第2章 落ちこぼれ弟子、王都へ2

 王都リオ=グランの朝は、雑踏と鐘の音で始まる。

 市場の喧騒、商人の怒鳴り声、パン屋の香ばしい匂い。

 そのすべてが、かつての栄華の残り香のようだった。


 ライルとミナは、王都の下町にある安宿に身を寄せていた。

 木造の二階建て。軋む床。壁の隙間からは夜風が吹きこむ。

 だが、ミナはベッドの上で満面の笑みを浮かべていた。


「ねえ師匠! 見てください、パンです! しかも中に干しぶどうが入ってる!」

 彼女が差し出したのは、今朝の市場で手に入れた安物のパンだった。


「……よくこれだけの小銭で買えたな」

「値切りですよ! 女の武器です!」

「武器って……」

 苦笑する。

 彼女の天真爛漫さは、荒んだ王都の空気を一瞬で和らげる不思議な力があった。


 ライルは椅子に腰を下ろし、剣を磨きながら窓の外を見つめた。

 遠くには、王立学院の塔がそびえている。

 王都でもっとも栄誉ある学舎。

 師アルディスも若き日に一度だけその地を訪れ、魔法理論を学んだという。


 ――真実は王都の地下に眠る。


 あの言葉の意味を探るには、学院の資料庫へ潜るしかない。

 しかし、外部の者は立入禁止。

 正面から入るには、学生か職員になる以外の方法はなかった。


「……試験を受けるか」

「えっ?」

「学院の入学試験だ。通れば内部に入れる」

「でも、そんな……師匠、書類も推薦もないじゃないですか」

「まあな。でも、腕前だけは本物だ」


 そう言って、ライルは剣を鞘に収めた。

 その瞳には、久しぶりに火が宿っていた。


 * * *


 学院の試験会場は、朝から人で溢れていた。

 貴族の子弟、地方から来た魔法使い志望の青年たち――

 みな華やかな服に身を包み、緊張と自信の入り混じった表情をしている。


 一方、ライルはといえば、旅の途中で擦り切れたマントと、使い古された剣一本。

 周囲の視線が冷たく突き刺さる。


「平民か。どうせ一次試験で落ちる」

「剣士なんて時代遅れよ。これからは魔法の時代だわ」


 そんな囁きを背に受けながらも、ライルは列の最後尾で静かに順番を待った。

 ミナは観覧席から手を振る。

「師匠ー! がんばってー!」


 周囲がどっと笑い、彼は顔を赤くした。

 だが、その声が、なぜか勇気をくれた。


 試験官の合図とともに、木造の扉が開く。

 そこは広大な演習場。

 魔法陣が床に描かれ、空気がわずかに震えている。


 第一試験は「実技」。

 魔物の幻影を相手に、各受験者が自らの力を示すというものだった。


 次々と魔法の光が走り、受験者たちが歓声を浴びる。

 炎、氷、雷。

 彼らの力は確かに美しかった。


 だが、ライルの番になると、会場の空気が変わった。

 彼の手には、魔法の杖もなければ呪文書もない。

 ただ、剣一本。


「剣士……? まさか魔法も使えないのか?」

 観覧席から笑いが起きる。

 だが、ライルは微動だにしなかった。


「始めよ!」


 目の前に、幻影の魔狼が現れる。

 その咆哮が響く刹那、ライルの身体が動いた。

 風を切る音。

 一閃。


 観客が息を呑んだ。


 魔狼は声を上げる間もなく消滅していた。

 まるで幻影そのものを断ち切ったような、静かな斬撃。


 審判の魔法士が口を開けたまま立ち尽くす。

 その瞬間、会場の空気が一変した。


「今の……何だ?」

「速すぎて見えなかった……!」

「魔力の気配がない。あれは――」


 審査官のひとりが口を開く。

「……剣気だ。魔法ではなく、純粋な剣の気流。勇者アルディスと同じ技だ」


 ざわめきが広がる。

 ライルの胸の奥が熱くなった。

 久しく忘れていた感覚――誰かに“認められる”という感情。


 だが、試験はすぐに中断された。

 上級審査官の命令だった。


「その者の審査を一時保留とする。勇者の弟子など、信用ならぬ」


 冷たい声が響く。

 それは、王国派貴族・レオンハルト卿。学院の有力後援者にして、勇者の粛清を指揮した男だった。


 「勇者の血を引く者は、再び国を混乱に導く」

 それが、彼らの常套句だった。


 ライルは口を閉ざし、頭を下げた。

 この国では、剣を抜くことより、耐えることの方が難しい。


 だが、その夜。

 宿に戻ると、ミナが机の上で紙を広げていた。


「師匠、これ見てください!」

「……なんだ?」

「二次試験、裏口があるんですよ。地下回廊を通れば――」

「おい、待て。そんなことしたら本当に追放されるぞ」

「もうされてるじゃないですか」


 あっけらかんと言い放つ彼女に、ライルは吹き出した。

 思えば、師アルディスもこんなふうに笑う人だった。

 絶望の中でも、笑って歩く人。


 その夜、二人は小さなランプの光の下で、地図を広げた。

 地下回廊――王都の古い下水道を利用した迷路。

 そこに、学院の秘密資料庫へと続く扉があるという。


「行くしかないな」

「うん。だって、勇者様の真実を知るためでしょ?」


 ライルは頷き、剣を背に差した。


 ――落ちこぼれ弟子の挑戦が、静かに始まる。

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