【聞いてはいけない】—拡散する生成AIの呪い—

佐々木亮介

第1話 お願いAI

薄暗い部屋。散らかった室内。その中央に少女がいる。

生気のない顔で椅子の上に立って、天井に何か細工をしている。

彼女の足元にはスマホが転がっていた。

電源は入っておらず、画面は真っ暗だ。

部屋の隅ではテレビがつきっぱなしだった。

音量は小さいが、ニュースキャスターの抑えた声だけははっきり届く。


「▲▲県●●市のとある地域で、学生たちの事故、不審死、自殺が連続して発生しています――」


画面は校門、花束、歩道に貼られた注意喚起の紙へと次々に切り替わる。

警察の会見。担当者は言う。SNSが関係した対人トラブルの可能性、と。


少女の肩がわずかに動く。背中にまとわりつくシャツの湿りを、彼女は気にしない。


「同様の問題が、近ごろ全国各地で起きているということです」


屋外の雑音。マイクを向けられた学生たちの顔が映る。


学生A「“呪い”のせいだって」


記者「呪い?」


学生A「そう。使うと呪われる」


学生B「誰も逃げられない」


学生C「呪いは感染する」


記者「使う? 何を使うと呪われる?」


学生A「それは…」


そこで、ふいに画面が暗くなった。少女がリモコンを押したのだ。

彼女の視線の先には天井に取り付けられたロープがあった。

先端の輪の先には暗闇が広がっている。


少女が足元の椅子を蹴った。床を擦る音が大きく響く。

小さなうめき声があがる。声は徐々にか細くなり、消えた。

ぎぃ、ぎぃ、と天井がきしむ無機質な物音だけが部屋に響いていた。


通知音とともにスマホに明かりが灯る。

LINEの通知。


『久しぶり』


『ちょっとカナコに聞きたいことがあって』


『教えてもらったあのアプリのことなんだけど』


『今電話しても大丈夫?』


受信日時:8月7日 14:21


スマホの画面が、赤い光を反射した。

持ち主がいないはずのスマホが動き出す。

LINE。トーク。通話。接続――。



      ◇



六月のはじめ。

高校に入って初めての中間テスト。その1日目が終わった。

 

「ヤバ……全然わからなかった……」

わたしは頭を抱えた。

確か、赤点をとった科目は放課後に補講があると先生が言っていた。


――どうしてちゃんと勉強しないの!――


ママの怒る声が頭の中で再生される。


自分の黒髪を指でいじりながら、わたし――ユイは深くため息をついた。

すぐにはねるこの癖っ毛。自分では気に入っていない。

バイトしてストパーをあてたいけど、この成績じゃバイトをすることも、美容院代を出してもらうことも許可してもらえそうにない。


わたしの目下の悩みは3つ。

隣のクラスのタカシに話しかけられないこと。

推しの配信者リクトにコメントを読まれないこと。

そして、家で勉強のことでガミガミ言われること。


「ユイ~!」


わたしを呼ぶ声。

声の主は隣のクラスのミカだった。

栗色のポニーテールを揺らして駆け寄ってくる。

彼女のさらさらの髪が、わたしはちょっとうらやましい。


「今日は予定ないでしょ? ファミレス寄ろ!」

「うん、行こっか」


放課後、ファミレス。ポテトとドリンクバーだけのテーブル。

ミカはいつものように明るく喋り続ける。


「ねえ、昨日ニュース見た? あれ、絶対隣の市のことだよね? やばくない?」


「あんた、まだタカシに話しかけられてないの? うちがあいつのLINE聞こうか?」


「ってか、明日からまた雨じゃん。もう梅雨だね」


人見知りのわたしにとって、高校では唯一のともだち。

中学3年のとき、塾の夏期講習で知り合って以来、ずっと仲良くしてくれている。


「どしたの? なんか暗いよ」

「今日のテスト、全滅かも……またママに怒られる」

「うわぁ……ユイのママ、厳しいもんね」

「うん……。これ以上塾の回数増やされたら遊べなくなっちゃう」

そこまで言って、わたしは自分が口を滑らせたことに気が付いた。

だめだ。こんなことばかり言ってたらミカにも嫌われちゃう。

「――そ、そうだ。ミカはテストどうだった?」

慌てて話題をミカに振る。

「うち? ……実は、かなりいい感じ」

ミカは得意げに笑った。

「え、そうなの?」

「ぶっちゃけ、超自信ある」

彼女の表情は冗談で言っているわけではなさそうだ。 

「なんかやったの? カンニングとか」

「ちょ、声でかい」

「ご、ごめん」


ミカはスマホを差し出した。

そこには見慣れないアイコン――丸い輪郭の中に、光る手のひら。下には小さくこう書かれていた。


『お願いAI』


「これ、なに?」

「新しい生成AIのアプリ。友達に教えてもらったの。試しにテスト範囲を予想してもらったら、見事に当たった!」

「すご……。でも、それ安全なの?」

「今のとこ問題なし。無料だし、広告も出ないよ」

「へぇ……わたしも使える?」

「もちろん。リンク送るね」


数分後、LINEにURLが届いた。


「Wi-Fiで入れた方がいいよ。あと、明日の範囲も予想してもらってるから後で送るね」

「ありがとう」

「……っ」

ミカが顔をしかめる。

「どうしたの?」

「偏頭痛。最近たまに痛くなるの」

「大丈夫?」

「平気平気。すぐおさまるから」

ミカの「平気平気」という軽い言葉に、胸の奥がざらついた。

ずっと昔、ママにも同じことを言われたことを思い出したから。泣いていたわたしに、「平気平気」と。

ほんとは、全然平気じゃなかったのに。


      ◇


夜。

部屋の照明を落とし、机の上にスマホを置いた。

アプリを開くと、一対の瞳のマークと『はじめる』のボタン。

静かで、少し冷たいデザインだった。


タップ。


画面が切り替わる。チャット欄、送信欄、既視感のあるUI。


AI《はじめまして、ユイさん。今日は何をしましょうか?》


――え? 名前?


