第13話 虚無の空
――空が、裂けていた。
ノア=アークの上空。
青白い亀裂が夜空を貫き、その隙間から“虚無”が滲み出していた。
まるで世界そのものが、内側から剥がれていくようだった。
黒い巨影――“守護者の残骸”がそこにいた。
巨大な腕をゆっくりと動かすたび、空気が軋み、都市全体が震える。
その姿は、どこか〈ヴァルド〉に似ていたが、歪んでいた。
欠けた装甲。中から覗く紅い魔導骨格。
まるで“死”を忘れた魂が、形だけを残して動いているようだ。
「……あれが、セリアの残した“殻”……?」
ノアが呟く。
隣のリリスが、淡い光を放つ視覚センサーを起動させた。
「確認完了。エネルギー波形、セリア=アーヴィンの記録データと一致。
ただし、内部制御は完全崩壊。今のあれは――記憶の暴走体です」
「つまり、セリアの“魂の一部”が暴走してるってことか……?」
「はい。しかも、あれはあなたの“心核”と強く共鳴しています。
ノア、あなたが反応しなければ、あの存在はここに現れなかったはずです」
「……俺が、呼んだ……?」
ノアの胸に痛みが走る。
心核が熱を帯び、鼓動と同じリズムで震えていた。
――まるで何かを“思い出せ”と言わんばかりに。
「くそっ……!」
ノアは額を押さえ、息を荒げた。
そのとき、“殻”が動いた。
無音。だが確かに、世界が震えた。
巨腕が振り下ろされ、都市の防壁が一撃で粉砕される。
青白い破片が散り、虚無の風が吹き荒れた。
「防御展開ッ!」
リリスが叫ぶと同時に、半透明の魔導障壁が発動。
だが衝撃は止められない。
二人は吹き飛ばされ、空中で制御を失った。
「ぐっ……くそ……!」
「姿勢制御、再起動! ノア、意識を保って!」
リリスの叫びに、ノアは歯を食いしばった。
光の翼が展開され、二人は再び宙を駆け上がる。
「行くぞ、リリス。あれを止めるんだ!」
「了解――戦闘モード全開!」
リリスの身体が変形を始めた。
腕部が展開し、肩から魔導砲の銃口がせり出す。
同時にノアの右手にも、心核の紋様が浮かび上がった。
「リンク率、上昇中。90……95……!」
「……いける!」
二人の意識が重なり合う。
世界の音が遠のき、視界が一つに融け合う。
“人”と“機”が完全に共鳴する――《心核同調(ハート・リンク)》の領域。
その瞬間、ノア=リリスは一体となり、蒼光を纏った。
翼が爆ぜ、虚空を切り裂く。
「――蒼閃撃ッ!」
青い光線が一直線に走り、“殻”の肩部を貫いた。
内部から赤黒い液体のような魔力が噴き出す。
だが、“殻”は倒れない。
むしろその空洞から、新たな腕が生え出した。
「なっ……!? 再生してる!?」
「違います! “欠損を記録で補完”しているんです! まるで――記録そのものが再生してるように!」
「記録で……再生……?」
ノアの瞳が揺らいだ。
そのとき、頭の中に声が響いた。
〈……どうして、壊すの?〉
女の声。
優しく、しかし痛みを含んだ声。
〈私は、この世界を守りたかっただけ……〉
〈壊したくなんて、なかった……〉
「セリア……!」
ノアは叫んだ。
だが返るのは、悲鳴のような波動。
“殻”が咆哮し、虚無の空がさらに裂ける。
ノア=リリスは避けきれず、直撃を受けた。
衝撃で意識が飛ぶ。
リリスの声も遠のき、ノアの視界は白に染まった。
――静寂。
気づけば、そこは何もない“空間”だった。
白でも黒でもない、ただの“無”。
「……ここは……どこだ……?」
声が響く。だが、返事はない。
ただ一人の少女が、そこに立っていた。
灰色の髪、透明な瞳。
かつて見た面影――セリア・アーヴィン。
「あなたは……」
〈ノア。あなたは、まだ“私”の記録の中にいる〉
「記録……?」
〈そう。あなたは私の“残響”。
私が命を燃やしたとき、心核に残った光――それが、あなた〉
ノアの目が見開かれた。
「……俺が、セリアの“記録”?」
〈でも、あなたはもう“私”じゃない。
あなたは、私が見た“未来の形”〉
セリアが微笑む。
その表情には、かつての悲しみと希望が同居していた。
〈この世界は、私が作った“記録の箱庭”よ。
けれど、それはもう限界。矛盾が溢れて、虚無が侵食している〉
「じゃあ、俺たちはどうすれば――」
〈壊さなきゃ。私の記録を、あなたが。
記録が終わらなければ、新しい“現実”は始まらない〉
ノアは拳を握った。
彼女を壊す――それが、唯一の救いだというのか。
「……そんなの、できるわけないだろ……!」
〈大丈夫。あなたならできる。だって、あなたは“私の希望”だから〉
セリアが手を伸ばす。
その手は、温かかった。
しかし次の瞬間、光に溶けて消えていく。
〈ノア、覚えていて。
記録は終わっても、想いは残る――〉
――光が弾けた。
「……っは!」
ノアは目を開けた。
全身に痛みが走る。
空では、リリスが必死に障壁を展開していた。
「ノア! 生きてますね!?」
「……ああ。俺は……まだ、ここにいる」
ノアは震える手で心核を掴んだ。
セリアの声が、まだ微かに残っている。
「リリス、行こう。終わらせるんだ……この“記録の世界”を!」
「了解!」
二人の光が再び交わる。
“殻”が咆哮を上げ、虚無の空が赤に染まる。
そして、蒼と紅の閃光がぶつかり合った。
――灰の記録が、崩れ始める。
それは“終わり”ではなく、“始まり”の音だった。
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