焦がれし日々

 ユリウスが彼女を目に留めたのは、獅子皇国と白狼王国の停戦合意のときだった。

 戦争はなにもどちらかが絶滅するまで行われるものではなく、あまりに疲弊すれば上同士で協議を重ねて落とし所を探す。

 ユリウスは護衛のカスパルと共に、皇帝の付き添いとして白狼王国に到着したのだ。

 獅子皇国と同じく雪国のはずの白狼王国だが、不思議と植物の色彩が違い、好きな色合いも違い、森に視線を移せばその美しさが目を見張る場所であった。

 王族たちは質素倹約を務めているのか、服装もそこまで派手ではなかったが。


「……あの国、魔術師団に乗っ取られているんじゃないのか?」


 通された宿に到着したとき、ユリウスは心底うんざりとした顔をしてカスパルに告げた。カスパルは「ハハハ」と言う。


「神殿曰く、この国は魔術が使えることが全てで、魔術の力に長ければ長けるほど特権階級になるのだと。王族であったとしても、彼らが戦わなかったら国を守れないからと、それが原因で余計に増長してしまっていると」

「呆れた。すっかりと脅されてるじゃないか。その癖王命と言ってあちらが責任も取らないと」

「ところで殿下、停戦協議中とはいえど、仮にも敵国。カラスとかビュンビュン飛ばしてるであろうところで堂々と協議中の国の悪口を言ってよろしいんで?」

「むしろ聞かせているつもりなんだがな。魔術師団の悪口を言われたというのを、どうやって戦争をはじめる動機に使うのか」


 宿で出されたトナカイステーキに舌鼓を打ってから、少しだけ散策をする。その中。ユリウスはビュンビュンと飛び交うカラスを目にした。


「カスパル。あれが魔術師団の?」

「そうらしいですよ。魔術師の使い魔とされてますけど、あれ自身が魔術なんだそうです」

「……生き物に見えている魔術なのか?」

「はい。だから真冬だろうが嵐だろうが情報伝達ができるんだそうで」

「ほう……」


 美しい自然と一緒に魔術師たちの監視下にある国。

 獅子皇国にある闇とは違う種類の闇を垣間見た中、ユリウスはふと鼻にかかった泣き声が聞こえることに気付いた。

 泣き声の聞こえる方向に視線を向けると、そこには古びた建物があった。


「あれは?」

「あー……自分たち獅子皇国の人間は、あそこは立ち入り禁止のはずです。行ったら最後どうなるかわかりませんよ」

「……薬草の匂いが濃い。魔術師の施設か?」

「殿下! いくら殿下だからって、協議中でまだ停戦処理も終わってないんですから、大人しくしててくださいよ!」


 カスパルに羽交い締めにされて、宿に連れ帰られたものの、ユリウスはあの鼻にかかった嗚咽が鼓膜にこびり付いて全く取れなくなってしまっていた。


****


 ユリウスが護衛であるカスパルをかいくぐって、問題の施設に潜り込んだのは、夜も更けてからだった。

 魔術師がカラスを使い魔代わりに使うと言っても、行使しているのは魔術師な以上、四六時中魔術を行使できる訳もない。深夜と夜明けの境目なら問題ないだろうと、そう思ってユリウスは出て行ったのだ。

 闇に溶け込むような真っ黒な髪。それを夜風に靡かせて、あの泣き声を探す。

 やがて、その施設から出てしゃがみ込んでいるのを見つけたのだ。

 綺麗な少女であった。まだ二次性徴が来たばかりなのだろう。凹凸のない体ではあるが、月夜に浮かび上がるような銀色の髪を背中まで伸ばした少女が悲しんで泣いているのは、何故かひどく胸が痛くなった。


「姫様ー! 姫様ー!」

「……ユール」

「姫様! ……また食事をいただけなかったのですか?」

「……ごめんなさい。私、まだちゃんとできないから。次はちゃんとやるから。ごめんなさい」

「姫様! お腹が空いてしまっては眠れませんね? これを召し上がれ」

「……魔術師団のつくったキャンディー、好きじゃない」

「なっ! たしかにちょっと……どころじゃなく真っ黒ですけど! 百人にひとりくらいはおいしいと思える味のはずです!」

「……それほとんどの人がおいしくないって言ってない?」


 先程まで泣いていた少女は、魔術師なのだろう少女に慰められているのを見て、ユリウスは疑問に思った。


(……王族をいいように使っているのはわかるが……それにしたって王族を虐待するって、なにがあった。この国は?)


 カラスに見つからぬよう、ユリウスは慎重にカラスが入れないような道を使って宿に戻った。国元に帰ってからやることが増えたのだった。


****


 ユリウスが神殿に上げた報告で、神官たちが慌てふためいていた。

 白狼王国が人体実験を行っている恐れがあると。皇帝が本当に久々に現れたアルファであり、ユリウスの母親が本当に久々に現れた女性のアルファで番にしようとした結果、オメガに堕とされたユリウスの母親は弱り切って死んでしまった。

 アルファだけいてオメガが見当たらないのならば、アルファがオメガに転じればいい。言ってしまえばそれだけの話だったのだが、それにしたって非人道的な話だ。


「さしずめ、殿下がアルファとオメガの間に生まれたのだからアルファの理屈であり、アルファと番うための存在を造り上げたのだと思います」

「……だが、彼女を観察していたが、彼女にはアルファらしい感覚もオメガらしい感覚も見当たらなかったと思うが」

「……そうなのですか?」


 アルファには同族であるアルファを見た途端、畏怖やら恐れやらが浮かび上がる。ユリウスは同じアルファである皇帝といるときは畏怖を感じているが、あのとき見かけ、アルファに作り替えられようとしていた少女……白狼王国の第三子であるアンジェリカという少女らしい……あれからは、そのようなものがなにも感じられなかった。

