第3話 銀山温泉と「冷やし」式神


 山寺の石段で物理的に身も心も財布も打ちのめされたこけるは、完全に海里の荷物持ちと化していた。


「ほら、さっさと歩かんかい! 次のバス乗るで!」


「うぅ…ワイの『ヘソクリ・C』が…玉こん二本分と海里の交通費に…」


 ​ こけるの財布(元ヘソクリ・C)を完全に掌握した海里は、意気揚々と観光パンフレットを広げる。


「次はここや。『銀山温泉』。大正ロマン、やて。ウチ、こういうレトロなん好きやねん」


「ワイはレトロより『華のお姉さん』がええ……いだだだ! わかった! 行く! 行くから首引っ張んな!」


 ​ こけるは首根っこを掴まれ、山形の内陸部、銀山温泉行きのバスに無理やり押し込まれた。

 ​

 ……そして、夕暮れ時。

 ガス灯がポツ、ポツと灯り始める銀山温泉の街並みに、二人は立っていた。

 川の両岸に並ぶ、大正時代に建てられた木造の旅館。カランコロンと響く下駄の音。


「うわぁ……」


 ​ 海里は、そのノスタルジックな光景に息をのんだ。


「すごいやん……。めっちゃ『エモい』わ……!」


 ​ さっきまでの食い気とSっ気はどこへやら、海里は完全に乙女モードでスマホを取り出した。


「あっ、こける! ここのアングル最高や! この橋とガス灯の感じ、ヤバない!?」


「お、おう……」


「あっちの旅館の鏝絵こてえもすごいわ! ちょっと撮ってくる!」


 ​ 海里は、こけるのことなど一切目に入っていない様子で、パシャパシャと夢中で写真を撮り始めた。

 ​ その隙を、こけるが見逃すはずがなかった。


 ​ (よし! 海里、完全に撮影にロックオンや! 今がチャンス!)


 ​ こけるは、獲物を狙うトカゲのごとく、そっと海里から離れた。


 ターゲットは、すぐに見つかった。


 共同浴場から出てきたばかりらしい、色とりどりの浴衣に身を包んだ女性グループだ。


 ​ (キタ! 浴衣美人! これぞ山形の『華』や!)


 ​ こけるは服の襟を正し、スッと女性グループに近寄る。

 そして、人差し指を立て、キザなポーズを決めた。


​「お姉さん方!」


「「「はい?」」」


​「そのガス灯もロマンチックやけど……」


 こけるが、渾身の決め台詞を言い放とうとした、その瞬間。

 ​

 ​ バシャッ!!

 ​

「へぶっ!?」


 ​ どこからか、氷水のように冷たい液体が、こけるの顔面と胸元に叩きつけられた。

 香ばしいが、明らかに冷え切った魚介系の匂いが漂う。


「つめっ!? 冷たっ! ぎょ、魚臭っ!?」


 ​ こけるが、ブリキの玩具のようにギギギ…と振り返る。

 そこには、10メートルほど離れた場所で、海里がスマホを(いつの間にか動画撮影モードで)構えながら、冷たい目での仁王立ちしていた。


 ​ その片手には、今しがた中身が射出されたであろう、「山形名物・冷やしラーメン」と書かれたテイクアウト用のスープ容器(空)が握られている。


「こ・け・る」


 ​ 海里は、地獄の底から響く声で言った。


「そのアホ面、温泉入る前に『冷やし』といたるわ。ウチの『冷やしラーメン式神』や。魚介ダシがよう効いとるで」


「式神ちゃう! ただの冷たいスープやんけ!」


 ​ こけるは、顔から滴る冷たいスープとメンマの破片を拭いながら絶叫した。


​「なんでそんなモン持ってんねん! ここは温泉街やろ!」


「アホ。さっきそこの店で食べたら美味かってん。スープだけテイクアウトしたわ。氷も入れてもろて」


 ​ フン、と海里が鼻を鳴らす。

 浴衣の女性グループは、スープまみれで震えるこけるを見て、


「うわ、あの人ラーメンまみれ……」


「ていうか、さっきの口説き文句、ダサくない?」


 ​ とドン引きし、カランコロンと下駄を鳴らして足早に立ち去ってしまった。


​「あぁ……ワイの浴衣美人が……」


 ​ こけるの「華の傘男」計画第二号は、大正ロマンあふれる銀山温泉で、冷たい魚介ダシと共に無残に砕け散ったのである。


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