「あ、見て! チンアナゴ可愛い~」

 マリンブルーって言うんだっけ? 暗く深い青色で満たされた空間は、ゆらゆらと光をくゆらせながらそのガラスの向こう側を映し出している。

 ごつごつとした岩肌と海藻が生えていて沈み込んだ砂。この岩は本物の岩じゃなくて中が空洞になっているダミーの岩なんだって、前に何かで見た気がする。


 分厚いアクリルガラスの向こう側には大小さまざまな魚が自由に泳ぎ回っている。水槽の前にはこの水槽の中に泳いでいる魚の説明書きが並んでいて、それを休日の親子が楽しそうに読み上げていた。

 足元の廊下には雰囲気を壊さない程度に足元を照らす控えめなライトがあって、薄暗い空間の中でも足元が見えなくて転ぶなんて心配はしなくてよさそうだった。


「綺麗だねー……」

「そうだな」


 俺と日葵は今、電車に乗って数駅離れたところにある水族館に来ていた。

 俺が日葵を誘った日に二人でインターネットを見ながら決めた場所だった。


 日葵がキラキラ系のSNSをザーッとスクロールしながら探してたのには圧倒されたわ。俺なんかインターネットの吹き溜まりみたいなSNSしかしてないから、普通に観光名所とかで調べてた。


『そんな調べ方してたら若い女の子にモテないよ?』


 なんて言われたけど、そもそも若い女の子と一緒に出掛けることなんて無いんだから別にいいだろ!

 ……いや日葵も若い女の子だけどさ。そういうことではなくて。


 ここは若い男女の間でデートスポットとして結構人気の水族館らしい。もちろんデートだけじゃなくて家族のお出かけにも人気だ。

 だから館内は若い男女とか子供連れとかで結構人が多かった。まあ水族館自体がそれなりに大きいから込み合ってるという印象はなかったけど。


「マンボウってぼーっとしたような顔してて可愛いよね」

「まあ可愛いと言われたら可愛い……のか?」


 今日の日葵はいつも俺の部屋にいる時とは違って、バッチリとメイクをして私服を着ていた。

 淡い色の長袖のニットと、タイトな黒のロングスカート。スカートにはスリットが入っていて、日葵のシミのない白い脚が見え隠れしている。足元は短い黒のブーツを履いていて、全体的にモノトーンで大人っぽい服装だった。メイクも派手なメイクはせずに、元々の日葵の顔だちの良さを生かすようなナチュラルに見えるメイクをしていた。


 ……初めて会った時はもっと地雷系のような見た目をしていたから、てっきり普段出かける時もそんな恰好をするもんだと思ってた。

 どっちがいいってことはないけど、個人的に言わせてもらうなら今の大人っぽい恰好の日葵の方が似合ってると思う。


「あ、見て! チンアナゴ可愛い~」


 水族館の中をゆっくりと歩きながらいろいろな魚を見ていく。よく名前を聞くような魚だったり、全然知らないような魚だったり。

 魚以外にもカニや貝、ヒトデとか。イルカショーなんかもあるし、広いところにはペンギンやアザラシ、ホッキョクグマなんかもいたりして、一日中でもこの中にいられるようになっている。


 朝一緒に家を出て、昼前にこの水族館にたどり着いた。

 当たり前のように一緒に家を出てきたけど、改めて考えると俺と日葵の関係って何なんだろうな。別に恋人でもないし家族でもない。言ってしまえば赤の他人ではあるんだけど、そう言いきってしまうには既にお互いのことを知りすぎたというか、関わる時間が長すぎてそんな単純な関係ではなくなってしまった。


 これが例えば学校で会うとかなら、先輩後輩の関係だったんだろう。他の、例えば学習塾であったなら先生と生徒といった関係だったはずだ。

 でも俺と日葵の出会いはそんなんじゃない。決して健全な出会いとは言い難い。不健全なことを日葵にしたつもりはないけど、世間的に見て良い出会いだったとは言えないだろう。


