第37話 本部長、刃を放つ

 特災観・洛陽分室。


 城戸は個室で保護している詩のもとへ、トレイに乗せた食事を運んできた。


「水島くんは、うどんより蕎麦派だったね。この店の蕎麦は好評でね、食べようじゃないか」


 そう言いながら、城戸は小さなテーブルに二人分の蕎麦を並べ、柔らかく微笑んだ。


 しかし、その穏やかな笑顔を見ても、詩の表情は硬いままだった。


「……一体、何が起きてるんですか」


 抑え込んだ声は震えていた。

 蕎麦の湯気がふわりと立ち上る中、詩の問いだけが重く沈む。


 詩の問いに、城戸は箸を割りながら穏やかな声で返した。


「水島くん。まずは落ち着いて食べよう。空腹のままでは判断を誤る」


「……城戸さん」


 詩が食い下がる。

 目の奥には、白楼の切除報告と、浅葱海莉の行方不明処理。それを自分の印章で押された文書が脳裏から離れず震えている。


 城戸はその視線を受け止め、ふっと息を漏らす。


「……本部の一部が動いている。しかも、かなり悪質にね」


 詩は息を呑んだ。


「悪質……?」


「水島くんの名義で白楼を切除し、浅葱海莉及び由良祈里を処理対象に分類した連中がいる。そして……白楼そのものを、実験区域に仕立て上げようとしている者たちも」


「……そんなこと、僕は知らない……! そんな指示出していません!!」


 声が震え、上擦る。

 胸の奥がひりつくほどの苦しさが、詩の喉を締め付けた。


 城戸は蕎麦をひとくち啜り、詩をまっすぐに見た。


「分かっている。だからこそ、こうして君を保護している」


「……じゃあ、誰が……」


「それを確かめるのは、今の君の役割ではないよ」


 城戸の声が静かに低くなる。


「まず、君は身の潔白を保つことが必要だ。少しでも抵抗しようものなら、本部の新しい権力者に消されかねない」


 詩は震えた指先を握りしめた。


「……浅葱くんや由良さんは……白楼の住人たちは、どうなるんです」


「救う。特災観の名にかけてね」


 城戸の瞳にわずかな怒気が宿る。


「本部長……水島詩の名を利用して、彼らに手を出したやつらを、私は見逃さない」


 その言葉に、詩は口を噤んだまま俯く。


「……僕が、弱かったからだ」


「違うよ、水島くん」


 城戸は優しくも有無を言わせぬ口調で遮った。


「弱かったんじゃない。君は、優しすぎたんだ。だからこそ、誰かに利用された」


「……」


「だが、優しさは罪じゃない。利用しようとした者が悪だ」


 詩の項垂れた肩が少しだけ震える。


「……浅葱くんたちを……白楼を助けないと……」


「もちろん。特災観と因課の本当のトップたちが協力している。でも……まだ表に出せない」


 城戸は箸を置き、静かに告げた。


「敵は、本部の中にいる。君が今動けば、事態は悪化し、消される」


 詩の目が大きく揺れた。

 城戸は席を立ち、そっと詩の肩に手を置く。


「だから……ここで隠れていてほしい。君が安全でいてくれないと、僕たちは戦えない」


 詩は歯を噛みしめ、震える声で答えた。


「……わかりました」


「良い子だ」


 城戸は静かに微笑む。


「白楼は絶対に切り捨てない。浅葱海莉も、救い出す。……水島、本部長が守ろうとした人々を、僕らが必ず守るよ」


 詩は目を閉じ、深く息を吐いた。


「……僕が動けないなら……執行官を派遣しても大丈夫ですか」


 静かだが、決して揺らいでいない声。

 詩が本部長としての覚悟を言葉にした瞬間だった。


 城戸の表情が、驚いたまま固まる。

 常に冷静で何があっても揺れない城戸が、わずかに目を見開いた。


「……水島くん……」


 声には驚きと、ほんの少しの迷いが混ざっていた。


 執行官を動かす。

 それは、因課が国家レベルで異常事態と判断したことを意味する。

 白楼はもちろん、本部内部にも敵がいると公然に示す行為だった。


 詩は、城戸の反応に少しも怯まず続けた。


「彼らは……最も信頼できる“刃”です。浅葱くんも由良さんも……そして、白楼を守りたい。そのために必要なら、僕は全ての武器を使います」


 その言葉は弱々しくも震えてはおらず、決意だけが静かに燃えていた。


 城戸はしばらく沈黙した。

 詩の顔から視線を外し、テーブルのざる蕎麦を見つめる。


 やがて、ふっと息を吐く。


「……そうだな。救うためには、彼らの力も必要になるだろう」


 ゆっくりと、しかし確実に頷いた。


 その目は、城戸が“特災観の本気”を見せる覚悟を決めた色だった。


「執行課は……動けば何かが終わる。だが、動かさなければ……白楼は、本当に消えてしまう」


 詩が小さく頷く。


「はい。だから……お願いします。僕が、外へ出られないなら……代わりに彼らを」


「……わかった。本部長の命令として、正式に執行課を白楼救出任務へ命ずる」


 その言葉は、この瞬間から“戦いが国家規模に発展した”ことを意味した。


 城戸は立ち上がり、端末を操作しながら呟いた。


「フラッドに現地入りしてもらう。あの子への報酬は、少し金がかかるが仕事のことを考えると安いものだ」


 詩の目が見開く。


「アキくんを……?」


「ああ。あの子は最適だ。現場での判断力も、処理速度も、執行課の中でも群を抜いている」


「……良かった……! 白楼は、まだ……!」


 安堵と同時に、張り詰めていた息がようやく落ちた。

 城戸は、その詩の様子を見ながら、柔らかく笑う。


「君が望むなら、彼らは全力で動く。但し——」


 城戸の瞳が鋭さを帯びる。


「本部の“敵”にも届く。それでも構わないね?」


 詩は迷わずに頷いた。


「……構いません。白楼と仲間を救えるなら……どんな真実が暴かれても」


 その返答に、城戸は満足そうに笑みを深めた。


「なら、始めようか」


 白楼を切り捨てる虚偽の命令。

 仲間を処理対象へと追いやる黒い意志。

 その中心に、自分の名が利用されている事実。


 弱くはない。

 ただ、優しすぎただけだ。


 だから今、本部長である水島詩は“刃”を選ぶ。


 ——白楼奪還作戦、始動。

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