ねこのはなし

ナツキシロ

1匹目

1. 君はしゃべる猫である

 我輩は猫である。

 猫が出てくる小説の代表的な冒頭であるが、であれば私はこう言いたい。

 我輩はヒトである、おまえは猫か?

「猫だけど何か文句でも?」

 あるに決まっているだろう、どうして人の言葉を喋っている?

 何を隠そうコイツは二日ほど前に助けた猫だ。子猫というには大きく、成猫というには少し小さい。

「季節をぐるりと一周はしたんじゃないかな。」

 だそうだ。

 公園の片隅でガリガリに痩せていたその猫はケガをしていて、野良猫社会の厳しさを鑑みればこのまま生き抜くのは難しいだろうという気持ちになった。きっとこの猫はこのままここにいても死んでしまうだけなのだ、と思いながら無視することができず、ミャーミャーと鳴くそいつを抱き上げ、連れ帰り、食べるものを与えて、次の日には動物病院にも連れていった。

「ていうか、そうだよ。だって、ミャーミャー鳴いてたじゃん。」

「いつ?」

「うちに来る前!」

「猫だと思ってるなって思ったから。」

「猫じゃないの?」

「いや、猫なんだけど。」

 たまたま仕事が休みだったのを良いことに、取り急ぎ必要なものを買い揃え、病院から言われるままに世話をした。勢いで連れ帰ったものの覚悟を決めて、ペットOKのマンションを探したりもした。(よくよく考えればわざわざ選ばない限り、大概のマンションはペット禁止だ。)

 慌ただしく動いた後、猫を撫で、一息つこうとクッションに身を預けた。思った以上に体力を消耗した……というよりも、思った以上にやることが多く、バタバタとしている間に時間が過ぎてしまった。明日からはまた仕事であると思うと、途端に疲労感が押し寄せてくる。ぐったりとして動けずにいると、困ったような申し訳なさそうな声で、「ありがとうねぇ。」と、他の誰でもなくその猫がそう言った。その猫が、だ。

「幻聴かと思ったのに……。」

「いやぁ……思わず。申し訳なくて。」

「むしろ幻聴だったら良かったのに。」

「みゃー。」

「もう遅いよ!」

「うーん、残念。」

 飄々と猫は言い、私は頭の痛みを抑えようとこめかみを揉む。治まらない。

「まぁ、でも、他の猫よりもさ、言葉も通じるし聞き分けいいよ?ちょっとラッキーくらいに思ってもらえればさ。」

「いや、それはそうなのかもしれないんだけど、そういう問題じゃないのよ。そんな実利的なことではなくてね、目の前の事柄の飲み干し方で悩んでいるというかね。」

「人間とは難しいものだねぇ。」

 いや、そんなところで猫面されても。猫なんだけど。心の中でツッコミながら溜め息をつく。

 何事も出会いは突然。特にケガをした猫を拾うなんていう出会いは選んで起こせるものでもない。そのうえ、その拾った猫が喋りだすなんてこと……

「いや、ほんと、あるはずないじゃん。」

 あったんだけどね。

 そんな経緯で、私と人の言葉を話す猫との生活が始まったのだった。



Φ



「名前は?」

「まだ無い。」

 なるほど、猫の出てくる小説のあれですか。

「いや、ほんとに無いんだって。」

「どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー……」

「いや、聞いてよ!」

 猫はむぅ、と不貞腐れる。顔に大きく表情が出るわけでもないのに、明らかに不貞腐れていると分かるのが猫の不思議なところだ。

「無いというのも違う気はするんだけどさ。」

 うん?

「あるってこと?」

「いや、そういうわけではなくて。」

「じゃあ、どういうこと。」

「ネコ、とか。」

 うん?

