第50話 沈む正義、揺れる倫理
灯影市の繁華街。
海莉は両手いっぱいの紙袋を持って歩いていた。
「くっ……買い物、気持ちいい……!」
悔しそうに言うが、その表情は喜びに満ちていた。
新作ジャケットにトレンドのシャツ、シルバーアクセサリー、限定スニーカー。
ついでにスイーツ店の箱まで抱えている。
結果的に通常の三倍は買っていた。
「おかしい。節制するって決めてたはずなのにな」
そう言いながらも紙袋を見たその顔は、口角の緩みを抑えられない。
「違う。必要経費……スニーカーは消耗品、アクセは気合い、服は……うーん」
自分への言い訳を探しながら軽い足取りで路地に入る。
まるで、繁華街の喧騒が嘘のように静かな路地だった。
少し風が冷たい。
この空気が海莉を現実に戻してくれる。
「まあ、有給も使えたし……明日からまた――」
独り言を続けようとしたときだった。
ざわりと風が逆立つように流れ、背筋に悪寒が走った。
「……目標、浅葱海莉。排除開始」
無機質な声。
白楼の地下で聞いた、冷たい兵士の声と酷似していた。
(何で、灯影に……!)
危険を察知して右手が疼き、振り返る直前だった。
パキッ、と嫌な音がした。
海莉が振り返った頃には、黒い戦闘服を身にまとった兵士の首がありえない方向へ折れ曲がっていた。
そのまま、ぐしゃりと崩れ落ちる。
同じように二人、三人と残りの数人の兵士も海莉が目で追うよりも早く、全員が地面に倒れていた。
全員、息絶えている。
海莉は、ごくりと息を飲む。
一人だけ、そこに立っている。
「……蓮?」
死体の中心に立つ蓮は、ゆっくりと手を降ろした。
濁った無機質な目をしていた蓮が目を伏せて、顔を上げる。
再び目を開けると、スイッチが切り替わるように表情が変わる。
死体など存在しないかのように海莉に駆け寄った。
「海莉! 大丈夫か?」
いつも通りの明るく……しかし、心配を帯びた声。
「……ああ。でも、お前……あの時もそうだけど、簡単に」
「だって、殺さないと海莉が殺されるし」
当然の判断とでも言うように蓮は、迷いも罪悪感もない様子で告げる。
海莉は小さく息を飲んだ。
「一瞬でも迷い、ねぇのかよ。お前もそっち側の人間だったろ」
「ないよ」
即答だった。
そこには、怒りも迷いも躊躇も一切ない。
「俺はさ、俺が守りたいものを脅かす存在がいたら殺すよ。殺さないと守れないとしか考えられないし、改めるつもりもない」
その声は静かで、柔らかで……だからこそ、恐ろしかった。
殺意を語る人間の声音ではない。ただの説明のような口調。
「お前……平気なのかよ」
「平気って? だって、あの日の脱出も今も……俺がいなかったら、海莉死んでたぞ」
「そうだけど、殺さなくてもいいだろ」
海莉の声には、怒気が滲んでいた。
「駄目だ。どこで隙を狙うかわからない。それなら、最初から沈めておいたほうがいい」
当たり前と言うような蓮の口調に、海莉の胸に重いものが沈む。
「……海莉の言いたいことは分かる。でもさ、身についちまったのは仕方ない」
「身についたって……」
「ストラタムに育てられた俺は、こういうやり方しか知らない。海莉が殺せない位置にいるなら、俺が代わりにやるからさ」
海莉は歯を食いしばった。
込み上げる怒りを胸の奥に押し込み、深く息を吸う。
「……とりあえず助かった。この件は後で話し合う。お前の倫理観も含めてな」
「……分かった」
蓮は、特に反論も疑問も浮かべず、ただ静かに頷いた。
その無表情さが逆に胸に引っかかる。
(……本当に分かってんのかよ)
そう思いながらも、今はこれ以上言っている時間はない。
海莉は紙袋を抱え直し、大きく息を吐いた。
「で……なんでお前がここに?」
そこまで言った瞬間、蓮の表情がわずかに沈む。
「……呼びに行こうと思って走り回ってた。大変なことが起きたんだ」
海莉は眉を寄せる。
「大変なこと?」
蓮は深く頷いた。
「祈里が倒れた」
その言葉が落ちた瞬間、海莉の心臓が、喉の奥まで跳ね上がった。
「……は?」
海莉の表情から血の気が引く。
「どこでだ。一体何があった? 意識は?」
質問が矢継ぎ早に飛び出す。
「因課の倉庫。最適化の作業中。段ボールに触れた瞬間に吹き飛ばされて、そのまま意識喪失。医務室に運ばれたけど……まだ起きてない」
海莉の呼吸が一拍止まる。
「行くぞ、蓮」
声は低いが、確実に震えていた。
「うん。その紙袋、俺に渡してくれ。保護住宅に置いてから行く。五分もかからないから」
「ああ、わかった」
紙袋を受け取った蓮は即座に飛び出し、海莉は灯影支部へ全速力で駆け出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます