思い出を捲る

はるむらさき

思い出を捲る

 思い出は擦り切れた本の様に軽く、分厚い辞書の様に詰まっているものだ。

 年老いた友人がそう言っていた、数年前の出来事である。

「とうとうあの時代を生きた友はいなくなってしまったよ」

 黒い服を着た人々の列を遠くから見て、独り言ちる。

 先程の言葉を言った友人は孫に囲まれて遠くへ逝った。その席に私はいない。

 彼が残した手記をペラペラと捲る、日記のようだった、私と出会ってから忘れないようにとどうでもいいことを記録していたみたいだ。

 歳を重ねても姿が変わらない私を好奇の目で見ず、怖がらずに友で居てくれた数少ない人間だった。

 ページをめくる音は軽い、だがそこに詰まった思い出はどんなに分厚い辞書よりも重たく感じた。

 この手記は彼の思い出で、過去だった、ここには彼はまだ生きていて、あの日々と変わらず私に笑顔を見せる。

 まだ彼は私の過去にはなっていない、けれどいずれそうなるだろう。

 そうなる前に彼と過ごした思い出をもう一度体験しに行こう。

 彼と過ごした四季を今度は一人で、思い出を読み返すように。

 そろそろ冬が来るだろう、乾いたページを捲る音が、寒い風と共に消えていく。

「ああ、雨が降ってきた、冬の雨は冷たいから嫌いなんだ」

 空は快晴、雲一つ無いというのに、暖かい雨がページを濡らす。

「君もそうだっただろう?」

 もうそこにはいない思い出に言葉をかける。

 遠くの場所で煙が上がる、彼の身体を燃やしている、もう何度も見送った友人達と同じように、何度繰り返したか分からない所作で祈る、彼の行く末に良き事がありますようにと、未だ止まない局所的な雨を鬱陶しく思う様に煙が消えていく空を睨む。

「お疲れ様、楽しかったよ」

 本人には言えなかった本心を呟く。

 この気持ちは恋では無いが愛ではあった、親愛で友愛だった、さようならは言わない、いずれ会えるだろうから。


「またね」


 だから最後はこの言葉でいいのだろう。

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