​最終話 さくらんぼと「ペア」


 その夜、山形市内の高級焼肉店。


 鉄網の上では、見事な霜降り肉がジュウジュウと香ばしい音を立てている。

 A5ランク、「米沢牛」の特上カルビだ。


「ん~~! このサシ! とろけるわぁ!」


 ​ 海里は、熱々の肉を頬張り、山形が誇るブランド米「つや姫」の白米をかき込む。その顔は至福に輝いていた。


「白米、つや姫が止まらんで! おかわり!」


「うぅ……」


 ​ その横で、こけるは青ざめた顔で網を見つめていた。


 網の上で焼かれているのは、米沢牛ではない。彼の『ヘソクリ・C』そのものだった。


「ワイの、華の傘男計画資金が……煙と脂に……」


「文句あるんか? ほれ、肉焼けたで。はよ食べや」


「(うっ…美味いけど! 美味いけど悔しい!)」

 ​.

 ​ ……翌日、帰り道。


 山形新幹線「つばさ」の車内。


 ​ こけるは、財布も心も完全に空っぽになり、ぐったりと座席に沈んで窓の外を流れる景色を眺めていた。


「はぁ~……」


 こけるは、深く、ふかーいため息をついた。


「結局、山形まで来て、『華』のお姉さんと『傘』の下には入れんかったなぁ。『華の傘男』への道は、遠く険しいわ」


 ​ その呟きを聞いて、隣の席で観光雑誌を読んでいた海里が、呆れきった顔でこけるを見た。


​「……あんた、ほんまにアホやな」


「なんやと!? 事実やろ! ワイは秋田でも宮城でも山形でも、ただ海里に引きずり回されただけや!」


「はぁ……」


 ​ 海里は、バタン!と雑誌を閉じると、お土産袋をごそごそと漁り、一つの小さな桐の箱を取り出した。


​「ほら」


「ん? なんや? まだワイに持てと? もう両手塞がっとるで」


「ちゃうわ! これはアンタへのお土産や」


「ワイに?」


 ​ こけるが怪訝な顔でその小さな箱を受け取る。

 蓋には「佐藤錦」の文字。


​「『佐藤錦』? さくらんぼやんけ」


 こけるは、ジト目で海里を見た。


「ワイにくれるんか? ……って、どうせこれもワイの金か!」


​「ちゃうわ!」


 海里は、カッと顔を赤くして怒鳴った。


「これは、ウチの『ヘソクリこけるがダミーと間違えた本命ヘソクリ・D』から買うたったわ! 感謝しぃや!」


​「えっ!?」


 こけるは目を丸くする。


「(海里の…金で!? あの米沢牛の後で、まだ残高が!?)」


 ​ 海里は、プイッと窓の外に顔をそむける。その頬は、なぜか少し赤い。


「……あんた、さくらんぼみたいやし」


「はぁ!?」


 こけるは、桐箱の中の真っ赤でツヤツヤした実と自分の顔を見比べ、心外だと言わんばかりに叫んだ。


「ワイがこんなツヤツヤでカワイイわけ…」


「アホ! そっちやない!」


 ​ 海里は、こけるの手にある箱の中の、二つで一組に繋がっているさくらんぼを、人差し指でツン、とつついた。


​「……いっつも『二つで一つ』やろ」


「えっ……」


 ​ 海里は、さらに顔を赤らめ、ボソボソと呟く。


「……片方だけやと、様にならんし。……味も、まぁ、甘酸っぱいし……」


​「…………へっ?」


 ​ こけるは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、数秒間フリーズした。


 ​ (今、海里、なんつった?)


 (『二つで一つ』……? それって、ワイとアンタが……?)


 ​ 意味を理解した瞬間、こけるの顔が、さくらんぼのように真っ赤に染まった。


「か、か、か、海里!? それってつまり! ワイとアンタは!」


 ​ こけるが感動で打ち震え、ガタッと海里の肩を掴もうとした、その瞬間……


​「(カァァァッ!)」


 海里も、自分が口走った言葉にパニックになり、顔を沸騰させた。


「う、うるさいわ! このアホ!」


 ​ 海里は、箱からさくらんぼを一粒(軸付き)つまむと、こけるの開いた口に思い切りねじ込んだ。


「これでも食うとれ!」


「んぐっ! んぐぐぐ!(たね! 種ある!)」


 ​ こけるは、さくらんぼで口を塞がれ、声にならない声を上げた。


 海里は、真っ赤な顔で窓の外に顔を向けたまま、吐き捨てるように言った。


「……はよ食べや、浪速の『アホ面』さん」


 ​ こけるの財布(ヘソクリ・C)は完全に空になったが、その心は山形の甘酸っぱいさくらんぼで、これ以上なく満たされたのであった。



 ​ ── 終 ──


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