「にゃーちゃんとか。」

「にゃーちゃん。」

「にゃんにゃんとか。」

「なるほど、分かった。」

 それは、なんだろう。とにかく、名前というほどのものではないのは分かった。

「でもなぁ……」

「なに。」

「こうも自我があるものに名前なんてつけにくい感じがするんだよね。」

「え。」

 猫はううーんと唸る。唸って、首を捻る。

「ひつよう?」

「うん?何が?」

「名前。」

 なるほど、人間とは傲慢なものだ。先入観から名前のついていないものには当然つけなければと思ってしまうのだ。

「じゃあ、私もネコって呼べばいい?」

「呼ぶ……。」

 猫はまた首を捻ったが、今度は納得したように頷いた。

「なるほど、確かに人間と仲良くなるときは、何か呼ぶものがあるのが良いのかもしれない。」

「猫は違うの?」

「猫は基本的に言葉を話さないからね。」

 いや、そうだよ。そうだよね。

「猫は言葉を話さないもんね。」

「なに。」

「自分で言ったんじゃん。」

「基本的に、って言ったんだよ。」

 その基本に当てはまらない猫なんて一匹しか知りませんが。

「呼ばれるたびに心が躍って人間と仲良くしたくなるやつを頼むよ。」

 なるほど、必要かを問うた割には随分ハードルを上げるじゃないか。

「いや、というか別に私が考えなくても、自己申告とかでも良いんだけど。」

「それはやだよ。」

「なんでよ。」

「名前って他の人から貰えるものなんでしょう?」

 猫のわりにはそういうことは知っているのか。

「なんか猫のことをバカにしたようなこと考えなかった?」

「ぬ。そんなことはないよ?」

「ほんとー?」

 猫というものは勘が鋭い、と新たに認識する必要があるようだ。

「もう、にゃーちゃんでいいじゃん、いっそ。」

「やだよ。」

「なんでよ。」

「じゃあ、猫を拾ってきたとして、喋らなかったとして、にゃーちゃんって名前つけるの?」

 つけない。

「なるほどね。」

「なるほどじゃないよ、テキトーなのはやめてよ!」

「いやぁ、ごめんごめん。」 

 これは困ったな。

「シロ……クロ……アカ……アオ……」

「あ、それ、困ったときにするやつだ。」

「やめてよ!やっぱり無理だよ!あんまり色々と分かる奴に名前をつけるの!」

「えー!」

 猫はムムッと考え込む顔をする。猫なのに考え込んでいると分かるなんてなかなか……と思ってしまう。

「みゃー」

「うん?」

「みゃーみゃー」

「……」

「……」

「いや、だから、それはもう遅いって!」

「うーん、残念。」



Φ



 迷子の迷子の子猫ちゃん、あなたのおうちはどこですか。

「え、ここだと思ってるんだけど。」

 それは、ちょっと嬉しいかもしれない。

「っていうか、迷子じゃないし。」

 確かに。

「名前を聞いても」

「だから、無いんだってば。」

 名前が、決まらない。

 とにかく何かにすがりつこうとして、家中のものを眺めたり、知っている単語を思い浮かべたりしてみた。決まらなかった。

 諦め半分で、お気に入りの座椅子に身を預け、テレビを眺めた。画面に映し出されるものがどんどん移り変わっていく。気付けば、それを真剣に見ていた。映し出されるものを言葉に直して名前に相応しそうなものを探す。決まらなかった。

 世の中の人はどうやって自分の子どもや身の回りのものに名前なんてものをつけているんだ、と天を仰いでみても、もちろん決まらない。そもそも、子どもへの名付けは家庭の一大事として扱われるじゃないか。それがこんなに降って湧くように必要になられたって困る。

 テレビ番組は切り替わりの時間になったようで、その時間帯独特の短めのニュースが流れ出した。ダイジェスト版の短いニュースがいくつかと、続けて、簡単な天気予報が映し出される。

「明日は雨、か。」

 月曜日の雨は憂鬱だ。だけど、雨の日は特別な日なのだという不思議な感覚も持っている。自分だけなのかもしれないけれど。

「雨……。」

「うん?」

「君の名前は、アメとします。」

「アメ?」

「アメ。」

 雨、飴。夕立、時雨、飴色、ドロップ。

 別に出会った日が雨だったというわけでもないし、ハレだってもちろん良いとは思うのだけど、不思議とこの猫に似合うような気がした。

「それは、どういう意味でつけてくれるの?」

「うーん、説明が難しいかも。」

「なるほど。」

 もしかしたら別案を求められるかもしれない、とドキドキしたが、その予想に反して、猫はフムと頷いた。

「今日からボクはアメだ。」

 それを聞いて、胸の中で不思議な喜びが湧くのを感じる。そうか、名前を付けるというのはこういう嬉しいことでもあるのか、と初めて気が付いた。



【君はしゃべる猫である】

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