「そろそろお昼食べに行こうか? 時間もお昼過ぎて人も減っただろうし」

「そうだね。水族館にくっついてるレストランなんて初めて。なにがあるのかな?」

「そういうのSNSで見たんじゃないの?」

「ばか! そんなところまで調べちゃったら行く楽しみがなくなっちゃうじゃん!」

「そういうもんか……?」


 ニコニコと楽しそうに笑う日葵に俺もつられて顔がほころぶ。肩が触れ合う距離にいるだとか、手を繋ぐだとか、そういった恋人っぽいことはしない。あくまで俺と日葵はただの知り合いで、そういう関係じゃないから。

 でも大人っぽいその見た目で年相応に朗らかに笑っている日葵を見るのは、悪い気分じゃなかった。


 日葵のそういう顔を見れたのだから、今日は誘ってよかったと思えたのだ。






 レストランはお昼の時間帯を少し過ぎていたこともあって、まだ人はいるものの座れないということはなく入ってからスムーズに案内された。

 メニュー表を一緒に見ながら何を食べるかを決めていく。メニューは何か特別なものがあるわけじゃなかったけど、近くの漁港から直接仕入れているという海鮮系のご飯が自慢みたいだった。


「なんか『可愛い!』ってさっきまで言ってた魚を食べるのはちょっと複雑な気分」

「まあわかる。でも美味しいらしいぞ」

「んー……じゃあこれ! シーフードカレーにする!」

「いいじゃん。美味しそう。俺は……海鮮パスタにしようかな」


 そうしてテーブルに置いてあるタブレットでご飯を注文した。最近はどこもかしこもこんな感じで注文しやすくて助かる。店員さんに声をかけて呼ぶのって苦手なんだよね。

 俺たちが入ったレストランは水族館らしく、窓からサメの水槽が見える仕組みになっていた。俺たちが通された席はちょうど窓際で、サメがゆっくりと優雅に泳いでいるのがよく見えた。


「でっかいサメだな」

「そうだねー。めっちゃ迫力ある」


 料理が運ばれてくる間、水槽のサメに目を向けながら雑談をする。

 俺はサメの種類に詳しくないから水槽の中で泳いでいるサメが何の種類なのかわからないけど、映画に出てきそうなくらいの大きさのサメで近くまで来ると結構迫力があった。


「小さい魚と一緒に泳いでるけど、食べたりしないのか?」


 なんとなくそんなことを口にする。

 口を開けた拍子とかに一緒に泳いでる小さい魚とか食べちゃいそうだけどな。


「どうなんだろ。でも流石に食べちゃうなら一緒の水槽に入れないんじゃない?」

「確かに」


 まあ流石にそうだよな。飼育している魚がサメに食べられましたなんてシャレにならないし。

 ちょっと考えればわかることだったな、なんて。そしたら日葵が言葉を続けたのだ。


「サメってさ、種類によっては交尾するときに噛みついて動かないようにするのがいるんだって。夫婦で、お互いに傷を残しあってさ」

「マジか。すごいな」


 サメの歯で噛みつかれたら、いくらサメでも傷つくんじゃないの? どうなんだろうか。やっぱ噛みつかれても何ともないように進化してんのかな?

 そんな風にのんきに考えていた俺と対照的に、日葵の声はどこか熱を帯びたような、逆に冷めているかのような、不思議な声音で。


「自分の好きな人に傷をつけられたり、傷をつけたり。それをするのが当たり前。――いいなぁ」


 無意識に、心の内が漏れたようなそんな言葉に。

 俺は何と言っていいのかわからなかった。


 たぶん日葵も返事なんて望んでなくて。


「お待たせしました。こちらシーフードカレーのお客様――」


 ちょうど店員さんが運んできた料理に、なんとなく救われた気分になった。そんなお昼だった。

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