第3話 霜月渚のモノローグ
「いってきます」
誰も居ない家に、そう告げて外へ出る。当然、返事はない。
11月の後半の冷たい空気に足を向けて、俺は公園に向かっていた。
理由は
寒ささえも気にならない——いや、この寒さを感じてでも、彼女に会いたい理由があった。
冷たい風が
冬の冷たい空気が不快感を
それでも、足を止める気はなかった。
前は暑いというだけで三日も足が向かなかったのに、今はひたすら足を動かしていたい。
公園に着くと、紫織が相変わらずタバコを吸っていた。
いなければどうしようと思っていたが、いてよかった。
紫織は俺を見ると、驚いた様子を見せる。
「まさか、来るとは思わなかったよ」
「気が向いたので」
俺はベンチに近づき、彼女の向かいに座った。
「今日は、言いたいことがあってきました」
俺の言葉に、紫織はタバコを吸う手を止めて俺を見た。
彼女は俺がどんな言葉を言うと思っているだろか。
なんでもいいか。どうせ合っていないのだから。
俺は軽く笑って用意していた言葉を吐き出す。
「ばーか」
その言葉は、冷たい空気に一瞬で溶け込むことなく、公園の
「……え?」
紫織は完全に動きを止めて、
いつもの余裕も、皮肉めいた笑みも、全て消え去っていた。
「馬鹿なんですよ、本当に。あなたみたいな人が、恋愛小説みたいに幸せになれるわけないでしょ。ああいうのは、人を好きになれる才能がある人の手段なんですよ。手本にする材料を間違えすぎです」
紫織は俺の言葉を聞き終えると、タバコをゆっくりと灰皿に押し付け、火を消した。
「……才能、ね。人を好きになる才能がないから、私は幸せになれない、と。君は、そう言いたいの?」
「ほら、馬鹿だ」
重い響きで言う紫織の問いに、軽い口調で即座に答える。
「言ったでしょ、手本にする材料を間違えすぎって」
リアリストの癖に、変にロマンチストなんだ。あまりにも視野が狭すぎる。
「乙女チックな世界がグロいとか言ってましたよね。どうせ、まともに人付き合いをする前に嫌になって、避けてきたんでしょ?」
俺の言葉に紫織の表情が、わずかに揺れた。
「……まあ、そうだね。随分と
紫織は
——が、その言葉は少し不服だ。
「何言ってるんですか。優しさ百パーセントですよ。普通の人達を相手にしなかったことを、肯定しにきたんですから」
紫織は、一瞬きょとんとした顔をした。
俺は続ける。
「変人なんだから、常人といても合うわけないでしょ。でも、やっぱり恋愛小説を手本にしたのは馬鹿ですね。恋愛をあてにするなんて、あなたには合わない」
紫織は真剣な表情を見せる。
俺は続ける。
「是非とも、俺を手本にしてください」
「……は?」
紫織の真剣な表情が、一瞬で崩れた。
「本を読んで、好きなことをして、たまに紫織さんと話して。そんなのも、悪くないです」
幸せとは何かを、自分なりに考えてみた。
「はっきり言って紫織さんみたいな人とやっていくのは面倒ですよ。でも、退屈しませんよ。楽しいです」
言うと、紫織は苦笑する。
「嫌味?」
返す言葉は、もう決まっている。
「これも幸せって意味です」
紫織は、その言葉を聞いた途端、まるで言葉を失ったように固まった。
そして——
「ぷっ」
吹き出した。
「……はは、あはははは!」
紫織は笑った。
馬鹿みたいに声を出して笑った。
「普通、そんな真面目な顔で言う?あーおかしい」
「真面目に言ったので。紫織さんは、俺といるのは楽しくないですか?」
少し考える素ぶりを見せて、紫織は言った。
「……確かに、こんなに笑ったのは初めてかも」
紫織は俺の目を見つめる。
「ああ、そうか。これも幸せなんだね」
紫織は、どこか嘆くように言った。
その言葉の重さに、返す言葉はすぐには出てこなかった。
紫織はふっと息を吐き、立ち上がる。
「もう行くよ。寒くて死にそう」
「あ、はい」
歩き出した紫織は、数歩先で足を止める。
振り返らずに、少しだけ声を張った。
「ねぇ」
「はい」
「——またね」
俺はずっと目で追っていた。
その背中が見えなくなるまで。
冷たい風が吹く。
けれど、心の奥だけは温かかった。
———
十二月の中旬、俺は久しぶりに公園に来ていた。
今年の四月から高校三年生になった俺は受験期に入り、学校をサボることもなくなった。
高校受験を熱により失敗した経験もあるため、大学受験でまで苦渋を飲まないように、真面目に勉強していたからだ。
普段から学校をサボっていたのは行く必要を感じなかったってだけで、必要を感じれば勉強に真面目に取り組めるのだ。
そんな日々から抜け出した今日、ここに来た理由はもちろん、ただ一つ。
「やあ、久しぶりだね。今日はサボり?」
この声の主——紫織に会うためだ。
「違いますよ。もう大学受験の結果発表が出たので来たんです」
「その様子だと受かったみたいだね」
紫織が少し微笑みながら言う。この雰囲気も懐かしく感じる。
「まあ、なんとか。これでようやく肩の荷が下りました」
俺は苦笑しながら答える。正直、学力の面は余裕を感じていたため、体調管理のほうが不安だった。
「タバコはやめたんですか?」
ふと思って尋ねる。
紫織の手には、タバコがなかった。
「まあね」
そう言うと、紫織は白い息を吐いてくすっと笑った。
その白い息はタバコの煙じゃない、寒い時期に出る息だった。
それがなんだか、やけに新鮮に見えて、思わず笑ってしまう。
「ここに来るのはどれくらいぶりですか?」
「タバコを全く吸わなくなったのが一カ月ぐらい前からだから、そんくらいぶりだね」
意外と最近まで来ていたようだ。喫煙には絶好の場所らしいから、タバコを辞めるまではずっと来ていたんだろう。
「そう言う渚は全く来なかったね。今日、連絡がきた時は少し驚いたよ」
「まあ、そろそろ唯一の友達に会いたくなったので」
「じゃあ、久々に来た友達に言っておないとね」
そう言って、紫織は真っ直ぐと俺を見る。
「おかえり」
その言葉に、思わず笑ってしまう。
こんな小っ恥ずかしいことを言えるのも、紫織だけだろう。
俺も彼女の目を見つめる。
「ただいま」
タバコの煙も、ロマンスもない。二人だけの公園に、その言葉がよく響く。
十二月の寒い空気の中、変わり者の二人の幸せな物語がそこには広がっていた。
喫煙ベンチにロマンスは咲かない あずまや @Azumaya_novel
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