第50話:俺は敵地で伝説になっていた。

「まさか……あいつもガイア教だったなんて……」


「は?何言ってんの?この暑さで脳が焼けた?」


 隣で美咲が呆れているが、俺の動揺は収まらない。

 あの演説。あのポーズ。間違いない。

 龍造寺蓮は、俺と同じ「選ばれし者」だ。

 

 俺が校門の影で頭を抱えていると、ふと、視線を感じた。

 松浦東高の生徒の一人が、校庭からこちらを指差している。


「お、おい、アレ見ろよ!」


 なんだ?俺の方をみて何やらざわついている。


「なんだなんだ?……おい!ま、まさか、あれは……」

「え、何?本物なの?」

「動画で見たやつだ!あの重力が消えた男!」


 ……は?重力が消えた? なんの話だ?


「おい、あれだよ! 虹ヶ丘の体育祭でバズってた……『マトリックスの人』だ!」


「「「虹が丘高校の神崎怜!」」」


 ……俺は耳を疑った。

 なんで俺の名を、松浦東生が知っている?

 しかも、騒ぎ方が尋常ではない。スマホまで向けている者すらいる。


「おいおい何言って――」


 俺が身を乗り出した、その瞬間だった。


「――危ないっ!!!」


 誰かが叫んだ。

 頭上に目をやると、白い球体が、恐ろしい速度で迫ってきていた。

 野球部の打撃練習の打球か。フェンスを越え、一直線に俺の顔面めがけて飛来する硬球。


 距離、3メートル。

 時、すでに遅し。

 キャッチは間に合わん。走って逃げることも不可能。

 美咲が「きゃっ!」と顔を覆う。

 誰もが、衝突を覚悟した。


 ――しかし。

 俺の脳は、冷静に最適解を弾き出していた。

 『重力とは、魂を縛る鎖ではない。友だ』(ミスター・ガイア名言集より)


 ならば――。『断罪の側弦(ギルティ・サイド・ストリング)』


 ヒュンッ!


 俺の体幹は、背骨が柔軟なゴムでできているかのように、腰を軸にして滑らかに、そして恐ろしいほど急速に45°の角度で右へと傾いた。


 ブンッ!


 飛んできた野球ボールは、彼の左頬からわずか数センチの空間を、風の音を立ててすり抜けていく。


 ボールはそのまま後方の木に当たり、ドスッと鈍い音を立てて跳ね返る。


 静寂。時間が止まったかのような静けさの中、俺は何事もなかったかのようにゆっくりと体勢を元に戻し(腹斜筋が悲鳴を上げたが無視し)、騒いでいた学生たちに流し目を送った。


「――遅い」


 俺は、目にかかった前髪をかきあげて告げた。


「俺を射抜きたければ……せめて光すら置き去りにしてくることだ」


「ぶふっ!」


 隣で美咲が吹き出す音がしたが、それは歓声にかき消された。


「ウオオオオオオオ!!!!!」

 世界がひっくり返ったような絶叫が、校門前を包んだ。


「や、やっぱりあの体幹!」

「本物だ。唐津が生んだ時の人!」

「アルティメット・コアの神崎怜だ!!!」


 松浦東高校生の熱気は鳴り止まない。

 拍手喝采。スタンディングオベーション。


「な、なんなんだ、こいつら」


「あんた……いつの間に唐津の有名人になってんのよ……」


 俺達が混乱に陥っていたその時。

 人混みの後ろから、不気味で乾いた音が鳴り響いた。


 パチ。


 パチ。


 パチ。


 ゆっくりとした、リズムカルな拍手。

 その音とともに、モーゼの十戒のごとく、生徒たちが左右に道を開ける。


 その奥から現れたのは、圧倒的なオーラを纏った生徒会長――龍造寺蓮。


「やあ、素晴らしいですね。神崎怜くん」


 彼は、俺の「痛いセリフ」を聞いてもなお、称賛の笑みを浮かべていた。


「物理法則への反逆。……それでこそ、私のライバルにふさわしい」


「……龍造寺……蓮……!」


 俺は雰囲気にも流されたのか、ちょっと溜めを作ってから、睨みつつ、やつの名を呼んだ。


「おやおや。物騒な雰囲気ですね。今日はどうしたのですか?何か私に用事でも?」


「ふっ。なあに。花ちゃ――、ごほん。花の幼馴染というやつがどんなやつなのか。この目で確認してやろうと思ってな」


 その瞬間。龍造寺の肩が揺れた。


「……花?今、花って呼び捨てにしましたか?」


 龍造寺の肩が、小刻みに揺れている。

 怒りか? 幼馴染の聖域を侵されたことへの、激怒か?

 俺は身構えた。来るなら来い。今の俺の体幹なら、どんなタックルも受け流せ――


「……くっ、くくく……! あははははは!」


 予想に反して、龍造寺は天を仰いで高笑いした。

 その姿すら、絵画のように美しい。


「面白い。本当に面白いよ、神崎怜」


 彼は笑い涙を指先で拭うと、スッと表情を消し、俺の眼球を覗き込むように距離を詰めた。


「名前とは、魂の座標だ」


「……!」


「君ごときが、その座標にアクセスしようなど……。フッ、重力に魂を引かれた旧人類にしては、健気な足掻きだ」


 ズキュゥゥゥン!!


 俺の脳天に、衝撃が走った。

 なんだ今の言い回しは。

 名前を座標と定義し、凡人を重力に引かれた旧人類と蔑むこの選民思想……。


 間違いない。

 これは、ブログ『ナックル・リリック』の第108章、重力圏からの脱出に記されていた教えそのものではないか!


(こいつ……やはり、ただものではない)


 俺が戦慄していると、龍造寺は黒いマントを翻すように(※制服です)、校舎の方を指し示した。


「いいでしょう。その覚悟に免じて、私の城へ招いて差し上げます」


 彼は、歌うように告げた。

「来たまえ、生徒会室へ。――そこで世界の真理について語り合おうじゃないか」


 龍造寺は優雅に踵を返して歩き出す。

 その後ろ姿には、王者の風格と、隠しきれない香ばしさが漂っていた。


「……行くぞ、マスター」


「は? ちょっと、あんたら何言ってんの? 日本語喋って?」


 ドン引きする美咲をよそに、俺は拳を握りしめて、その後ろ姿を追った。


 敵は、強大だ。

 恋のライバルにして、最強のガイア理論継承者。

 

 俺たちの戦いは、今、静かに幕を開けた。

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