際問題、獅子皇国の女性は白狼王国の女性よりも腰回りも肩回りもがっしりとした女性が多いため、白狼王国の女性のように、身重になったら大人しくしているものという習慣はあまりなさそうだった。

 ユリウスが過保護になっていたのも、このままだとアンジェリカが倒れそうだからだろう。アンジェリカは口にしてみる。


「獅子皇国の中にも、肉付きがよくない方もいらっしゃると思います。クロスをつくって子に贈るという習慣が根付けば、もしかすると出産間際まで大人しくしてくれる方もいらっしゃるかもしれません」

「流行らせるとなったら、やはり神殿あたりに通達を入れるべきか……」

「そうなさったらよろしいのでは?」


 アンジェリカが塗っていたクロスは寝るときに着られるようにつくったものだった。白い布に青い刺繍を入れるだけの簡易的なものだが、布地が水分をよく吸うため、着心地はいいだろう。

 ユリウスはアンジェリカのお守りをユールとハンナに任せてから、一旦神殿に相談に出かけていったのを、アンジェリカはクスクスと笑いながら見送った。

 既に季節は冬に入りそうになっている。夏も秋も飛び越えた先の、かつて一緒にオーロラを眺めた冬。ハンナが妊婦であるアンジェリカに気を遣って、どこの部屋も冷えないようにしてくれていたため、アンジェリカはポカポカしながら、窓辺の雪を見守る余裕ができていた。

 かつて彼女を不安に陥れていた発情期が、妊娠期間中はないということもあり、アンジェリカも比較的穏やかに過ごせていた。あるのとないのとでは大違いだった。


****


 その日、唐突に破水をしてからというもの、アンジェリカはすぐに寝室に閉じ込められ、医者を呼ばれていた。ユールとハンナは医者の指示でお湯を沸かしたりタオルを取ってきたりとキビキビと走り回っている中、ユリウスは「殿下、邪魔です」と女性陣に言われてしまい、ユリウスは狼狽えたまま、寝室の外に追い出されて、廊下にある長椅子に座っていた。護衛のカスパルは気の毒なものを見る目で見ていた。


「さすがに今は医者もいますし、子を産んで苦しんでいるところに顔を合わせたい女性もなかなかいないでしょうから、今は任せましょう。神殿も安産祈祷なさっているんでしょう?」

「ああ……だが、ここでなにかしたほうがいいのか?」

「呼ばれたらすぐ行くものですよ。あとはせいぜい、後宮の人材を増やして姫様の負担を減らすとか」

「それについては今陳情中だが……アンジェリカが早産になったからどうなるか」

「大丈夫ですって、番が子を産む場合、安産が多いはずですから、悪いようにはなりませんって」

「……アンジェリカが苦しんでないといいが」


 日頃の飄々とした態度から一転し、おろおろとしたユリウスの態度に、カスパルは「はあ」と溜息をついて、ユリウスの頭をポカンと叩いた。


「それ、彼女が健常なときにもっと伝えたほうがいいと思いましたけど」

「それを言うか。貴様のほうはなにもなってない癖して」

「……いきなり自分の話を振りますかあ?」

「正直後宮内恋愛はあまり推奨できんが。俺は別に見て見ぬふりをしてもいいぞ」

「やめてくださいよ、本当にそういう出歯亀みたいなこと言うのは」


 ユリウスに唐突に口撃され、カスパルはうな垂れて天井を見た。

 そもそも。カスパルは皇太子殿下の護衛騎士な上、数少なく後宮に入ることを認められている身分だ……これはカスパルがユリウスの護衛騎士だからだけでなく、彼とは乳兄弟だからという背景が大きい……そんな立場の人間がなかなか恋愛できる訳もなく、身分的には特に問題がなくても、後宮で働いているという話で見合いの話も倦厭されがちだった。

 だからカスパルが気にしている相手ができたのならば、ユリウスは別に応援してもかまわないという反応をしていたが。生まれも育ちも後宮というハンナがいる手前、彼女を無視して堂々と後宮内恋愛すべきじゃないだろうと、黙認以上のことはできないのであった。

