第18話


§



 ここから、氷室さん主催、着せ替えファッションショーが始まる。

 色んな服の組み合わせを、あーだこーだ言いながら何度も、なんどもなんども、くたくたになるくらいなんども繰り返し、くりかえし試着していく。



 様々なパターンを考察、実践しては、色味が微妙、シルエットが違う、生地が合わない、TPOに合わない、などと注文が入り、僕の気を摩耗させる。



「上着くらい私がいる前で着替えなさいよ」

 最初のうちは着替える度、廊下に出て着替えていたのだけど、途中から煩わしくなったのか、氷室さんはそう言うので僕は抵抗を示す。



「や、でも一応」

「いいから」

「やっ、やめて! 乱暴しないで・・・・・・!」

「女みたいな事言うな!」

「やだっ、恥ずかしい・・・・・・!」

「なにが恥ずかしいのよっ」 



 完全に男女逆転して、氷室さんは強引に上着を脱がせに掛かるので、僕は必死に抵抗する――けれど、意外と氷室さんの腕っ節は強くて、僕は腕を取られると、勢いそのままに床に押し倒されてしまう。



 すると、僕に覆い被さるように、氷室さんは僕に馬乗りになっていた。 なんか見覚えある、というかこれはラノベ的ラッキーハプニングでは? いやでもこれ、立場逆だしラッキーなのかな? いやでも女の子に押し倒されるのは、それはそれでドキドキのシチュエーションだった。「あの・・・・・・」



 二人とも、事の意外性に呆気に取られて言葉を失ってしまった。ややあって、僕が声を振り絞ると、その時、不意に第三者の声が差し挟まれる。



「零、なにしてんの?」



 突如として、聞き慣れない声がした。

 僕と氷室さんは、同時に声のする方へと振り返る。すると気付けば部屋の扉は開かれ、廊下で立ち尽くす男の人の姿があった。

 すぐには誰か分からず侵入者かと思ってしまったけど、相当気が動転してる。そんな訳はない、むしろ侵入者で言えば僕の方だ。



「あ、兄貴・・・・・・」



 他でもない、その人は氷室さんのお兄さんだった。

 甘いルックスに、ゆるくパーマのかかった栗色の髪。上背が高く、身に纏う洋服は垢抜けて素人目から見てもオシャレだと分かる。

 この人が氷室さんのお兄さん・・・・・・なるほど、これは確かに兄妹だ。



 けれど、お兄さんの方は少しルックスにあどけなさがある。氷室さんは大人びた表情だからそこは違いがあるけれど、いずれにせよ美形の兄妹だった。



「へぇ、お前って意外とガツガツ行くタイプなんだな」

「ち、ちがっ・・・・・・!」



 一瞬、呆気に取られた氷室さんだったけど、すぐにガバッと体を起こし、僕から距離を取ると、膝を突いた状態で両手を広げて降参のポーズを取る。この場合だと、手を出してない、といったようなニュアンスのポーズだった。

 誤解を招く言動に、氷室さんはすかさず言い返すけれど、すぐに反論が出てこない。



「ちょっ、来て!」



 氷室さんは慌てて立ち上がり、お兄さんを部屋から遠ざけるように両手で押し退けると、渡り廊下の奥へと向かっていく。

 僕はその間に身体を起こし、体勢を立て直す。そして、扉の向こうで会話する兄妹の会話に、耳を傾ける。 扉は開いたままなので、会話は、鮮明ではないけれど、聞こえてくる。



「お前、付き合ってる奴いたんだ」

「違うって! 友達だからっ」

「はぁ? 友達押し倒すの?」

「それは、たまたまそうなっただけで・・・・・・」

「いや、意味分かんねぇぞ。なんだよ、たまたまって。てゆうか、俺の服着てなかった?」

「それはだから、服が欲しいっていうから、あげたの・・・・・・。私にくれたんだから、私がどうしようと勝手でしょ?」


「いや別に、俺の許可なく勝手に服あげた事を注意してるんじゃないんだけど。てゆうかあの子、お前が友達なるタイプと全然違うけど」


「別に、そんな事ないし・・・・・・。大体、人選んだりとかしないし」


「いや、傾向の話を言ってるんだけど、まぁなんでもいいけど。でも、友達にしてはちょっと、あれだよな」

「なに・・・・・・?」


「不用意だよな。男を部屋に連れ込むなんて。いや、あの子が不用意だったのか。襲われてるし」


「っ、だからっ・・・・・・!」

「ああいうちょっと冴えない感じが好みなの?」


「違うって言ってるでしょ・・・・・・! そういうんじゃないってば! そもそも、あの子には好きな人いるから、別に兄貴が思うような関係じゃないの!」


「え? そうなの?」

「そう! だから変な詮索しないでっ。てゆうか、なんで帰ってきたのっ?」

「いや、忘れ物したから」

「じゃあ、早く取りに戻って、早く出てって!」

「分かったわかった。お楽しみのところ・・・・・・、じゃなくてお取り込み中のところ悪かったよ」


「っ、もう、バカ・・・・・・!」



 手玉を取る側の氷室さんが、お兄さんの前では手玉に取られている・・・・・・!

 あまりにも新鮮なシチュエーションに僕は驚きを禁じ得ない。

 なるほど、氷室さん。家ではあんな感じなのか。

 ややあって、



「ごめん・・・・・・今の忘れて」



 肩を落として部屋に戻ってくると、氷室さんは力なく言った。再び座り直すと、ジュースを一口飲みながら「ったく、あいつ」と悪態を吐く。その怨めしそうなセリフには負け惜しみの側面が強い。



 さっきはお兄さんの事しょうもないとか言ったけど、もしかして日頃、こんな調子でからかわれてるから根に持ってるだけなのでは?

 なにはともれ、僕が発端でこんな事になってしまい申し訳が立たない。「ごめん、僕のせいで」

 一言謝ると氷室さんは仏頂面のまま「別に」と答える。



「あんたはなにも悪くないでしょ。全部兄貴が悪いよ。あいつマジで許さない」



 心底怨めしそうに言うので、相当根に持っているようだ。こんなに感情を露わにする氷室さんは珍しい。



「はぁぁぁ」と深い溜め息を吐きながら氷室さんはテーブルに頬杖を付いておもむろにお菓子に手を伸ばす。小分けにされたチョコレートで、包みを解いて口に放り込むと、



「色々着てみて、どれがよかった?」



 と、訊ねてくる。

 切り替えて話を戻してくるので、僕はいくつか気に入った組み合わせを提示すると、氷室さんは「そう」と淡泊な相槌を打った後「じゃあそれ全部あげるから持って帰って。バーベキューの時はその組み合わせの中から好きなの着てきたらいいよ。どれも似合ってたから」

 そして最後に、微笑を浮かべながら氷室さんは言う。



「バーベキュー楽しみだね」



 それを聞いて僕は少し感慨深い気持ちになる。何気ない言葉だけど、氷室さんと共通の楽しみを共有出来ている今の自分が不思議に思えたのだった。



 氷室さんと出会わなければ僕は今頃、家でゴロゴロしてるだけだった。いや、それは今もそうだけど、でもクラスメイトとバーベキューに行くなんて絶対なかっただろうし、そうした心境の変化の積み重ねが、またさらなる変化を遂げて違う環境に身を投じるかもしれない事を思うと、誰かと関係を構築する事は、不安もあるけれど、新たな可能性が開ける前向きなものとして解釈出来る。



「――そうだね」

 氷室さんの言葉を受けて、僕は期待を込めてそう言った。

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