『軽い女』と噂の美少女ギャルが俺にだけ重い感情を向けてくる件について
餅餠
第1話『軽い女』の言葉は重い。
「なぁ、連絡先教えてって。今日の放課後とか一緒に遊ぼうよ?」
「……やめてくださ~い」
九月の残暑は既に消え去り、十月の秋風が肌寒さを運んでくる今日この頃。眠い目を擦りながら駅のホームに立つ俺の耳に作ったような甘い声が飛び込んでくる。
声の方に視線を向けると、俺と同じ制服を着た男女の姿があった。
露骨に不機嫌そうに眉をひそめた金髪女に、一回り大きな身長の茶髪の男がしつこく話しかけている。
女の方は顔を背けて男と目を合わせないようにしているが、男はそれを許さないように顔を覗き込んでいる。
……あれはいわゆるナンパというやつだろう。成功の気配は一行に見えてこないが、男の方は諦める気がないらしい。
「そんなに警戒しないでよ~君、軽井沢ちゃんでしょ?」
「っ……それがなに?」
最近の男は朝からお盛んだな。まぁ、相手が相手だからということもあるだろうけれど。
俺は女の方へと視線を向ける。
女の黄金の髪色は朝の日差しを浴びてキラキラと輝いており、毛先に向かって緩くウェーブがかかっている。
健康的な小麦色の肌と宝石と見紛う程の輝きを放つのサファイア色の瞳は、彼女が他の人間とは一線を画す魅力を持っているということを誇示しているように見えた。
彼女は
その美貌はありとあらゆる男を惹きつけ魅了する。今回も例に漏れずその甘い香りに誘われた男がいたようだ。
「軽井沢ちゃんさぁ、いろんな人と遊んでるんでしょ?だったら俺とも遊んでよ。きっと楽しいからさ」
「っ、それは……っ!」
『軽井沢佳奈は軽い女』。この学園ではもはや常識として流布している噂だ。
こんな美少女が軽い女と訊けば、脳が下半身にある男子たちが話しかけに行くのは当然なのかもしれない。
「ねぇ、あれナンパ? 朝から元気だなぁ……」
「あれって軽井沢さんだよね? 軽いって噂だけど、なんか嫌がってね……?」
「
「あぁ、あれが……おっそろしい奴もいたもんだな」
成る程、あれが柳楽香月。軽井沢の噂と共に学園では有名な名前だ。朝から有名人を二人もお目にかかれるとは、今日が運が良いのか悪いのか。
「いいじゃん連絡先ぐらい。減るもんじゃないしさぁ」
「やめてください……あっ、蛇澤くん!」
「は!?」
助けるべきかと逡巡していたその時、軽井沢が俺の名前を叫んだ。
なぜ俺の
一応弁明しておくが、俺は軽井沢と遊んだ経験はない。それどころか話した記憶すらもない。下半身に脳がある奴らとは一緒にしないでほしい。
ともかく、俺はこの状況を収めなければ、平穏な登校時間を得ることはできないらしかった。
「……朝からお盛んなのは良い事ですけど、もっと人目につかないところの方がよいのでは?」
「はぁ? 誰だお前。関係ない奴は黙ってろよ」
「俺もそうしたいところなんですけど、どうやらそれが許される状況じゃないみたいなんで」
周囲からのご愁傷様という視線と、軽井沢からの助けを懇願する視線。小動物のような視線を向けてくる軽井沢を前に逃げることなんてできなかった。
ちらりと時計に目を向ける。電車が来るまでは一分もない。
電車が到着するまでにどうにかこいつを追い払わないと、一緒の電車で地獄の空気を味わうことになる。それだけは絶対に避けたい。
相対した柳楽先輩は露骨なため息を吐いた。
「はぁ……あのさぁ、俺は軽井沢ちゃんと話してるの。邪魔しないでくれる?」
「先輩は話してる相手の表情も見えないんですか? かなり嫌がってますけど」
「……お前なぁ」
流石の柳楽先輩でもそこは分かっていたのか、眉尻をぴくりと動かした。思ったよりも煽りに耐性が無いらしい。平和的解決は無理と見た。
「先輩はそんなことも判断できないぐらい馬鹿なんですね。下半身に脳みそがあるからですかね?」
「いい加減にしろよ……!」
先輩が俺に詰め寄ってくる。先輩の手が俺の胸元に伸びてきた。
到着のアナウンスが流れ始める。もう時間がない。……致し方ないか。あとで平謝りするしかない。
俺は右足に力を込めて、詰め寄ってきた柳楽先輩との距離を確認。狙うは、急所。