 むしろ彼女を非常に好ましく思えたのだ。

 アルファという存在は、アルファ同士で縄張り争いをするよう仕組まれている。だからビッチングをしたとしても、そう簡単に憎悪というものが拭い取れないし、実際にユリウスの母親もそれが原因で死んだ。古い血脈であるアルファの生態が、獅子皇国の後宮システムと致命的に噛み合っていなかった故の悲劇だった。

 だからこそ、ユリウスは訝しがっていたが。それに神官が「恐れながら殿下……」と声を上げた。


「彼女は、あなたにとって運命の番なのではないでしょうか?」

「……うん? 番とどう違う?」

「これに関しては、本来は白狼王国のほうが資料が多いはずなんですが……どうしても番いたいと種族も国も理屈も越えてしまう存在だということです。実際問題、かつて白狼王国の人間を必死に口説き落として獅子皇国に連れ帰ったのが、獅子皇国の皇族のはじまりのはずですから」

「それ、普通にひと目惚れでは?」


 カスパルがそう茶化すが、ユリウスは「そういえば」と声を上げた。


「カスパルには聞こえていなかったようだが、彼女の泣き声が聞こえた。彼女の泣き声を聞いて探し回ったのが……彼女だったが」


 それにはさすがに神官たちだけでなく、カスパルまで「大丈夫か?」と心配をした。

 結局のところ、停戦合意がその時点ではすることはなく、白狼王国とは再びやり合うことになってしまった。

 そのたびにユリウスは、あの泣いていた銀髪の少女が頭に浮かぶのだ。

 彼女からはスズランの奥ゆかしい匂いがした。彼女の涙を拭いたかった、彼女の細い腰に腕を回し、彼女を苦しめるもの全てから守りたかった。

 やがて、ユリウスは耳にした。


「……お願い、あなたがたくさんくれたもの、全部返すから……あなたを返して……私にはあなたが必要なの……愛してるの……」


 その声はもう、鼻にかかったような甲高い声ではなかった。

 落ち着き払った大人の声であり、未だに壁のある、自身の妃にした彼女の声だった。


****


「……んんっ」


 痰の絡んだ声を上げ、ユリウスの睫毛が震える。それに見下ろしていたアンジェリカが声を上げた。


「ユリウス……!」

「……絶景だな」


 そのひと言で、アンジェリカは悲鳴を上げた上に、ビンタをした。その頬を張った音に、ユリウスはなにがどう面白かったのか、声を上げて笑いはじめた。

 アンジェリカは面白くなく、どうにか必死に繋がった箇所から逃れようと腰を上げようとしたが、下から抑えつけられ、そのまま彼の胸板に転がされてしまった。


「すまないな、ずいぶんと長いこと眠っていた」

「……あなた、私を庇って! 傷だって全然治らなくって……治癒魔術も祝福も使えないから……この方法じゃないと治せないって言われて、だから……なんでそんなに笑うんですか」

「いや、アンジェリカは愛いと思っただけだ」

「……他に言うべきことはないのですか」

「妻が俺の上に跨がって奉仕していた感想を言えばいいのか?」

「……っ! ですから! 他に私に言うべきことはないんですか!? さすがに怒りますよ、本当に怒りますよ私は!」


 アンジェリカは真剣に怒る中、ユリウスは彼女の長い髪を指で梳いた。そして、金色の双眸を細めてふっと笑ったのだ。その笑みの優しさに、アンジェリカは思わず息を呑んだ。


「愛している。アンジェリカ。それはもう、貴様が思っているよりもずっと前から。貴様が体を作り替えられて、魔術をずっと仕込まれている頃、一度だけ貴様を遠くから見たことがある。あのときから、ずっと貴様を助けたいと思っていた。おそらくなにも知らない貴様からは恨まれるだろうし、憎まれるだろうとは覚悟していたが……まさか、求愛の言葉を先にもらえるとは思わなかったがなあ」

「……っ!」


 アンジェリカは、ユリウスに跨がりながら必死に訴えていた言葉が全部ユリウスに届いていたことを知り、恥ずかしさのあまりに彼の腕から必死に逃れようとするが、残念ながら下から腕を回されて身動きが取れなかった。


「あ、あの……離してください……」

「断るが」

「……あなた、つい先程まで死にかけていたはずなのに、どうしてこんなに元気なんですか?」

「番からの初めての求愛を受けたからだろうなあ。それに応えるのも伴侶の務めだと思っているが。奉仕活動で疲れているなら辞めておくがどうする?」

「……他の言い方をしてくださるんだったら、考えます」


 そもそもアンジェリカは知らなかった。彼にそこまで真っ直ぐに愛されていたことも、そもそも彼女が一番苦しんでいた時期を知っていたということも、それを告げればアンジェリカの関心は買えただろうに、今この瞬間まで隠し通していたということも。

 彼の愛情は、あまりに深くてよく見えない。

 海は大きくて広くて真っ黒な鯨の口の中みたいなものだ。彼の愛情もまた、鯨の口の中のように、なにも見えない。

 アンジェリカの下手糞なおねだりに、ユリウスはしばし考えてから口を開いた。


「なら、初夜をやり直そうか」

「……他の言い方はないのですか」


 そう口では言ったアンジェリカだが、そもそも言うのと言わないのでは、全然抱き締められたときの感覚が違うというのを、このときに嫌というほど思い知った。

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