第5章 学院試験と裏切りの影2
王都の空が、紅に染まっていた。
魔力の波が渦巻き、学院の塔が軋む。
地面の下から響く重低音は、まるで大地そのものが呻いているようだった。
ライルはミナを庇いながら学院の裏門へと走った。
「この揺れ……まさか、封印が完全に起動したのか!」
「そんな……学院の下には、古代の地下層があるはず! あれを使ったの!?」
遠くで鐘が鳴った。
警鐘ではない。儀式開始を告げる鐘だ。
学院中に刻まれた魔法陣が一斉に光り、塔の先端から黒い柱が空に伸びていく。
ミナが息を呑んだ。
「これ……《封印継承儀式》! 王家が伝承だけにしていたはずの禁術……!」
ライルは拳を握った。
「つまり、王家は封印を“管理”するつもりなんだな。世界を守るためじゃなく、支配のために」
学院の廊下を抜け、二人は地下への階段を駆け下りた。
熱気が立ち込め、魔力の光が脈動している。
下へ行くほど空気が重くなり、呼吸すら困難になる。
「ミナ、結界を!」
「了解!」
ミナが詠唱を唱えると、淡い光が二人を包んだ。
空気の圧が少しだけ和らぐ。
「……これ以上下に行けば、魔力の逆流でやられるわ」
「それでも行く。師匠の記録が言ってた、“もう一つの封印”がこの下にある」
* * *
地下最下層。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
巨大な球状の装置が宙に浮かび、その表面を数百本もの魔力の管が取り巻いている。
中央には人の形をした何かが封じられており、淡い青白い光を放っていた。
ミナが呟く。
「……これは、“古代勇者体”の核。伝説にある《初代勇者アーク》の肉体……?」
「まさか……これを王家が封印に利用してたのか」
そのとき、背後から声が響いた。
「そうだ。正確には、“封印の媒体”として、な」
振り向くと、そこにはセラフィードが立っていた。
黒衣の法衣をまとい、冷たい微笑を浮かべている。
「勇者アルディスは、あの時——この装置を完成させた。
“禁呪”の暴走を止めるために、仲間の命と引き換えに、初代勇者の肉体を核として再封印したのよ」
ライルは息を詰めた。
「……じゃあ、アルディスが王家を裏切ったっていうのは?」
「裏切り? 違うわ。彼は命令に背かなかった。
むしろ、王家の望む“永遠の封印”を完成させた。……ただし、“代償”として、自分の魂を核の中に入れたの」
ミナが青ざめた。
「それって、まさか……!」
セラフィードの瞳が光る。
「そう。あなたの中にいる“アルディスの魂”は、その時この装置から零れ落ちた残滓。
本体はまだ、ここに眠っている」
——ライルの心臓が跳ねた。
頭の奥で、再び師の声が響く。
《来るな、ライル。ここは——》
「師匠……!」
《ここには、私の“終わり”がある。お前はまだ来るべきじゃ——》
声が途切れる。
セラフィードが歩み寄った。
「彼はここで、私たちの“礎”になった。王家も学院も、彼の犠牲の上に成り立っているのよ」
「そんなものが“礎”か……!」
「違うの? あなたの中にある勇者の力は、彼の犠牲があったからこそ得られたものよ」
ライルは剣を抜いた。
光剣ルシフェルが、怒りと共に輝く。
「違う! 犠牲の上に立つ力なんて、俺はいらない!」
その瞬間、装置が脈動した。
封印の核が反応し、青い光が閃く。
セラフィードの顔から微笑が消えた。
「……目覚め始めた? まだ早いはずなのに……!」
ミナが叫ぶ。
「ライル、離れて! この魔力の反応、暴走してる!」
装置の表面が裂け、光が吹き出す。
空間が歪み、魔法陣が崩壊する。
「くっ……! 封印が自壊してるのか!?」
セラフィードは舌打ちし、詠唱を始めた。
「——封印補強、
だが、制御のための魔法陣は破壊され、逆に爆発的な反動が起きた。
轟音。
熱風。
崩れる天井。
ミナがライルに飛びついた。
「ライルっ!」
「大丈夫だ、ミナ!」
その瞬間——
装置の中心から、光とともに“人影”が立ち上がった。
それは、アルディスの姿をしていた。
だが、その瞳は虚ろで、理性を失っている。
「師匠……?」
《……封印……維持……》
機械のような声が響く。
セラフィードが微かに笑った。
「見なさい。これがあなたの“本当の師”。
封印と一体化し、“人ではなくなった勇者”の末路よ」
ライルの胸に、何かが崩れる音がした。
剣を握る手が震える。
(これが……師匠の、最期……?)
