第22話 去りゆく王子

 ​西の塔での騒動の翌日、エドワード王子の一行は、慌ただしく王都へと帰還することになった。 

 リリア嬢という問題児を抱え、視察の目的もすっかり変わってしまったのだから、当然の判断だろう。


 ​出発の朝、エドワード王子はカイ様の前に立ち、深く頭を下げた。


​「カイ辺境伯。この度の私の非礼、重ねて詫びる。そして……アリシア嬢を、頼む」


 ​その声には、かつての傲慢さはなく、一人の男としての誠実さがこもっていた。カイ様は何も言わず、ただ静かに頷く。男同士の、無言の約束が交わされたようだった。

 ​そして王子は、見送りに来ていた私の前へと進み出た。


​「アリシア嬢。君の『技』、実に素晴らしかった。次に会う時は、ぜひ王城で見られることを……楽しみにしている」


 ​意味深な言葉。しかし、私の頭の中では、それは一点の曇りもなく、ただ一つの意味に変換されていた。


​(まぁ!わたくしのお掃除の技を、王城でも披露してほしいですって!なんて光栄なスカウトでしょう!)


​「はい、王子様!いつでもお呼びくださいませ!王城の隅から隅まで、ピッカピカに磨き上げてみせますわ!」


 ​私の元気な返事に、王子は一瞬きょとんとした後、諦めたように、そしてどこか楽しそうに笑った。こうして、嵐を呼んだ視察団は去っていった。

 ​平穏を取り戻した屋敷で、しかし、カイ様の様子が少しおかしいことに、私は気づいていた。

 執務室で書類を眺めては、深いため息。廊下で私とすれ違うと、何か言いたげに、しかし言わずに、じっと私を見つめてくる。


​(カイ様、きっとどこか、わたくしの掃除でも落としきれない、許せない汚れを見つけてしまったに違いないわ…!そして、それを言い出せずに悩んでいらっしゃるのね!)


 ​上司を悩ませるなんて、専属侍女として失格だ。

 私はいてもたってもいられなくなった。


 ​その日の午後、私はカイ様の執務室を訪れた。しかし、そこで私が耳にしたのは、カイ様と執事バルトロさんの真剣な会話だった。


​「……どうすれば、アリシアに私の気持ちが伝わると思う、バルトロ」

「さようでございますな…。普通に『愛している』とお伝えになっても、アリシア様のことですから、『お屋敷を愛してくださって嬉しいです』と返されかねません」

「……あり得るな」


 ​深刻に頷くカイ様。


​(カイ様……!そんなにお屋敷のことが好きだったのね……!そして、その愛をどう表現すればいいか、悩んでいらっしゃったなんて!)


​「やはり、アリシア様が最も理解しやすい言葉で伝えるべきかと。例えば、『掃除』に絡めて…」

「掃除に……か」


 ​バルトロさんの的確な助言に、カイ様は何か閃いたように、ポンと手を打った。


 ​よし、聞かなかったことにしよう。


 私はそっとその場を離れた。


 カイ様が、次なるお掃除ミッションで、私にお屋敷への愛を伝えてくださる。楽しみに待っていよう。


 ​そして、その夜。

 私はカイ様に、月明かりが差し込むテラスへと呼び出された。


 ​カイ様は、見たこともないほど緊張した面持ちで、私の両手を取った。

 その手は少しだけ震えている。


​「アリシア」


 ​真剣な声。真剣な眼差し。


​「君に、私と『契約』を結んでほしい」


​(キターーーーッ!)


 ​私は心の中でガッツポーズをした。

 ついに来たのだ。カイ様からのお屋敷に関する、重大なミッションが。


​「はい、喜んで!」


 ​私は、カイ様が次の言葉を紡ぐ前に満面の笑みで答えた。


​「お屋敷のお掃除に関する、年間契約ですね!料金体系はどうなさいますか?月額固定にします?それとも、お掃除した面積による従量課金制にしますかっ!?」

​「……………は?」


 ​私の完璧な提案に、カイ様は月の光の下で魂が抜けたような顔で、ただただ固まっていた。

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