怪談『ある祟り』

りりぱ

***

 当時大学院生だったSさんから聞いた話。


 Sさんは工学系の大学院生で、かなり優秀だった。後輩たちには慕われており、教授のおぼえもめでたく、学位を取得した後はトップクラスの研究所へ行くことが期待されていた。Sさん自身も未来への希望と野心にあふれており、将来は研究者としておおいに活躍したいと考えていた。


 ある時、Sさんの研究室にMさんという大学院生が転属してきた。物静か、というか地味でどこか根暗なところのある女性で、おどおどした話し方が印象的だった。Sさんがあまり得意なタイプではなかったが、研究室ではSさんの方が先輩だ。SさんはMさんが早く研究室になじめるように、なにかと世話をやいてあげていた。


「その実験するの? 俺、検出器詳しいから見てあげるよ」

「分析方針もう立てたの? ちょっとややこしすぎるんじゃない?」


 Sさんがどんなに親切にしてあげても、Mさんはいつも「はぁ」と気の抜けた返事をするだけだった。寛容なSさんも段々イライラしてくる。

(もういい、放っておこうあんな奴。後から泣きついてきても知らねぇ)

 SさんはついにMさんを無視することにした。


 そうすると、今度はMさんがSさんをそれとなく意識するようになった。研究テーマや必要資料、実験のスケジュールなんかを、MさんはちょくちょくSさんに被せてくる。Sさんが先に使おうと考えていたのに、台帳を見たらMさんの予約が先に入っている。そんなことが多くなってきたのだ。

「教授、Mの奴また俺に被せてきてますよ」

「何を言っているんだ、Mさんの方が先に予約しているじゃないか」

 Sさんは何度か抗議したが、忙しい教授には取り合ってもらえない。他の研究室のメンバーにも愚痴を言ったが、揉め事に巻き込まれたくないのか煮え切らない反応だ。みんな、Mさんが大人しい女性だから甘いのだ、Sさんはそう考えた。


 Sさんの研究は徐々に遅れ始めた。これではまずい、SさんはMさんにきちんと注意することにした。

「あのさ、俺の題材取らないでくれる?」

「お前のくだらない実験の所為で、俺の計画が台無しなんだけれど」

 Sさんが注意し続けていると、Mさんは研究室を休みがちになり、ついに登校しなくなった。


「Mのやつ、引き籠った末に自殺したみたいなんですよ。なんだか、俺がいじめたみたいじゃないですか?」

 Sさんの心は痛んだが、死んだものは仕方がない。極力考えないようにして、Sさんは研究をつづけた。


 それから数か月後、なんとSさんの前にMさんが現れるようになった。Sさんが研究室にいると、いつの間にかMさんが傍に来て話しかけてくるのだ。

「わたしが先に予約していたんですよ、ひどいじゃないですか」

「無視しないでください、わたしが見えてるんでしょう?」

 大人しかった生前とは違い、Mさんは憤怒の形相でSさんを睨んでくる。Sさんがどんなに無視しても、Mさんはしつこく現れ続けた。


(どうしよう……完全に取り憑かれたな、これ)

 周囲に相談しようにも、まさか「自殺したMが話しかけてきて」なんて言えない。こちらがおかしいと思われるのがオチだ。Sさんは悩んだが、どうすればいいのか分からない。


 ついにSさんはノイローゼになった。そしてある時、いつものようにMさんが現れた時、Sさんはとっさに傍にあったマイナスドライバーを振りかざした。力の限りMさんに振り下ろす。

「ギャアアアアアー!!」

 Mさんは物凄い叫び声をあげ、顔を覆って倒れた。そのあまりの声の大きさに、研究室の他のメンバーが大慌てで駆け寄る。Sさんは呆然と呟いた。

「……なんだ、お前らにも今まで見えてたの?」


「――ちょっと待ってください」

 わたしはたまりかねて口を挟んだ。

「Sさん、あなたは自分が刺したのは幽霊なのだから、傷害罪にはならない……そう仰っているのですか?」

「そうですよ?」

 Sさんは怪訝そうな顔で答える。

「Mのやつねぇ、当てつけがましいんですよ。死んでからもああやって、周りの同情を誘うような真似をして」

 その答えにわたしはしばし絶句する。

「ええと、Sさん。なぜMさんが自殺したと思われたのか、理由を聞いてもいいですか?」

「え?」

 Sさんは目を真ん丸にしてわたしを見る。

「だってあいつ、俺より劣った存在なのに俺に盾突いたんですよ?死んで当然でしょう」


 わたしはどう応答すればいいか分からず、そっと隣に座る弁護士さんに目配せをした。彼は小さくかぶりを振る。

「……ご覧の通りですよ、こちらとしては心神耗弱を主張しているのですが」

 その時、係官の声が響いた。

「時間です、面会室のご退室をお願いいたします」


 Sさんは昨年、急に同じ研究室の女子学生をドライバーで刺した疑いで緊急逮捕された。彼女はSさんにいじめられて数か月休学していたが、復帰した矢先のことだった。

 Sさん側の弁護士は精神鑑定を請求しており、彼は今でも拘置所にいる。

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怪談『ある祟り』 りりぱ @liliput

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