だがそのとき、アルディスの瞳に一瞬、光が宿った。
《……ライル……》
その声は確かに“人”だった。
「師匠!」
《……私を……止めろ……。封印が……限界だ……》
「やめて! そんなの——!」
《いいや、ミナ。——これが、俺の“最後の使命”だ》
ライルは光剣を構えた。
ミナの叫びが背中を突き刺す。
「ライルっ、待って! もし彼を斬ったら、封印が完全に崩壊する!」
「分かってる! でも、このままじゃ王都ごと飲み込まれる!」
セラフィードの声が響いた。
「勇者アルディスの継承者、ライル。
ここであなたが“斬る”か“守る”かで、歴史が変わる。
選びなさい。勇者の道を」
ライルの瞳に、涙が滲む。
「師匠……どうすれば……」
アルディスが微笑んだように見えた。
《勇者は、誰かを救うために剣を取る。……自分を犠牲にしても、な》
ライルは静かに頷いた。
「……分かった。師匠、今度こそ——俺があなたを救う」
光剣ルシフェルが輝きを増す。
空気が震え、封印装置の中心が崩れ始めた。
ミナが叫んだ。
「ライル——!」
ライルの声が響く。
「——《ルシフェル・ブレイク》!!」
光が奔り、封印装置を貫いた。
瞬間、全ての音が消えた。
* * *
……静寂。
何もかもが、光に溶けていく。
ライルは、白い空間の中で一人立っていた。
目の前に、師アルディスの姿がある。
もう、苦しそうな表情はしていなかった。
《お前は、よくやった》
「師匠……封印は……?」
《もう終わった。お前が断ち切った。私の魂も、ようやく眠れる》
「そんな……あなたを失いたくなかった」
《失うんじゃない。お前の中に、私はいる》
アルディスが微笑んだ。
《これからお前は、“新しい勇者”になる。王家のためではなく、人のために》
光が、再び強くなる。
《ライル——次はお前の物語だ》
師の姿が、ゆっくりと消えていった。
* * *
爆音と共に、現実が戻ってきた。
崩れた地下、瓦礫の中で、ミナがライルに駆け寄る。
「ライル! しっかりして!」
「……俺は……大丈夫だ」
封印装置は完全に沈黙していた。
セラフィードは瓦礫の向こうで、静かに立ち尽くしていた。
「……彼を斬るとは。本当に、“勇者の系譜”なのね」
「皮肉だな。勇者の名を継ぐほど、誰かを失う」
ライルの声は、どこか遠かった。
セラフィードは一度だけ、深く息を吐いた。
「これで封印は消えた。でも、王家は黙っていないわ。あなたを“異端”として追うでしょう」
「構わない。——俺は、もう誰の剣にもならない」
その言葉に、ミナが微笑んだ。
「じゃあ、これからは私があなたの“盾”になるわ」
ライルは苦笑して立ち上がった。
「頼もしいな、ミナ」
崩れた天井の隙間から、朝の光が差し込む。
だがその光は、どこか赤く濁っていた。
王都の外壁に、黒い雲が広がっている。
封印の崩壊が、まだ完全には止まっていないのだ。
ライルは空を見上げ、低く呟いた。
「……ここからが、本当の戦いだ」
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