「だから、あいつとはなんにもないから!」
「なんにもないから」
「……? 何が?」
「だから、あいつとはなんにもないから!」
「いや、だから何が?」
課題のレポートをする手を止めて夕食の準備を始めた頃に、いつも通りに戻っていた日葵が突然そんなことを言い始めた。
なんにもないって言われてもわけわかんないんだけど。なにが何にもないわけ? ていうか何かあったの?
「……別に、気付いてないならいい」
「いや気になるじゃん、そんなこと言われたら。なんなの?」
「いいの! もう、お風呂入ってくるから!」
「お、おう……?」
着替えを持って風呂場に入って行く日葵。さっきまでみたいにじとーっとしているわけじゃないけど、マジでなんだったんだ。
「あいつ」とか「なんにもない」とか。なんか俺に見られたくないものでもあったのか?
野菜を適当な大きさに切りながら考える。一人しかいなかったときはカット野菜だったんだけどなぁ。二人いるならむしろちゃんと買って切った方が量が用意できて安くつく。
……うーん。なんだ? 俺が日葵で見たのなんてあの男子と一緒に歩いてるのくらいだけど……もしかしてあれか?
なんにもないとか言われてもなぁ。何かあるとか思ってるわけじゃなくて、そもそもそんなことを言われるとまったく思ってなかったから、こう……なに? 俺はどうしたらいいの?
「そうか」って頷いてあげたらいいの? いやでも完全にタイミング逃したでしょ。今更さっきの話蒸し返しても日葵の機嫌悪くなりそうだしなぁ。
野菜の後は肉を適当な大きさに切り分けていく。俺は豚肉じゃなくて鶏肉派だ。そっちの方がヘルシーで美味しい。
鶏肉を切り分けたら鍋に油を敷いて火にかける。鍋があったまったところで鶏肉を放り込んだ。
日葵と……糸原君だっけ? 友達なんだろうか。日葵は学校に友達なんていないとか言ってたけど、糸原君は日葵と距離が近そうだったし。
ツーブロックの髪に、少し日に焼けた肌。人懐っこそうな雰囲気と整った顔立ち。女の子にモテそうだな、という印象。正直言って俺の苦手なタイプだった。
俺は高校生の時は陰キャとは言わないまでも別にクラスの中で目立つような存在じゃなかった。陽キャとは程遠かったし、どちらかというとそういうタイプの人間は苦手だった。
だからまあ、大学で遠野と仲良くなったのは本当に偶然だ。ただレクリエーションの時の席が近かっただけで。そこが遠かったらまあ仲良くなってないと思う。
鶏肉にある程度火が通ったら一旦取り出してみじん切りにしていた玉ねぎを放り込む。なんか飴色になるまで炒めるといいらしい。毎回思うけど飴色ってなに? 飴なんていろんな色があるじゃん。
玉ねぎに色がついたら切っていた野菜とさっき取り出した鶏肉を鍋に入れる。その後水と野菜ジュースを半々くらいの割合でドバドバと鍋の中に入れていく。
んー……日葵は糸原君のことを何とも思ってないけど、糸原君は日葵と仲良くなりたいとか? まあ、日葵可愛いもんな。高校にはほとんど化粧をして行ってないけど、そもそもすっぴんが可愛いし。
仲良くなりたいっていう気持ちはわかるよ。俺も男だし。まあ俺には無理だけど。自分から女の子に話しかけにいくなんて。
受験もあるのに女の子のこと考えてる余裕とかあんの? みたいな考えは、推薦貰えなくて一般入試で入るしかなかった俺みたいな人間の考え方か? 推薦貰えて一般入試パスできるなら受験勉強なんてしなくていいもんな。糸原君がそうなのかは知らないけど。
……まあ、ここまで考えたけど全部俺の妄想でしかない可能性も十分ある。日葵から直接聞いたわけじゃないし。
鍋に十分火が通ってジャガイモに箸が簡単に刺さるくらいになったらいったん火を止めて、はちみつとカレールーを入れる。ルーはお玉の上に乗せて箸で溶かしていく。
ルーが完全に溶けたらもう一度火をつける。後は弱火でとろみが出るまでじっくり煮込めばいい。
部屋にはカレーのいい匂いが充満していた。換気扇を回しててもこの匂いは消せないのだ。まあ良い匂いだし消せなくてもいいと思ってるんだけど。いやこびりついてほしいとかじゃなくてね?
そうこうしているうちに風呂場の扉が開く音がして、中から髪を濡らした日葵が出てきた。地味なスウェットを着て、髪で肩回りが濡れないようにタオルで纏めている。
「カレー?」
「おう。もうちょっとでできるぞ」
「やった。ナツのカレー美味しいよね」
「日葵、甘口のカレー好きだよな」
「いいじゃん。でもルーは中辛なんでしょ?」
「俺中辛が好きだし」
そんな会話をしつつ鍋を軽くかき混ぜる。多少とろみがついてきて、もう少しかなぁという頃合いになってきた。
カレー、いいよね。一回作ったら二、三日はこれで食っていけるし。作るの簡単だし。白いご飯で食ったりうどん入れて食ったり、コロッケ入れて食ったり、とんかつ入れて食ったり。バリエーションが用意できて楽なんだよな。
「……ん。ねぇ」
「……はいはい」
日葵に服の袖口をキュッとつままれる。もう言葉にする必要もない、いつもの合図だった。
……まあ、もう余熱で放っておいても問題ないでしょ。そう思って俺は火を止めて日葵に引っ張られるままキッチンから部屋に戻った。
日葵が座った後ろに俺も座って、ドライヤーの電源を入れる。ブオーという音と一緒に温風が出てきて、俺はその温風を日葵の髪に当てながらもう片方の手で髪の毛を優しく散らして乾かしていく。
風呂上がりの日葵の髪の毛を乾かすのはもう日課みたいなものだ。俺がよっぽど切羽詰まってるとか、物理的にバイトで家にいないとか、そういうとき以外はほとんど俺が乾かしている。
言葉にしているわけじゃないけど、日葵は俺に髪の毛を乾かしてもらうのが好きらしい。なんでかはわからない。理由が気にならないといえば嘘になるけど、まあこういうのは無理に聞くものでもないとも思っている。
俺に負担があるわけでもないし。それで日葵が満足してくれるなら安いものだ。
俺に髪を乾かしてもらっている時の日葵は、手持無沙汰のはずなのにスマホとかも見ずに目を閉じてじっと座っている。人にやってもらってるのにスマホを眺めるなんて失礼じゃん、とかなんとか言ってた気がする。別にスマホ眺めててもいいんだけどね。
そうしていつも通りに俺が日葵の髪を乾かした後、二人でカレーを食べた。
今日は俺も日葵もバイトが無くて、夜はのんびり過ごした。俺たちは別に恋人とか家族とかでもないから、一緒の部屋にいてもそれなりに距離感はある。
でも――なんだか今日は、体じゃなくて心の距離が縮まった。そんな気がした一日だった。
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