 まさか乳兄弟がどちらも白狼王国の女性を見初めるなんてこと、どちらも思っていなかっただろうに。

 やがて、泣き声が響いてきた。

 ようやく締め切られた寝室の扉が開かれた。


「おめでとうございます、殿下。立派な世継ぎです」

「そうか……皇太子妃は?」

「今はすっかりと疲れて休んでおられます。様子を見に行きますか?」

「すまない」


 そこでは彼女の出産に立ち会い、すっかりと体力の削れてしまったユールとハンナも寝台の端っこで座り込んでしまっていた。

 医者は女性陣が用意したおくるみを生まれたばかりの子に巻いている最中だった。

 アンジェリカは汗を噴き出しており、前髪も汗で貼り付いて身動き取れなくなっていた。その傍でユリウスが立つと、アンジェリカはゆっくりと睫毛を揺らした。


「……ユリウス」

「大義であった。立派に世継ぎを産んで」

「ありがとうございます。この子、抱きますか?」

「……これは母親が先にするものでは?」


 ユリウスが難しい顔をするのに、アンジェリカは頷いた。


「私は子を産んでくたびれてしまいましたから。先にあなたがこの子を抱き上げてください」

「……そうか、すまない」


 ユリウスは小さく子を抱きかかえようとするものの、まだ生まれたばかりで小さ過ぎる上、首も据わってないのだから、どうやって抱きかかえればいいのかがわからない。ユリウスがもたもたしていたら、見かねた医師が「殿下、こうやって抱きかかえるんですよ」と手本を見せてくれた。

 ユリウスがやっと我が子を抱きかかえた途端、彼はポロポロと涙を流していた。


「……ユリウス? 大丈夫ですか?」

「……すまない、少し感極まっていた」

「まあ……」

「俺の両親について考えていた」


 ユリウスの母は、望まぬ婚姻の果てにビッチングで性を無理矢理替えられた末に、心身を共に病んで亡くなってしまった。ユリウスは子が生まれ、妻であるアンジェリカも心身共に健全なのを見ながら、ふと頭に浮かんでしまったのだ。自分の母は、出産した際、どんな気持ちだったのかと。

 最初から最後まで合わない番だったということだけしか、ユリウスも聞いていない。

 アンジェリカは彼の生い立ちを知っている。彼がどれだけ心身共に健全であったとしても、彼の背景が健全だった訳ではないことも、もう理解している。

 アンジェリカは手と伸ばすと、ユリウスは抱えた我が子をアンジェリカに差し出した。アンジェリカは小さい我が子の手と一緒に、ユリウスの手も抱き締めた。


「お医者様が許可をしてくださったら、今度皇妃様にご挨拶に向かいましょう」

「……いいのか?」

「私もここに輿入れしてから、ただ自分が不幸だと思って、やるべきことをしていませんでした。ユリウスの一族の墓にきちんと花を供えに行かなければなりませんね?」


 アンジェリカにそう言われ、ユリウスは彼女と我が子を一緒に抱き締めていた。彼の嗚咽が寝室に響き渡った。それをゆっくりと起き上がったアンジェリカが、ふたりを一緒に抱き締めていた。

 一方、やっと起き上がったユールは「はあ」と息を吐いた。疲れて座り込んでいたハンナもやっと立ち上がって、もう持ち帰ったほうがいいお湯の入ったたらいなり、使い終わったタオルなりを回収しはじめる。


「治まるべきところに治まったと思いますのに、まだ穴がありましたか」

「そうですね。戦時中だったとはいえど、おふたりともまだまだ話し足りないこととか、しなければならないことが多過ぎますから」

「そうですね。ひとまずは姫様に栄養があって、出産明けでも食べられるものを用意しなければなりませんね」

「たくさん食べなければ乳は出ませんけど、あまり食べ過ぎても皇太子妃様のお体に負担かかりますから、考えないといけませんね」

「そうですね」


 本来、アンジェリカとユリウスも政略結婚の末に番になったのだ。皇帝夫妻のような結末もあり得たが、いろんな運が絡んで、そうならずに済んだだけだ。

 晴れた温かい日に、墓参りに行こう。そこで孫を紹介するのだ。死人は沈黙しかしないが、生者にとっては励みや救いになることもある。

 その日を夢見て、アンジェリカとユリウスは、我が子と抱き合っていたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る