第16話 氷の国 ― 白氷の来訪 ―
王都セレスティアの空は、冬を忘れたように澄み渡っていた。
だが、白銀の行列が城門をくぐった瞬間、空気は変わる。
まるで季節そのものが逆流したように、街路の風が凍りついた。
先頭に立つのは、氷の国グラキエスの大臣――オルステッド・フロイエル。
灰色の髪を後ろで束ね、眼差しは氷より冷たい。
その背に従うのは、白い外套をまとった少年王子――シオン・グラキエス。
街の人々は道の端に寄り、息を呑む。
「……氷の国の使者か」
「寒い……何もしていないのに、風が刺さるみたいだ」
風が鳴り、鐘楼の音が鈍く響く。
――氷の国からの使節団が、ついに王都に到着した。
⸻
謁見の間には、重く張り詰めた沈黙があった。
セレスティア側の代表として立つのは、二人の将。
ひとりは黒衣に赤の紋章を刻む男――ヴァルド・クレスト将軍。
闇と炎、黒炎の魔を操る「黒炎の将」。
その眼光は炎の刃のように、客人を真っ直ぐ射抜いていた。
もうひとりは淡緑の軍衣をまとう女性――リュミエル・アーシェラ将軍。
水と風と光を織り合わせ、植物を操る“蒼樹の盾”。
柔らかな笑みを浮かべ、冷気に満ちた空間を和らげようとしている。
オルステッドが一歩進み出た。
「陛下のご厚意に感謝を。氷は静かに、そして確かに平和を望んでおります」
王の代理として応じたのはリュミエルだ。
「花は冬を越えて咲くもの。どうか貴国にも春が訪れますように」
だが、その優しい声を断ち切るように、ヴァルドの低い声が響いた。
「……氷は溶ければ泥になる。
その泥に、俺たちの炎を混ぜる気はねえよな?」
謁見の間に微かなざわめき。
オルステッドの目が、笑っていない笑みを浮かべる。
「火はあらゆるものを焦がします。氷の上では、すぐに消えますがね」
ヴァルドがわずかに口角を上げた。
「消えたと思うなよ。灰の下で、火は燃え続ける」
二人の視線がぶつかる。
熱と冷気が衝突し、空気が軋む。
床の花瓶が震え、パリンと音を立てて割れた。
リュミエルが静かに手を振る。
淡い光が花瓶を包み、割れた欠片の間から緑の蔓が伸び、静かに花を咲かせる。
「この地では、氷も火も、やがて風に還ります。
争いの言葉は、花の上には似合いませんわ」
オルステッドは一拍の間を置き、微笑した。
「……風。なるほど、貴国らしい。」
そして背を向ける。
「氷にとって――いちばん厄介なものだ。」
その一言が、場に残る熱をすべて凍らせた。
⸻
その日の午後。
アウリスはレオ王子の命を受け、シオン王子の案内役を務めていた。
“親善視察”という名目だが、実際は互いの探り合いに近い。
それでもレオは終始明るかった。
「まあ、堅苦しいのは抜きだ。今日はただの散歩だぞ!」
シオンは最初、無表情のままだった。
だが市場で子どもたちの笑い声を聞いたとき、ほんの少しだけ目が和らぐ。
「……音が多いな」
「うるさいくらいだろ?」レオが笑う。
「俺の国では、風の音しかしない」
「風が吹くなら、まだいい。音がない方が怖い」アウリスが言った。
シオンは横目で彼を見る。
「……沈黙、か」
三人は風の塔の庭園を抜け、白い城壁の上を歩く。
夕陽が街を金に染め、白の塔がその光を反射して輝いた。
その眩しさに、シオンは目を細める。
⸻
夜。
白き塔の上層。窓の外には王都の灯が星のように瞬いている。
紅茶の香りが漂い、三人が円卓を囲んでいた。
「なあ、シオン。今日、ちょっとは楽しめたか?」
レオが身を乗り出す。
「……楽しむ、というのは、どういう感覚だ?」
「腹が減るとか、笑うとか、くだらないことを考えるとか!」
レオが笑い、アウリスが苦笑した。
「つまり、王子らしくないことだな」
「うるさい!」
シオンはわずかに唇を上げる。
「……そういうのは、悪くない。」
「お、今笑った! 氷が溶けた瞬間だ!」
「氷は簡単には溶けない」
「なら、暖め続ければいいさ」
小さな笑いがこぼれた。
紅茶の湯気が立ちのぼり、窓の外の光が柔らかく揺れる。
それは、ほんの束の間の安らぎだった。
――そして、突然。
シオンが視線を落とし、囁くように言った。
「……もし、国を救うために、“国王”を討たねばならないとしたら……君はどうする?」
空気が裂けた。
レオの笑みが止まり、アウリスの指がカップの縁で止まる。
外の風が、灯火を揺らし、影が壁を走った。
誰も答えられないまま、
夜は静かに、次の嵐を孕んでいく。
――氷の国は、動き始めていた。
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