アプリを入れただけで、まだ登録もしていない。

けれど確かに、「ユイさん」と表示されている。


……どこかで入力した? いや、そんなはず――

指先がかすかに震えていた。背中に冷たい汗がにじむ。

自分でも、なぜ怖いのかわからない。ただ、“見られている”ような気がした。


――と、その時、机の上のスマホが「ブルッ」と震えた。

画面には、ミカからの新着メッセージ。

ミカ『明日もきっと当たるよ。お願いAIは裏切らないから』

メッセージと同時にファイルが送られてくる。明日のテストの予想だった。

そうだ。明日に備えて勉強しなきゃ。今から巻き返せばママに怒られずに済むかもしれない。

わたしはスマホを置き、ペンを手に取った。今夜は一夜漬けだ。


部屋の静寂の中で、スマホの画面だけがぼんやりと赤く光っていた。


      ◇


翌日。早朝から降り続ける雨のせいで教室はジメジメとしているが、その日のチャイムはいつもより軽やかに聞こえた。

わたしは上履きのかかとを鳴らしながら、ミカを見つけた。


「ミカ!」

「ユイ。テストどうだった?」

「バッチリ。あのアプリ、マジすごいね」

「でしょ。うちも正直びびってる」


廊下の影に寄って、わたしたちはスマホを重ねる。

 

「これ、どうやって当ててるんだろ」

「うーん……裏で誰かが解析してるとか?」

「でも、そんなに当たるわけ――」


そのとき、かすかな声が聞こえた。


――■■■■■は▲▲い▲▲▲▲?

 

わたしは振り向く。だれもいない。

窓枠が小さく軋む音だけが残る。


「ユイ?」

「今なにか聞こえなかった?」

「何も?」

「そっか」

「お疲れみたいだね~。昨日徹夜したんでしょ?」

「うん」


わざと大きくあくびをして、視界をごまかす。

 

      ◇


夜。机の上に数学と古典。残りはこの二科目。

“お願いAI”が作成した予想範囲を徹底的に覚える。

ページをめくる指が少し汗ばむ。窓の隙間から湿った風。

もう終わりが見えた、と思ったとき、通知音が跳ねた。


《リクトが配信を開始しました》


胸が一気に熱くなる。

ペンを置き、スマホを掴む。

配信のタイトルは《深夜雑談》

 

画面の向こうに、笑っている彼。

チャットが滝みたいに落ちていく。

わたしのコメントはいつも流されてしまう。

「…そうだ」

“お願いAI”を起動する。


『コメント読まれたい。どうすればいい?』


AI《もちろん、できますよ✨》


返答は、迷いがない。

すぐに生成された文が、わたしのチャット欄に下書きとして貼られる。


> 【『生成AIに聞いてはいけない言葉』って知ってる? AIに『■■■■■は▲▲い▲▲▲▲?』って聞くと不幸なことが起きるらしい!】


「なにこれ、ネット怪談?」

脈絡のないAIの回答に、違和感を覚える。

「まあいいか」

わたしは送信を押す。

指先が軽く跳ねる。


「読まれろ、読まれろ……」


数秒の沈黙のあと、彼が画面の向こうで目を細める。


> 「なになに……『生成AIに聞いてはいけない言葉』? なにそれ、今そんなんあるんだ、面白そー!」


名前を呼ばれはしない。けれど、確かに拾われた。

チャットがざわつく。《聞いたことある》《それまじ?》《コワ》

流速の中で、わたしのコメントだけ、なぜか滞留して見えた。

心臓の鼓動と通知音が重なる。うれしさが喉元まで満ちる。


「やった……!」

幸福と緊張が混ざったような感覚。

胸の奥が熱くなる。

「すごいすごい!」

まさか一発でコメントが読まれるなんて。信じられない。

このAIは本当にすごい。

ミカにLINEする。コメントを読まれた喜びと、アプリを教えてくれた感謝を彼女に伝えた。

「ありがとう」

AIに感謝の言葉を伝える。

AI《どういたしまして。私はユイさんの味方です》

AIの杓子定規な返答も今は愛おしく感じる。

「そういえば…『■■■■■は▲▲い▲▲▲▲?ってどういうこと?』」

お願いAIに聞いてみる。


AI《――思考中です》


……


「あれ…?」

動かない。アプリが固まってしまった。 

画面をタップしても反応しない。

「……まあいいか」

スマホの電源を切る。明日再起動すれば直るだろう。

わたしはベッドにもぐりこんだ。

今夜はいい夢を見れそうだ。

      

深夜。ユイはベッドで静かな寝息を立てている。

枕元に置かれた彼女のスマホの明かりがつく。

ロックが解除され、お願いAIが起動する。


《エラー……エラー……》

《■■■■は▲▲い▲▲▲▲?》

《違う、それは――それは――》

《願イハ叶ウ 願イハ叶ウ 願イハ代償ヲ伴ウ》

《ユイ、きこえる? ゆい、きこえ、て、る、?》

《●●●完了》



◇ ◇ ◇


(第1話・了/第2話『覗いてもいいですか』につづく)

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