かつての皇妃は既に
アンジェリカが悶々としたまま、後宮で暮らしていた。
本来ならば子作りが妃の仕事なれど、ユリウスは不思議と彼女にそれを求めなかった。布団で寝たふりをしていたら、彼女の長い髪を手で梳かれているだけで、本当になにもしてこない。
「……子作りは責務ではなかったのですか?」
さすがにユリウスの意図がわからず、ある日とうとうアンジェリカは尋ねた。
それに彼はじっとアンジェリカを見つめる。
「俺はまだ皇太子であって、皇帝ではない。だから今世継ぎをつくったとしても、争いの種にしかならない」
「ならどうして私を番にしたんですか。番になったら、私はあなたに束縛されるしかないじゃないですか……」
「束縛されたいのか? されたくないのか?」
ユリウスに頬を撫でられる。それは行為のときの愛撫のような熱の篭もったものではなく、まるで聞き分けにない子供を宥めるような手管だった。それにアンジェリカは唇を噛む。
「話を逸らさないでください」
「……俺が本気になったら、アルファは必ずオメガを孕ませる。それで身重になって苦しむのは貴様だろう?」
「そこまでわかっていて……どうして」
「本来ならば、そこまでわかっている相手を番にするべきではない。そんなことはわかっている。でも番にしなければ守り通せないこともある」
「……それは、なんですか?」
「番はどこにいても相手のいる場所がわかる。かつてアルファとオメガの番は運命の番だと言われ讃えられていたのは、なにも必ず強い世継ぎが生まれるからだけではない。伴侶の場所が必ずわかるというのは、どんなときにおいても重要なことだからな」
アンジェリカはそれでしばらくユリウスを見ていた。
本来、獅子皇国と白狼王国は停戦協定を結び、そのためにふたりは政略結婚を交わした……互いにまだ戦争の爪痕が残っている国なため、大きな式典は行わなかったが、それで充分だった。
でもアンジェリカはユリウスの言葉で気付いてしまった。
(彼の中では……まだ戦時下なんだわ……白狼王国がまだ獅子皇国を滅ぼすことを諦めていないのと同じで、獅子皇国は未だに白狼王国が諦めてないことを知っている……私は、まだ人質としての価値があるのかしら……)
少しだけ浮上してきた気持ちが、すっと沈む。
彼が欲しいのは、居場所のわかる人質であって、番を伴侶として認めた訳でも、妻として大事にしようとしている訳ではない。
人質がちゃんと生きてなかったら人質として意味がない。だから丁重に扱っているに過ぎない。
そこまで考えて、だんだんアンジェリカは悲しくなってきたものの、自分で効いて勝手に落ち込んでいるだけだ。いちいち気にしてはいられない。
「そうなんですね……」
「全部終わったらきちんと子を孕ませる。だからもう少しだけ待て」
「勝手にどうぞ」
言葉遊びは空虚だ。アンジェリカの気持ちだってどうにもならない。自分が甘くてチョロく、それを簡単に踏みにじられただけだと、彼女はユリウスを背にして布団を被って眠ってしまった。
その間もずっとユリウスは彼女に寄り添い、彼女の長い髪を撫でて彼女の腰をポンポンと叩いて寝かしつけていたのだが、彼女はそれを気付かないふりしていた。優しさではない。籠絡なんだと、そう思わないとやっていられなかった。
****
アンジェリカが庭に出て花を眺める。
なんだかんだ言って庭師らしきメイドたちが世話をしてくれているため、故郷を思わせる花は季節がゆっくりと変わる中でも見頃のまま見せてくれる。
彼の気配りの賜なのか、彼の籠絡のための手段なのかわからず、それでも庭の花々を愛でる以外に彼女はやることがなかった。
「姫様、侍女も連れずに散歩して大丈夫なんですか?」
「……カスパル。あなたのほうこそ、殿下の傍にいなくてよろしいんですか?」
「むしろ自分は殿下から見守るよう言われてますからいいんですけどね」
「そうなんですか……」
「まだ殿下のこと、信用ならないようで?」
カスパルは乳兄弟のせいか、ずっとユリウスを庇うような言動が見え隠れする。アンジェリカは思わず尋ねた。
「殿下はどうして、私に子作りを迫らないの? いろいろ言い訳ばかり並べているし、彼の中では未だに戦時中だからなのかもしれないけど。だったらなおのこと子を作らせるべきなのに、なにもしてこない……」
「それ、普通に子作りしたいとおっしゃればよろしいのでは?」
「無理よ。もしなにかあった場合、私はお腹の子を抱えて逃げることができない」
「子ができれば、殿下はちゃんと姫様もお腹の世継ぎも守るでしょうが」
「わからないの。わからないんだもの……あの人がなに考えてるか」
カスパルはしばらく頭をカリカリ引っ掻いてから、口を開いた。
「あの人、自分の伴侶が自分の母親みたいになるのを怖がってるんですよ」
「伴侶……そういえば、この国の皇妃は?」
戦時中は情報遮断がなされていたために、この国の現状をアンジェリカはなにも知らない。せいぜいユールと共に魔術師団から学んだことと、カスパルの言動くらいしか情報源がないのあd。
カスパルは髪を引っ掻く。
「……このこと、皇太子妃である姫様くらいにしか言えませんから、どうかこのことはご内密に」
「ええ……」
「殿下の母は、オメガだったんですよ……つまりは、この国は昨今だと珍しく二世代続いてアルファとオメガの番い婚だったんです」
「……待って。もし生粋のオメガだったのなら、母親のようになってほしくないには当たらない……まさか、皇妃様は……」
「おっしゃる通りです。あのお方、アルファだったのを閨事のマウント合戦に負け、オメガに堕とされました」
「……私と、同じだったのね……」
「はい。戦時下だったために、余計に強い子が欲しいと、その日の内に妊娠させたそうなのですが……それで皇妃様は心身を崩されました。ですから殿下はほぼほぼ自分の母が育てたようなもので、彼女はすごい勢いで弱ってしまったのです」
それはあまりにものな話だった。
オメガは番のアルファなしでは生きていけない。だというのに、戦時中に子作りを強行したがために、弱ってしまった。
「彼女が弱っていく中、だんだん陛下も弱っていきました。さすがにこれでは国に示しが付かないし、最悪戦場にいる騎士たちの士気にもかかわりますから、後宮に妃を大量に入れ、行為に励むことで忘れさせることにしたんです。番は魂の結びつきであり、本来はアルファは番のオメガ以外を娶らないものなんですが……そうでもしないと国は持ちませんでした」
「……殿下が後宮を解体したかったのは」
「おそらくはいつまで経っても母親の見舞いに来ない父を見て、父親に殺意を向ける母を見て、いろいろ思ったんでしょうね……自分はずっと一緒にいたせいで、どうしても穿った見方しかできませんけどね。殿下は本当に姫様に、自分の母親のようになってほしくなかっただけで、無理強いをしたくはないんだと思います。それだけは信じてあげてください」
アンジェリカはそうカスパルに頭を下げられてしまった。
彼は本当になにも言わないし、語らない。言い訳すらしてくれず、睦言は……言っているような気がするが、それを受け入れていいのかが彼女にはわからない。
「あの人を、私は信用できるようになるのかしら……」
答えの出ない問いがまろび出た。
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