魅惑のメアリィ

燈栄二

魅惑のメアリィ

宇宙調査任務を行う宇宙船には、かならずメンタルケアの専門家が何人も搭乗する。とうに当たり前になった話をしてしまったが、5年間の旅に出た調査船オデュッセイアには試験的に新しいメンタルケアの試みがなされた。


「こんにちは、メアリィ」


メアリィのもとに船員が訪れる。白に青いラインの入った服の若い船員は、メアリィのやわらかな身体に触れる。メアリィは微笑むが、彼に挨拶を返すことはない。ただ、触れられて相手を見つめかえすだけ。


それでも、メアリィは船員たちを惹きつける存在だった。他のカウンセラーたちなどまるで相手にならないくらい、船員たちはメアリィを頼った。


好きな人のこと、抱えている不安、任務の愚痴、どんな内容にもメアリィは的確なアドバイスなどしない。単にそこに座り、たまにあくびをして、彼女は彼女の時間を過ごすだけ。


 メアリィは魚料理が好きだった。なので、船員たちは食事に魚が含まれていると、貴重なたんぱく源であることすら忘れて、彼女に魚を分けたくらいだ。これは旅の2年目が半ばにさしかかるころには船員の栄養という観点から禁止となったが、それでもこっそりメアリィに食事を貢ぐ者も少なくなかったとか。


いつの間にかメアリィの虜は増えていき、最終的には戦闘用アンドロイドもその餌食となっていた。


「おはよう、メアリィ」


メアリィは磨かれた水晶のような瞳で機械仕掛けの知性を見る。水晶に映り込むのは船内の迷彩になる白い髪と白い戦闘服。人間と誤認させることを狙って人そっくりに作られた身体。


「今日は区画34から37の定期検査を行った。不審なものは見られなかった。そちらはどうだい? もしも、何か不審な兆候を見せる人物がいた場合、すぐさま治安維持部に報告してもらいたい」


メアリィはカウンセリングルームのソファで丸くなるように寝転がると、彼には興味が無いと言いたげに目を閉じる。


「また報告に行くよ。それじゃあ、任務に戻る」


戦いの為の武器は、メアリィに礼をすると、カウンセリングルームを後にする。船員たちに本当にいるんだな、と囁かれようと、彼にとってはどうでもいいことだった。


戦闘用アンドロイドが去ると、メアリィにカウンセラーの同僚が食事を運んできた。その匂いに気付いたのか、メアリィは眼を開けた。


「どうしたの? マックスは好きになれないかしら?」


メアリィは目の前に置かれた魚のペーストを夢中になって食べ始める。彼女の綺麗な形の耳には、戦闘用アンドロイドに関する話なんて、入ってきていないようだった。


カウンセラーの女は、そんなメアリィに全く……と言いつつ、これからも一生懸命働いてね、と声をかけて自分の仕事へと戻っていった。


「なあマックス、今日もメアリィのとこに行くのか?」


「行くよ。任務報告の為に。彼女も船の安寧を守る仲間であることは間違いない」


戦闘用アンドロイドとして忌避されていたマックスも、船旅が3年目に入るころには、誰かが非公式に立ち上げた「メアリィファンクラブ」の一員になっていた。


彼はその事実を認めなかったが、毎日メアリィに報告をする姿は、彼女を愛しているようにしか見えなかったのだろう。それに、船内をパトロールする彼に話しかける船員も日に日に増加の一途を辿っていた。


 マックスは船員たちに、報告の時間だ、と告げるとメアリィのカウンセリングルームに足を踏み入れる。今日のメアリィは、テーブルに座り、マックスに気付くと、その匂いを持たない動きに目を追わせていた。


「メアリィ、今日は他のカウンセラーたちと、船員の精神状態に関する情報交換を行ったけれど、船員に異常をきたした者は見られなかったよ。君と君の同僚たちが日々務めを果たしている動かない証拠だ」


