第24話 氷の国 ― 白霧の彼方へ ―

夜明け前、セレスティア南門の外。

薄い朝靄の中で、ルーガ・キオル少尉は無言で背を向けると、

巨大な翼をゆっくりと展開した。


骨格ごと変形するような低い音。

広がった翼は、鳥人の血を示す異形の構造――

灰黒の羽と飛膜が混ざり合う大きな双翼だった。


アウリスは思わず固唾を飲む。


「……これで、本当に三名を運べるのですか?」


ルーガは横目だけ動かし、簡潔に頷いた。


「問題ありません。王命ゆえ、最短で向かいます。」


エリナはマントをきつく締め、深く息を吐く。


「じゃ、しっかり掴まってなさいよ。落ちたら死ぬから。」


シオンはまだ顔色が悪かったが、意志は固い。


「……お願いします、ルーガさん。」


次の瞬間、ルーガは地を蹴り――

四人は矢のように空へ舞い上がった。


アウリスの視界が一気に広がり、

城壁も森も、見る見るうちに遠ざかっていく。


「……す、すごい……ッ!」


海風は容赦なく顔を叩き、冷気が指先まで痺れさせる。

だがルーガは揺らがない。

気流、温度、風向きを正確に読み、

翼の角度を絶妙に調整しながら進む。


エリナがアウリスの腕を軽く小突いた。


「ほら、風の子。訓練の成果、見せなさい。

 私、寒いのほんとムリなの。」


「あっ……す、すみません! 今整えます!」


アウリスは慌てて風を操り、

三人の周囲に薄い風膜を展開した。

修練の成果か、空中での風操作は驚くほど安定している。


一方、シオンは膝を抱え、静かに息を整えていた。


ルーガが気流の谷間に入り、短い休憩を告げる。


「ここを抜ければ海上は荒れます。

 一度、体勢を整えてください。」


アウリスはシオンの隣に腰を下ろした。


「……シオン様。お体のほうは……。」


シオンは少しだけ微笑んだ。


「……正直に言うと、怖いよ。」


「……怖い、ですか?」


シオンは海の彼方を見つめながら続けた。


「僕は、この旅で死ぬかもしれない。

 父も兄も……僕が生きて帰るなんて思ってない。

 戻れば処刑か、見せしめか……そんな未来ばかり浮かぶんだ。」


アウリスの手が止まる。


エリナは眉をひそめたが、何も言わなかった。


シオンはかすかに笑う。

しかしその笑顔は、どこか泣きそうに見えた。


「でも、民が凍えて苦しむのを、もう見ていたくない。

 だから……僕は進む。死ぬとしても。」


アウリスは胸が締めつけられ、自然と背筋が伸びた。


「――シオン様。

 ……死なせません。

 わたくしが……必ずお守りします。」


シオンの瞳が揺れる。


「……そう言ってくれると、心強いな。」


そのとき、ルーガが前方を指差した。


「視界に“壁”。国境結界です。」


海上を覆うように、巨大な白い層が立ち上がっていた。

近づくほど、霧ではなく“冷気”であることが分かる。


アウリスの肌が痺れた。


「……これは……氷の魔力、ですか……?」


ルーガは頷く。


「《白氷霧壁(ミスト・フリーズ)》――

 王城が張る“氷の結界”の外縁部です。

 突入すれば、瞬時に表皮から凍結します。」


エリナの吐いた息が、空中で氷となって散った。


「……なんなの、この寒さ……。

 ここ、本当に海の上……?」


「本来、突破は不可能です。」

ルーガは振り返らずに言った。

「しかし――シオン様がおられる。」


アウリスとエリナが驚いて振り向くと、

シオンは既に手を前に差し出していた。


掌が赤く染まり、蒸気が立ち昇る。

手のひら全体が“熱源”のように光っていた。


「……霧巫女の血。

 冷気に対して唯一抗える“熱”の魔法。」


シオンの周囲だけ、季節が変わったように暖かい。


アウリスは息を呑む。


(……これが……シオン様の魔力……。)


「熱で……冷気を中和して、霧壁を割ります。」

シオンは震える声で続けた。

「……今の僕じゃ、本当に一瞬しか開けられないけど……それで十分です。」


目を閉じ、息を整え――


「――《霧よ、眠れ(ミスト・リセス)》」


爆ぜるような音とともに、

シオンの掌から灼熱の蒸気が放たれた。


霧壁の表層に熱が触れた瞬間、

<ビシッ!>と結界に亀裂が走る。


冷気と熱気が激しく衝突し合い、

霧は左右に押し広げられ、細い道が姿を現した。


エリナが驚愕の声をあげる。


「割れた……! 冷気が、熱で……!」


アウリスは風壁を強めながら叫んだ。


「ルーガ少尉……今です!!」


「了解。」


ルーガが翼を大きくはためかせ、

四人は熱で割れた隙間へと飛び込んだ。


霧が閉じようと背後から迫り、

アウリスは必死に風の流れを制御する。

エリナも後ろで温度調整の魔法を重ね、

シオンは意識が遠のきながらも必死に踏ん張る。


そして――霧壁を抜けた。


白の世界が眼前に広がった。

大地は雪に覆われ、空気は刺すように冷たい。


アウリスは息を飲む。


「……ここが……グラキエス……。」


シオンは膝に手をつきながらも、確かに微笑んだ。


「――ようこそ。

 僕の、生まれた国へ。」


その瞬間、遠方の白城から低い咆哮が響いた。


ルーガの顔に、わずかな緊張が浮かぶ。


「……王城の結界が動きました。

 こちらの侵入を探知したようです。急ぎましょう。」


白い世界が、四人を飲み込んだ。


氷の国の追跡が――静かに始まった

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