#02. 王女の日記

 ……とは言え、いつまでもシュガー王女から逃げきれるものではない。キルシュは、彼女の教育係でもあるからだ。


 案の定、魔法史の講義中――シュガー王女が、取り出したのは、魔法史大全……ではなく、可愛くラッピングされた小さな包み。


「キルシュ♡ はい、あ~んして♡」


 満面の笑みをたたえ、シュガー姫が、小袋から取り出したのは、ハート型のクッキー。それを指先でつまみ、キルシュの口元へ近づける。


 一方、キルシュは、あごを引き、元々不愛想な顔に渋面じゅうめんをつくって見せた。


「…………なんだ、これは」


「見てわからないの? クッキーよ。わたしが作ったの。……ちょっと焦げちゃったけど、味は保証するわ」


、だろう」


 ぎくっ、と王女の表情が固くなる。


「な、何を言うの。そんなわけないじゃない。ちゃんと味見だってしたんだから」


「その味見をさせられたコックが、今晩のメインディッシュにしようとしていたコカトリスに一目惚れしてしまい、森へ逃避行したきり行方不明なのだ。どうしてくれる」


 淡々と事実だけを告げるキルシュの物言いは、シュガー王女を追い詰めた。目をきょろきょろさせて、明らかに動揺を隠せないでいる。


「うっ。そ、それは……」


 そもそも『うっ』と言っている時点で、だ。


 上空を彷徨さまよっていた王女の視線が、ある一点で、はたと止まる。


「愛じゃないかしら?!」「愛じゃないだろう!?」


 苦し紛れの言い訳も、有能な魔法使いによって、すげなく突っぱねられてしまった。


 シュガー王女は、しょぼんと肩を落としたかと思えば、今度は、どうしよう、と落ち着かない様子でうつむいた。行方不明になったコックを心配しているのだ。


 それを見たキルシュが、ふぅ、とため息をつく。


(俺も甘いな……)


「……まぁ、薬の効果は、もって三日だ。二、三日も経てば、自分から戻ってくるだろう」


 ほっとした表情を浮かべる王女に、キルシュは内心(それまでコックが生きていればの話だけどな)と思ったが、それは口にしないでおいた。コカトリスは、なかなか狂暴ななのだ。


「そんなことより、先週、俺が出した課題は終わったのか?」


 あっ、と王女が思い出したように、舌をぺろっと出す。


「わたしの部屋に忘れてきちゃった。キルシュ、取りに行ってくれない?」


 どうやら課題自体は、ちゃんとやったらしい。両手で王女に拝まれて、叱ろうと身構えていたキルシュの気持ちがいでいく。


 忘れてきた原因の一旦が、自分のために焼いたというクッキーにあるのだろう、と思ったからだ。――目的はともかく。


「ったく、しょうがないなぁ……」


 キルシュは、自分が戻ってくるまで自習しておくようにと告げ、王女をひとり残して部屋を出た。


 魔法を使えば、あっという間だが、防犯のため、王室関係者が使う部屋では、魔法封じの魔術がかけられている。直接、部屋まで取りに行くしかない。


(まったく、王女も色気づいたものだ)


 キルシュは、その優秀さから、十歳で王立魔術師団へ入団し、十二歳で王女の教育係に任命された。以来、十年近くも、王女の成長を傍で見てきたのだ。


 今更、恋だの愛だのと言われても、キルシュには、よくわからない。


「これかな……?」


 文机ふづくえの上に、開いて置かれたままの本があった。手にとって、中を確認してみる。


 〇月△日

 今日、キルシュとデートした。

 魔法の訓練だってキルシュは言っていたけど、二人きりでの遠出なんて……デートよね?!

 訓練は……あまりうまくいかなかったけど……。

 最後にキルシュが「よくがんばりましたね」と言って、頭をなでてくれたの。わたし……胸が、ぎゅーーーってなって、死んじゃうかと思ったわ♡♡♡


 ●月✕日

 はぁ……キルシュと喧嘩しちゃった。

 キルシュったら、いつまでも子供扱いをして、わたくしの気持ちに、全っぜん気付いてくれない!

 一体どうしたら、彼の心を手に入れることが出来るのかしら……?

 魔法でも使えたらなぁ。


 △月◎日

 今日は、キルシュと会えなかった。

 研究室にこもって、何かの薬を作っているみたい。

 はぁ……こんなことなら、妙なことを頼むんじゃなかったわ。

 キルシュに会えない日が、こんなに辛いなんて…………。



 ――それは、どう見ても、王女の日記だった。


 しかも、どの日付にも、「キルシュ」の名前ばかりが書かれている。


 数ページに目を通したところで、キルシュは、本を閉じた。


 人の日記を読んではいけない、というのは本当だと思った。


 その時、がちゃ、と音を立てて、部屋の扉が開いた。メイドが、清掃のため訪れたのだ。


「あら、キルシュ様。いらっしゃったのですか……」


 声をかけたメイドは、キルシュの顔を見て、目を見開いた。


「まぁ、キルシュ様! 熱でもあるんですか? 顔が真っ赤ですわよ」

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