「ごめんなさい先輩。先輩の脳みそを元の場所に戻します」
「は? 何を言って……」
俺は目いっぱいの力で柳楽先輩の股間を蹴り上げた。先輩は悶絶しながらその場に蹲る。
「軽井沢!」
「えっ、ちょちょっと!?」
俺は軽井沢の手首を掴み、ちょうど駅のホームに到着した電車に乗り込む。柳楽先輩は蹲ったまま、地面をのたうち回っている。……ごめんなさい。一応謝っておきます。
柳楽先輩に手を差し伸べる人間はおらず、電車はそのまま発進した。
一息ついて席に腰を降ろす。続いて隣に座った軽井沢が俺の目の前で両手をこすり合わせた。
「急に巻き込んじゃってごめん蛇澤くん! マジ助かった……」
「変なことに巻き込まないでくれ……ていうか、俺の名前をどこで覚えた?」
「……?おんなじクラスだから覚えてて当然じゃん?」
俺はそんな軽井沢の言葉を否定できず、口を噤んだ。日陰者の自分にはない発想だった。
駅から離れたことでようやく安心できたのか、軽井沢はふぅと大きく息を吐いた。
「よかった、蛇澤くんがいてくれて……」
「俺じゃなくても駅員さんとかに助けを求めた方がよかったと思うが……」
「いや、蛇澤くんだから助けを求めたんだよ。蛇澤くんならきっとウチの事を助けてくれるし?」
俺は軽井沢の言葉が理解できなかった。
いや、訂正しよう。意味は理解できる。ただ、その根拠がどこにもない。
先程も言ったが、俺は軽井沢と関わりがない。過去にナンパから助けた経験があるわけでもなく、委員会や部活で一緒になった経験があるわけでもない。彼女が俺の事を信じる根拠なんて、どこにもないのだ。
怪訝な表情の俺に、軽井沢はさらにぶっこんでくる。
「やっぱり、蛇澤くんのこと好きだなぁ……」
「……は?」
理解ができなかった。今度は言葉の意味も理解できなかった。
硬直した俺を前に軽井沢は焦った身振り手振りで弁解を始める。
「あっ、えと、そうじゃなくて! そうじゃないわけじゃないんだけど……へ、蛇澤くんのレスバ好きだなぁって……あは、ははは……」
「あ、あぁ、そうなのか……?」
どうやら言い間違いだったらしい。軽井沢が俺の事を好きだなんて言うわけがないのに、ドキッとしてしまった自分が恥ずかしい。
ただ、こういう軽はずみな発言をしてしまうあたり、軽井沢は軽い女だ。
……なんだか気まずい空気になってしまった。少し気を取り直して話題を変えよう。
「柳楽先輩とはいつからあんな感じなんだ?」
「結構最近かなぁ……顔を合わせるたびにしつこく連絡先聞いてくるからいい加減どうにかしなくちゃと思ってたんだけどさ、どうやっても突き放せなくて……」
苦笑いを浮かべた軽井沢からは心労が感じられた。ああいう男は油汚れよりもしつこい。母さんが言っていた。
「だから今日も朝から顔合わせてマジ最悪だったんだけど、蛇澤くんがいてくれてよかった~」
「次は違う奴に助けを求めてくれ。これ以上恨みを買うと俺の平和な学園生活が危ぶまれる」
「あはは、それはちょっと無理な話だなぁ」
軽井沢は明るく笑う。今日初めて話したはずなのに、まるで距離感を感じられない。誰にでもフレンドリーな彼女だからこそできる芸当なのだろう。
「軽井沢は……」
「佳奈」
「……え?」
「佳奈でいいよ。ウチも凜くんって呼ぶから」
「……軽井沢は苦労が絶えないな」
俺が苗字呼びをしているのがよほど気に食わなかったのか、軽井沢は眉間に皺を寄せて俺を睨んできた。ぷくっと膨らんだ頬が可愛らしい。
「呼んでよ」
「拒否する」
「呼んでよ!」
「考えておく」
「むぅ……絶対諦めないから。覚悟してよね、凜くん!」
軽井沢はそう言って軽く肩をぶつけてくる。俺は動じないフリで取り繕った。決して彼女になびいている様子なんて見せないように。
俺は震える手を押さえながら、早く駅に着いてくれと強く念じていた。
次の更新予定
『軽い女』と噂の美少女ギャルが俺にだけ重い感情を向けてくる件について 餅餠 @mochimochi0824
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