第04話 王宮の歪み
王宮という場所は豪奢な外見に反して、裏側では常に多くの人間が動き回っている。
厨房で働く料理人たち、厩舎で馬の世話をする従者、各棟を巡る文官、そして侍女や兵士たち。
その全てが動く場所には、必ず【会話】と言うモノがある。
「さっき第三文官棟で、貴族の使いが何か届けに来たらしいわよ」
「え? また? 最近多くない?」
交わされる言葉の一つ一つは断片に過ぎない。
だが、それを拾い集め、繋げていけば——やがて全体像が浮かび上がる。
それこそが、セラディスの最も得意とする【情報収集】だった。
その日も、セラディスは厨房の裏口から入って黙々と壊れた棚の修理をしていた。
「おや、また来てくれたのかい、坊や。ほんと助かるよ」
「こんにちは、大丈夫。これも僕の仕事なので」
いつも通りの対応に対し、平民の生業をしているセラディスは笑いながら返事をする。
誰も
だが、それが彼にとっては好都合だった。
(午前の時点で、王都西門の動きが増えている……通常の納品ルートじゃない。しかも、文官棟では【第三貴族会議】の準備が進んでいるな)
王宮内の【歪み】が、少しずつ歪みを大きくしていく。
それを肌で感じながら、彼は次に厩舎へと向かった。
道中、回廊を曲がった先で数人の若い騎士見習いとその後ろに付き従う一人の少年とすれ違う。
「……おい、そこの。そこのお前、えっと……そこの……変な服着たやつ」
面倒そうに声をかけてきたのは、ライク・グラミッシュ。
小貴族の息子でありながら、自身を次期宰相候補の後継者だと豪語している、鼻持ちならない存在だ。
そして、あの侍女長フローラの【後ろ盾】でもある。
セラディスは静かに目を向ける。
「はい、なんでしょうか?」
「ここは騎士団の訓練通路だぞ?掃除係が通っていい場所じゃないんだが……」
ライクはセラディスの着ている粗末な作業着を見下ろし、軽蔑の笑みを浮かべる。
「そんな格好で王宮をうろつけるのも今のうちだぞ?もうすぐ俺たちがちゃんとした秩序を戻すんだから」
「え……ちゃんとした秩序、ですか」
「そうそう、うちの親父の兵がもう王都に入ってるしな。どこかの完璧な王子がしくじれば、替わりはすぐに立てられるんだよ」
その言葉を聞いても、セラディスは微塵も表情を動かさなかった。
静かに頭を下げる。
「ご忠告ありがとうございます……失礼いたします」
声に波はなかった。
謝罪も屈服も装いも、一切を交えず、ただ通りすがりの雑用係として完璧に演じる。
それだけ言って、セラディスは背を向けた。
だがその瞬間、瞳の奥には、さきほどの一言が刻み込まれていた。
(……【親父の兵が王都に入ってる】、か)
不自然な兵の移動。それも貴族会議の直前に。しかも命令があったとは一言も言っていない――つまり、王家の正式な承認は得ていない。
それは、王都の治安維持という名目では到底通らない。
場合によっては、王家への挑発、あるいは反逆の意思とすら解釈されかねない——非常に危うい行動だった。
グラミッシュ家は下級貴族――いかに地盤があろうと勝手に私兵を王都へ動かすだけの胆力も権限もあるとは思えない。
となれば——
(……裏に【上】がいるな)
上位貴族――あるいは、王位継承に対して“別の候補”を担ぎたい一派。
いずれにせよ、これはただの“世間知らずな貴族の息子の戯言”では終わらない。
その危うさに思考を巡らせていた矢先、背後からまた一言、耳障りな声が飛ぶ。
「しかしまぁ王子様も大変だよなぁ……なんせ王族にも【変な噂】があるらしいし……なぁ?」
——そこで、セラディスの足が、一瞬止まった。
誰にも聞こえないような微かな吐息とともに、彼は静かに立ち尽くす。
話している相手たちは、自分の正体を知らない。けれど、その【変な噂】の内容が何であるかは本人が最もよく知っていた。
王家に生まれながら、記録から抹消された双子の弟。
王宮に存在しながら、存在しない者として扱われる、【忌み子】。
心の奥底に、ひたひたと冷えた怒りが灯る。
声に出すことはない。
顔に出すこともない。
ただその刹那、セラディスの瞳の奥に、静かな光が宿る。
(兄上を侮辱する者の口は……いずれ、閉じさせる)
その思いを、胸の深くにしまいながら彼は再び歩き出した。
誰にも知られることなく、声も上げず、ただ情報を拾い、記憶し、繋げていく。
それが——【影】の役目なのだから。
▽ ▽ ▽
その夜、セラディスは書庫の一角で、古文書を開いていた。
(グラミッシュ家はかつて第三王子派に属していた一族……その後、地位を落として現在は辺境警備の一端を担っているはず)
だが、彼の父——現当主レトス・グラミッシュは、最近になって再び貴族会議への影響力を取り戻しつつあるという噂があった。
そして、それを後押ししているのが、王宮侍女長であるフローラ。
(ふむ……なるほど。政争の構図が見えてきたぞ)
セラディスは、書きかけの報告書の上にペンを置いた。
名を名乗らずとも、身分を明かさずとも、王を守るために動く者がここに一人存在する。
(兄上……今、王宮は“【動いています】。僕は、それに先んじて動きます)
彼の目がわずかに細められたその瞬間、セラディスの静かな戦いが幕を開けたのである。
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