雪割草に君を想う

 冬が訪れ、憂鬱病になるのではないかと危惧したユリウスがほぼ毎晩訪れるようになったことに、アンジェリカは狼狽えつつも、彼の相手をする。

 二度目の発情期も穏やかに終えることができ、アンジェリカは自分の中の憎悪や嫌悪が溶けていく実感を覚えつつも、思い悩む日々が終わることはない。


(……番になったら、そんなに呆気なく私の感情が消えてしまうものなの?)


 傷付けられた。苦しかった。つらかった。

 それがユリウスと出会ってから、だんだんその気持ちが薄らいで、彼への感情で押し流されていく。これがなにもないただの乙女であったらそれでよかったが。

 戦勝国である大国の皇太子と、敗戦国の人質として送られてきた王女であったら、それでいいのかとも悩む。


(……子ができたら、こんなに悩むことはなくなるのかしら)


 そもそもアンジェリカは、後宮の外のことがわからない。

 獅子皇国の後宮に入ってからこっち、なにひとつ世情がわからないし、獅子皇国や白狼王国がどうなっているのかも知りようがない。戦争が本当に終わったのかすらも定かではない。

 だから彼女は感情任せに行動していいのかすらわからず、困り果てていた。


(私がただの市中の娘で、ユリウスが市中の男であったのなら、ここまで悩むことはなかったのに)


 わからないこと、知りたいこと、知らないといけないこと。

 これがもっと愚かで愛されるためだけにつくられたような愛玩妃であったのなら、彼女は思い悩むことなくユリウスの愛情を享受できたのだろうが、残念ながら彼女はそうではなかった。

 アンジェリカがそう思い悩む。

 悩むアンジェリカを見かねたのは、意外な人物であった。


「皇太子妃様は……本はお好きですか?」

「はい?」


 その日も思い悩みながらも食事を済ませている中、今までずっと給仕をしてくれていたメイドに唐突に話しかけられたのである。

 黒い髪をひとつのお下げにまとめた少女は、毎日毎日、オロオロしながら給仕をして、寝室を整えてくれている。本来後宮にはもっと人を入れているはずなのに、アンジェリカは自分の身の回りでは彼女しかメイドを見たことがなかった。


「そういえば……あなたの名前を聞いたことがなかったわね。あなた、名前は?」

「ピャッ……わ、わたしは……」


 メイドは困ったように侍女であるユールのほうに視線を送る。これがまともな侍女であったのならば、「姫様に声をかけられる立場ですか」とピシャリと言って追い払うだろうが、ユールは元々侍女ではなく、魔術師だ。その手の知識は欠落している。


「姫様がお話なさっているのだから、どうぞ答えておあげなさい」


 ユールに促されて、やっとメイドは口を開いた。


「わ、わたしは……ハンナと申しますっ、妃様の代から、ここで働いてまして……」

「そうなの。そういえば……どうしてあなたはここで残っていられたの?」


 後宮は後宮の最高責任者が替わるごとに、中で働いている使用人も替わると聞いている。前の責任者は皇帝のはずだが、皇妃がなくなってからは愛妾たちのことも放置してしまったらしく、後宮を維持できなくなったからこそ、ユリウスが後宮を引き継いだはずだ。

 それにハンナはオロオロしながら言う。


「わたしは……他の方々と違って……いい家の身分でも、紹介状で来た訳でもありませんし……他に行くところが、ありませんでしたから……だから殿下が情けで置いてくれているんです」

「まあ……それって」

「……陛下が母を慰み者にしたらしくて」

「それは……愛妾ではなくて?」

「母は、元々側室として後宮に入った方のメイドとして着いてきただけでしたから……」


 ただでさえ、番に拒絶された番に無理矢理愛妾をあてがうというのが無理があったのだ。先代の皇帝には番やアルファの生態についての知識が皆無だった。そこで無理にあてがった人間に行くはずもなく、矛先がたまたまそこにいた女というだけで手を出したのだとしたら……それはハンナの母親も陛下も不幸なことになる。

