第5話 確固たる信頼のある相手
ロッカールームでスマホをとりだし、LINEで片岡さんの連絡先をひらいた。片岡さんは、出会い系サイトで知りあった男だった。「今夜、空いていますか?」とLINEに打ち、送信した。
スマホを鞄に放り、スクラブを脱ぐ。誰もいないのをいいことにズボンも脱いで下着だけになったら、皮膚がすうすうする。気持ちいいのに外は寒いから、汗ばんでいるのにヒートテックをかぶった。Gパンに足を入れながら、今日はスカートにしておけばよかったと思う。
まだ手のひらには、温もりのない骨ばった小田切さんの胸の感触が残っていた。胸が、肉体が、ざわざわする。人の死に関わると、私は性欲に襲われた。どうしてだろう。本能が、生きることへの執着を呼ぶのだろうか。こうした日は、いちにち、いたたまれない。皮ふが泡立つように鳥肌をたて、乳首や陰部が熱を帯びぽってりする。
服を着ているうちに返事がきた。「O.K.」と簡素な内容だった。返事を見たとたん、性欲に拍車がかかった。
病院の最寄り駅から新宿へむかった。人混みが気になり、無意味だとは思いながらマスクを二重に着けた。そのうえ、これから濃厚接触をするのだから、まったくもって矛盾している。コロナ感染は収束したらしい。ネットニュースでは毎日のように感染者数を発表していたのに、いつの間にかそのページも目にしなくなった。感染に過敏なのは、職業病のせいかもしれない。
阿呆くさい。私は片岡さんが感染対策をどのようにしているのかも知らないというのに。
改札をぬけ、東口へむかって歩く。ちょうど仕事帰りの人たちでごたついている。こうしたなかを歩くと、よりいっそうひとりである自分を感じる。大勢の他人のなかの、たったひとりの自分。
ルミネの看板のまえで、いつものようにスマホをいじっている片岡さんを見つけた。二十七の自分より十五もうえのおじさんで、すこしくたびれた感じのサラリーマンだ。
「おまたせ」声をかけると「おう」と片手を小さく上げた。
「お腹、空いてる?」
「ううん、大丈夫」
私たちは、さっさと歩きだした。向かう先はもちろん、食事をする場所ではない。本当のことを言えば、お腹は空いていた。けれども私は、性欲を優先した。空腹のほうが昂りやすいのだ。
片岡さんは、うってつけだった。妻子があるし、家庭を捨てる気は微塵もないと言っていた。恋愛感情なんてひとつも考えずにすむ。じりじりと湧いてくる性欲をどうにかするには、なにも考えずに汗をかいて発散するのがいい。
片岡さんとの相性は、すごくよかった。唇の感触も、無理やりではないけれども少し強引な感じのキスの仕方も、肌を滑るように撫でるのも、私がイクまで執拗に乳首を吸いつづけるのはしつこくて嫌だったけれど、挿れてから達するまでの互いのタイミングもちょうどよかった。
だからと言って、私たちが互いの生活を詮索することはほとんどなかった。私は片岡さんが家庭のあるサラリーマンであることくらいしか知らない。どこに住んでいるのかも、休日にどんな過ごし方をしているのかも知らない。片岡さんのほうはときどき質問を投げかけてくることがあったけれど、週末はどうしていたかとか、仕事は順調かとか、ただの世間話しで、私に興味があるわけではなさそうだった。そのことが私たちを続かせている一番の要因だと、私ははっきり思う。
双方に恋愛感情は、おそらくない。少なくとも、私には皆無だ。けれども、確固たる信頼でつながっているように思えるのだ。
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