第11話 俺の幼馴染でいてくれないか?

***


「……どうするつもりだ?」


 正直、俺は呆れていた。

 彼女の甘さに、彼女の強さに。


「話し合い、ます」


「ムリだ。さっきも言ったが、全てが話し合って解決するわけじゃないんだ」


 まっすぐにそう言った彼女の言葉を、俺はすぐに否定する。

 ダメだ、雪宮。それは、お前がまた、傷ついてしまうだけなんだ。

 お前がまた、人を怖がるようになってしまうだけなんだ。


「分からないです。まだ、尾角さんと話していません」


 雪宮らしくない、やけにはっきりとした言葉だった。

 彼女のまっすぐな視線に、俺は思わず目をそらす。

 窓を打つ雨が、音を潜めた。

 その静けさが、かえって心を締めつける。


――俺は、彼女を弱い人間だと思っていた。

 俺が守ってあげないといけない。  

 俺が隣にいないといけない。

 ずっと、そう思っていた。

 でも、違ったんだ。


 俺が彼女に、守られていたんだ。


「……そうか。頑張れよ」


 気付けば、俺の口からはそんな言葉が溢れていた。

 突き放すような、冷たい言葉を。


「久澄くん」


 雪宮が相変わらずまっすぐな声で言った。


「なんだ」


「身体、拭かせてください」


「……は?」


***


「久澄くん、温かさ、どうですか」


「……丁度いいよ」


 上裸の俺の後ろで、俺の背中を水で濡らしたタオルで拭く雪宮。

 タオルが背中をなぞるたび、微かな水気と一緒に体温が奪われていく。

 けれど、その向こうから伝わる指先の温もりが、やけに心に残った。

 ……なんだこれ。


「あの……雪宮さん?どうしてこんな……」


「どうしてって……?久澄くん、今風邪なんですから、お風呂は危ないでしょう?」


 そういうものか。まあ、風呂に入ったら体力も使うしな。


「久澄くんの背中、なんだか傷だらけです」


 雪宮の甘い声が、背面から聞こえる。

 この状況に少なからずドキドキしながら、俺は言う。


「中学の時、よく人と喧嘩してたからな。今は、控えているんだが」


「喧嘩……?久澄くん、優しいからきっと、誰かを庇ったりして、怪我をしてしまうんでしょうね」


 優しい雪宮の声が、二人きりの部屋を温かく包んだ。


「違うんだ、雪宮……。俺はずっと、自分一人で走って、こけて、それに人を巻き込んでいるだけなんだ。あの、入学したときだって、そうなんだ――」


「入学?なにか、あったんですか?」


 俺の脳裏に、あの光景が浮かんだ。

 俺が勝手に勘違いして、八つ当たりして、ヤツを殴った、あの光景を。

 ヤツ――佐孝頭、歩夢を。


「なんでも、ない」


 どうしてか、雪宮にそれを知られるのが怖くて、そう言ってしまった。

 やっぱり、俺はずっと、弱いままだ。


「雪宮、さっきの話だが――なんで、幼馴染になりたいんだ?」


「……そうですね。少し、恥ずかしいんですけど……」


 そう言いながら、雪宮は部屋の電気を消した。

 一瞬で世界が夜の底に沈む。

 ぼんやりと、カーテン越しの街灯が、彼女の輪郭だけを浮かべていた。


「!?何をしてるんだ、雪宮!?」


 焦ってそう口走る。

 

「?何って、もう十時過ぎてるじゃないですか。病人さんは、早く寝ないとダメですよ?」


 雪宮が諭すような口調でそう言い、俺は自分の早とちりを恥じた。

 恥ずかしさから、雪宮と反対方向に、ベッドに寝転ぶ。

 すると突然、隣に、温かい感触が――


「久澄くん、今日は、一緒に寝ましょう」


「!?」


 驚いて身体を反対方向に倒すと、超至近距離に雪宮の人形のような顔が。


「!?ひ、久澄くん!?顔がっ……近いですっ!!」


 雪宮が恥ずかしそうに仰け反った。

 ……いつもの雪宮だ。

 心のどこかで悔しくなった俺に、さらに悔しくなった。


「私が熱を出した時には、いつもお兄ちゃんがこうしてくれていたんです。あ、言ってませんでしたね、私にはお兄ちゃんがいたんですよ」


 いた、か。

 雪宮には、お兄ちゃんが、


「そうか。なら、お願いしようか」


「はいっ!!」


 雪宮が嬉しそうに言った。

 俺もぶっきらぼうに振る舞ってはいるが、内心ドキドキさせられっぱなしだ。

 やはりこの聖女、世間知らずにもほどがある。


「それに、幼馴染ならこれくらいは、しますよ」


「幼馴染――か」


 尾角とも、幼馴染になりたい。

 彼女は、そう願った。

 俺と雪宮は、幼馴染だ。

 二人だけの、特別な関係――


「雪宮」


「はい?」


「俺は、尾角と幼馴染になるのは反対だ」


「そう、ですか……」


 寂しそうに、背中越しの肩が揺れた。

 若干の罪悪感を抱きながら、その先の言葉をつむぐ。


「雪宮、これは俺の、わがままだ。聞いて、くれないか?」


「聞くだけなら」


 微笑みが混ざる声で、そして、少しの哀しみが混ざった声で、彼女はそう言った。


「雪宮、尾角とは、友達でいてほしいんだ。俺は、お前とずっと、幼馴染でいたい。だから、だから――」


 紡ぎたい。

 伝えたい。

 彼女に。


 俺の、思いを。

 俺の、想いを。


「だから、雪宮。お前も俺と、唯一無二の、幼馴染でいてくれないか?」


 そんな、愛の告白のような、けれども、実際は全然違った――俺の言葉を聞いて、雪宮はさらに微笑んだ。

 背中越しの肩が、さっきよりも揺れた。


 そして――


「久澄くんは、ズルいですね」


「俺は、わがままだからな」


「でも、嬉しかったです。分かりました、尾角さんと、友達になります。私は、絶対に」


「ああ。俺も、協力しよう。絶対に、最後は勝つぞ、雪宮」


「勝つって……久澄くん、まだ根に持ってるんですか?」


 楽しそうに笑う雪宮に釣られて、俺も笑う。


 雨が止み、遠くで車の走る音が聞こえた。

 熱は、気付けば消えていた。

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