 なによりも問題なのは、ただでさえ番に対して理解がないのだから、側室ではなくメイドに産ませたとなったら、醜聞となってしまう。


(ユリウスが後宮を解体したがっている一因は、番制度の理解のなさに、後宮制度が招いた悲劇が重なった結果だわ……まさか彼女がユリウスの妹になるなんて思わなかったけれど)


「……あなたの事情はわかりました。それで、本が好きかっていうのは?」

「あ……はい。後宮には歴代の蔵書を揃えた図書館がございまして。憂鬱病にならないよう、たびたびここにいる方々は読書に励んでおられたのです。皇太子妃様も、よろしかったらいかがですか?」

「……そこに、新聞なども入ってるかしら」

「わたしはわかりませんが、司書さんにお聞きなさるのは?」


 それにアンジェリカはユールの方を見た。

 ユールも祖国からの命令が入らないのをいろいろ思うところがあったのか、大きく頷いた。


「ありがとうハンナ。その図書館はどこかしら?」

「はい。ご案内しますね」


 ハンナの素朴な性格にほっとしながらも、アンジェリカはユールを伴って、後宮内にあると言われている図書館に足を運ぶこととなった次第であった。


****


 ハンナに案内され、長くて細い道を歩く。その端々まで綺麗にされているから、彼女が一生懸命掃除していたのだろうと思う。

 やがて、大きな円状の建物が見えてきた。


「こちらです。ここは後宮に住まう方々以外使用しません。妃様方や陛下、殿下しか使わないのですよ」

「まあ……立派ね」

「はい。獅子皇国の歴史が詰まっているとされます。どうぞ」


 アンジェリカとユールはそわそわしながら中へと入る。

 戦争が多い国だから、資料なんて一瞬で消えそうだが、一番安全な場所にこれだけ立派な蔵書をしまい込む場所があるのだったら納得だ。

 司書らしき人は、神殿の巫女装束を着ていた。おそらくは神殿から出向してきた人間なのだろう。


「こんにちは、ベアトリスさん。皇太子妃様たちが憂鬱病対策に本を読まれたいとのことでお連れしました」

「まあ、ようこそ、皇太子妃様」


 ベアトリスと呼ばれた司書はペコリと頭を下げるので、アンジェリカとユールもお辞儀をする。


「それで、こちらで歴史の本は閲覧できますか?」

「ええ、できますよ。こちらへどうぞ」

「あと、最新の情報は……」

「そうですね。新聞ならば」


 ベアトリスはそれぞれ選んで持ってきてくれた。


「皇太子妃様は、たしか隣国の方でしたわね。こちらは魔道文字になりますが読めますか?」


 基本的に歴史に残す書物は、一般人が読めないよう、なおかつ公の職務に就く者が読めるような文字で記録されるのが通例だ。そして魔道文字は、獅子皇国ではほぼ神殿関係者と王族以外は読めないが、白狼王国ではほぼ一般人にまで普及している文字だ。


「読めます」

「それは結構です。こちら数冊は王族の教育用のもので、こちらが古いものになります。こちらは最近の新聞です。市中に回っているものですから獅子皇国の文字で書かれていますが……こちらは問題ございませんか?」

「大丈夫です」


 アンジェリカの場合、魔道士団にアルファとしての教育を受ける際に、白狼王国の古文から近辺国の文字の読み書きを五カ国分は学んでいた。アンジェリカの言葉に、ベアトリスは「それは結構です。なにかありましたらカウンターまでどうぞ」と言って戻っていった。

 ハンナは新聞程度は読めるようだが、他のものはほぼ読めないようで、ポカンとした顔をしていたが。アンジェリカはユールと一緒に読みはじめた。

 この数ヶ月で世界がどうなっているのか、そもそも白狼王国と獅子皇国の停戦は表立ったものなのかがわからないため、確認したかったのだ。

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