 マックスは冷たい手でメアリィの頭に触れる。高い体温、柔らかい金糸の毛。彼が持たないものを彼女は当たり前のように身に着けている。


「最近は僕も船員たちと、より円滑なコミュニケーションが取れるようになっているんだ。それは君の活躍のおかげだよ。


他の船員にどんなことをしているのか、是非知りたいけれど……それは君の秘密なんだろうね。また報告に来るよ。それじゃあ」


 船員たちのまねをして、メアリィに手を振る。急に頭から冷たい感覚が離れたメアリィは、細めていた目を開ける。そこに去っていくマックスを見て、彼女はテーブルから降りて、彼を見送るかのように扉の前で座り込んだ。


マックスがメアリィの部屋から出ると、メアリィをこよなく愛する船員が近づいてくる。


「今日のメアリィどうだったか?」


「お前、毎日メアリィに会えるんだろ? 羨ましいやつめ」


「メアリィは健康状態も良さそうだったし、君たちに会うこともきっと楽しみにしているよ」


マックスはそう答えると、自身の身体が充電を求めていることに気付く。


「じゃあ、僕は充電に行ってくるよ」


そう船員たちに告げて、彼は船内の充電室へと足を運んだ。


 船員たちもメアリィに夢中になり、マックスも船員としてすっかりなじんでいた4年目。とうとう船に警報が鳴り響く日が訪れた。頑張れよ! と仲間たちに応援を受けながら、マックスは脳内に送られたルートに従って船と同じ白色の身体を動かす。

 部屋はメアリィのカウンセリングルーム前、現在は非常時として自動ロックがかかっている、だった。このままではメアリィに危害を加えられてしまうかもしれない。マックスの脳が考えていたのはそんなことだった。


「メアリィ!」


メアリィの部屋が見えてくる。どうやら、制服からして船員の誰かが、整備用の鉄パイプを用いて、メアリィの部屋を破壊しようと試みていた。


目的は不明。メアリィの部屋の扉は特殊な仕様で簡単には壊れない。とはいえ、彼女に危害を加える者を放っておきたくはなかった。


 マックスは船内の冷たい床を蹴ると、鉄パイプの男にとびかかる。男は抵抗したが、鋼鉄の身体を持つマックスには無意味なことだった。たとえ頭部を鉄パイプで殴打されても、曲がるのは鉄パイプの方。


「メアリィを傷つけてどうするつもりだった?」


男を押さえつけながら、マックスは問いかける。任務外の行動だったが、気になってしまった。どうしてあれほど美しく、愛されるために生まれてきたかのような彼女を、損害するような発想を持ったのか。


「お前のせいだ……お前のせいだ!」


男は答えるが、マックスの下した結論は、「話にならない」だった。


「そうか。制圧行為に移行する」


プログラムの通りにそう告げると、マックスは男の顎に拳を叩き込み、気絶させた。船員は完全に排除することを禁じられている。


 マックスが制圧完了を告げ、気絶させた船員が治安維持部によって医務室に搬送されると、船内の非常事態は解除され、カウンセリングルームからはメアリィと彼女を抱えたカウンセラーの女性が出てくる。


「お疲れ様です。マックス」


カウンセラーの女性がそう言うと、メアリィは彼女の腕からぴょんと飛び降りる。柔らかそうな輪郭を持つ毛並みに、磨かれた青い目、しなやかで無駄のない四本の脚にゆらゆらと揺れる尻尾。


猫という生き物の中でも珠玉のような存在。


「メアリィ、もう危険なものはいないよ。この旅もあと1年だけれど、これからも、僕や仲間たちを元気づけてくれるかい?」


 マックスはメアリィの瞳をのぞき込み、そう尋ねる。相変わらず無口な彼女。その問いには答えない。ただ、マックスの血の通っていない手に暖かい頬をすりつける。何の騒ぎだったのか、といつの間にか船内に声が戻り、宇宙の旅は再開された。

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